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ザントフォールト・サーキット

ザントフォールト・サーキット
Circuit Zandvoort
2016年の空撮より
所在地Burgemeester van Alphenstraat 108, 2041 KP Zandvoort, Netherlands
標準時CET UTC+1DST:UTC+2
座標北緯52度23分19.75秒 東経4度32分27.32秒 / 北緯52.3888194度 東経4.5409222度 / 52.3888194; 4.5409222座標: 北緯52度23分19.75秒 東経4度32分27.32秒 / 北緯52.3888194度 東経4.5409222度 / 52.3888194; 4.5409222
収容人数105,000人[W 1]
所有者Chapman Andretti Partners
オープン1948年
設計者サミー・デイヴィス英語版(「#設計者」を参照)
旧名Circuit Park Zandvoort (1989年 - 2017年)
主なイベントF1 オランダグランプリ
マスターズF3, DTM
2020年 - 現在
コース長4.259 km (2.646 mi)
コーナー数14
レコードタイム1:11.097 (ルイス・ハミルトン, メルセデス / W12, 2021年, F1)
1999年 - 2019年[W 2][注釈 1]
コース長4.307 km (2.676 mi)
コーナー数15
レコードタイム1:31.534 (フェリックス・ローゼンクヴィスト, ダラーラ・F308, 2011年, F3)
1989年 - 1999年[W 2]
コース長2.526 km (1.570 mi)
コーナー数9
レコードタイム1:04.196 (ラルフ・シューマッハ[W 3], ダラーラ・F395, 1995年, F3)
1980年 - 1988年[W 2]
コース長4.252 km (2.642 mi)
コーナー数19
レコードタイム1:16.538 (アラン・プロスト, マクラーレン / MP4/2B, 1985年, F1)
1979年[W 2][注釈 2]
コース長4.226 km (2.626 mi)
コーナー数19
レコードタイム1:19.438 (ジル・ヴィルヌーヴ, フェラーリ / 312T4, 1979年)
1973年 - 1978年[W 2]
コース長4.226 km (2.626 mi)
コーナー数19
レコードタイム1:19.57 (ニキ・ラウダ, ブラバム / BT46, 1978年, F1)
1948年 - 1972年[W 2]
コース長4.193 km (2.695 mi)
コーナー数19
レコードタイム1:19.23 (ジャッキー・イクス, フェラーリ / 312B, 1970年, F1)

ザントフォールト・サーキットCircuit Zandvoort)は、オランダ王国北ホラント州ザントフォールト英語版に位置するサーキットである。フォーミュラ1世界選手権(F1)のオランダグランプリの開催サーキットとして知られる。日本語では「ザントフールト・サーキット」と、表記、呼称されることもある(→#日本語名称)。

概要

北海に面した海岸の砂丘に位置し、第二次世界大戦後、ドイツ軍が戦時中に建設した連絡道路を流用して建設され、1948年8月に完成した(→#建設に至る経緯)。

海岸の砂丘に立地するため、晴れた日は海風などの風により路面に砂がうっすらと積もり、ラップタイムにも影響を与えるという特徴があると言われている[1][W 4][W 5]

完成時から1980年代までは直線主体の高速サーキットだったが、1999年の改修でコースレイアウトが変更され、現在は複数の高速コーナーと低速コーナーを組み合わせたテクニカルコースとなっている[W 6](→#レイアウトの変遷)。バンク状の最終コーナーからメインストレートを加速し、スピードを乗せて突っ込む1コーナーのターザンコーナーが名物となっている[W 2][W 7]

主要な開催レース

1952年から1985年にかけてF1世界選手権オランダグランプリをほぼ毎年に渡って開催した。1986年以降はF1のレースが開催されることはなくなったが、2021年から再び開催された。

過去には、1991年から2016年までF3の有力ドライバーによって争われるマスターズF3(マールボロマスターズ)が開催され[注釈 3]、2001年から2018年にかけてはドイツツーリングカー選手権(DTM)が開催されていた。

歴史

建設に至る経緯

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ザントフォールト市は近傍のアムステルダムとの間に鉄道が開通したことの恩恵を受けたことにより国内の日帰り観光客やヨーロッパ各地から訪れる裕福な観光客を集め、ビーチリゾートとして栄えた[W 8]。しかし、第一次世界大戦(1914年 - 1918年)を機にその隆盛は終わりを迎え、1925年に同市の市長となったアンリ・ヴァン・アルフェンオランダ語版は観光業の立て直しを目指し、フランスの海辺のリゾート地で開催され人気を博していた自動車レースに着目し、導入を図った[W 8][注釈 4]

ザントフォールト市街地サーキット(1947年)

1930年代に入るとまず市内でオートバイによる市街地レースが開催されるようになり、1939年6月3日にザントフォールト市街地において四輪の自動車レースが初めて開催され、大成功を収めた[W 8][W 9]。この成功をきっかけとして、ヴァン・アルフェンは常設サーキットの建設実現に向けて全力を傾けるようになる[W 10][W 8][W 9]

その矢先、1939年9月にポーランドに侵攻したナチス・ドイツは、翌年5月にオランダも制圧し、ザントフォールト市もドイツ軍の占領下に置かれた[W 8]。そんな状況下にあってもヴァン・アルフェンはサーキット建設計画を進め、市が占領された同年にザントフォールト市北東の砂丘地帯に112ヘクタールほどの土地を確保し、翌1941年にはその土地の四方を「道路」で囲む建設計画を立て、その道路は戦勝記念のパレードを行うためのものだとドイツ軍の司令官を説得して、ドイツ軍の「連絡道路」という名目で建設を進めた[W 10][W 8][W 11][注釈 5]。この道路が後にサーキットのメインストレートとなる[W 12]

ドイツ人の不興を買ったヴァン・アルフェンは1942年をもって市長を辞職することになったが、1945年に終戦すると市長に復帰し、海岸防御英語版を図ったドイツ軍によって建物が破壊され塹壕有刺鉄線が張り巡らされた都市の再建を進めるとともに、サーキットの建設計画を再開した[W 8]。戦後直後にもかかわらずサーキット建設が優先項目のひとつとなったのは、「(市民以外も含めた)オランダ人たちのリラクゼーションの場としてのザントフォールト」という文化的な価値を考慮してのもので、これは市議会の方針にも即したものだった[W 8]。1945年9月には建設計画が実行に移され、国内のオランダ自動車クラブオランダ語版(KNAC)やオランダモーターサイクリスト協会オランダ語版(KNMV)といった団体と協力しつつ、国外の協力者たちとも連絡を取り、1946年にはイギリス人ドライバーのサミー・デイヴィス英語版からコースレイアウトについての助言を得た[W 8](→#設計者)。

1947年11月14日、ザントフォールト市議会はサーキット建設の予算を承認し、同月19日には市が属する北ホラント州もサーキット建設を認可した[W 8][注釈 6]

そうして、1948年8月7日にザントフォールト・サーキットは全長およそ4.193 kmのサーキットとして完成し、同日にこけら落としとなる自動車レースが開催された[W 8]。8月28日にはオランダモーターサイクリスト協会(KNMV)によってオートバイレースも開催された。開業当初は一部の区間は普段は公道として使われていたが、そうした道路も徐々に公道としての役目を解かれていき、完全なクローズドサーキットとなった[W 12]

1952年にはF1のオランダグランプリが初めて開催され、以降、オランダグランプリの開催サーキットとして定着し、1985年まで開催が続けられた。

サーキットの凋落(1980年代)

1970年代に入るとサーキットではたびたび死亡事故が発生し、その主要な原因であるF1の高速化に対応するため、1970年代を通して安全対策のための改修が続いた。そして、度重なる改修工事はサーキットの財政を圧迫し、サーキットの閉鎖がたびたび検討されるようになった[W 12]。加えて、1970年代から1980年代にかけてはモータースポーツ界全体で騒音問題が持ち上がり、ザントフォールトも例外ではなかった。サーキットの所有者であるザントフォールト市議会に対して市民からの苦情が多く寄せられるようになり、1982年に市議会ではサーキットの閉鎖が正式に提起された[W 12]。この時はこれに反発した住民たちにより市議会の与党が選挙で大敗する結果となり、サーキットは閉鎖を免れた[W 12]。しかし、財政状況の行き詰まりから、1985年に市街地に近いサーキット南部の一帯を売却してリゾートを建設する計画が承認され、コースの縮小が決定した[W 12]

そんな中、当時のF1で商業面を取り仕切っていたFOCA会長のバーニー・エクレストンはかねてよりザントフォールト・サーキットの設備の古さに不満を持っていたことから[W 14][W 15]、より条件の良い他のサーキットと新たに契約を結ぶため、オランダグランプリをF1の開催カレンダーから外した[W 16]

F1オランダグランプリの開催は1985年で終了し、1987年6月にはサーキットの運営会社も破産した[W 2][W 12]

マスターズF3の成功(1990年代~2010年代)

1990年代の短縮されたサーキット(1997年)

1988年にサーキットの新たな支配人に就任した実業家のハンス・エルンストは、翌1989年にはサーキットの所有権を取得し、サーキットはエルンストの下で立て直しが図られることになる[W 17]

まず、サーキット南部の土地を売却したことで得られた資金を使ってコースを短縮する改修が進められ、それまで全長4.2 kmほどだったサーキットは1989年に全長およそ2.5 kmに短縮された[W 12]

次いで、サーキットは国際レースを再招致する方法を模索し、各国で開催されているフォーミュラ3(F3)のその年の有力ドライバーを集めて世界一を決めるレースを企画し、1991年に「マールボロ・マスターズF3」(マスターズF3)として初開催した[W 10]。各国選手権のシーズン半ばに開催されたこのレースは人気を博し、初年度に優勝したデビッド・クルサードをはじめとして、参加者は後にF1などのカテゴリーで活躍することになる有力な若手ドライバーたちで占められ、レース自体が脚光を浴びるようになったことでサーキットも再び国際的な注目を集めるようになった[W 10][W 17]

1999年、サーキットは旧レイアウトの一部を復旧するとともにテクニカルな区間を追加する形で再改修され、全長はおよそ4.5 kmの距離に戻った[W 2]

マスターズF3の成功によってサーキットへの関心が高まったことに加え、コース改修によって開催できるカテゴリーの幅も増え[W 17]、2001年からはドイツツーリングカー選手権(DTM)のレースを毎年開催するようになり[注釈 7]、他にも、2006年にはA1グランプリ[注釈 8]、2007年には世界ツーリングカー選手権(WTCC)の開催が始まり、2010年代にかけて、各種GT選手権やヨーロッパF3選手権も開催するなど、多くの国際レースの誘致に成功した[W 10][W 12]

マックス・フェルスタッペン効果とF1開催の復活(2020年代)

フェルスタッペン(2016年)
フェルスタッペン(2016年)
フェルスタッペンによるデモ走行(2017年ジャンボ・レース・デイズ)
フェルスタッペンによるデモ走行(2017年ジャンボ・レース・デイズ)

2014年にF1にデビューしたマックス・フェルスタッペン2016年シーズン途中にトップチームのひとつであるレッドブル・レーシングに移籍し、加入した初戦でF1初優勝を果たした(2016年スペイングランプリ)。これはオランダ人ドライバーとしてもF1初優勝であり、オランダにおいてF1人気が大きな盛り上がりを見せることになる[W 10]。ザントフォールトでは2016年6月にフェルスタッペンがデモ走行を行う「ジャンボ・レース・デイズ」(オランダ語: Jumbo Racedagen)が初開催され[W 4][注釈 9]、以降は毎年開催されるようになり、同イベントは初年度の2016年から2019年にかけて毎年10万人以上のファンがサーキットに押し寄せるほどの盛況となった[W 10]

2010年代半ばの時点ではオランダグランプリの復活は非現実的なことだとみなされていたが、フェルスタッペン効果によるF1人気の高まりを受けて、サーキットはF1を運営するフォーミュラワン・グループの親会社であるリバティメディアと交渉を重ね、2020年からのF1開催契約を2019年5月14日に締結した[W 4]

当時のサーキットはコースそのものの安全性やピット建物などの付帯設備の面でF1の基準に適合しない部分があったため[W 19]、2019年から2020年初めにかけてサーキットは改修された。この改修では、それまでのコースレイアウトは基本的に維持しつつ、各セクションの形状が見直され[注釈 10]、ターン3(フーゲンホルツ)と最終コーナー(アリー・ルイエンダイク)をバンク化するなどの手が加えられた[W 20]

2020年5月に予定されていた開催は新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受けて中止されたものの、翌2021年9月にF1・オランダグランプリの開催が実現した(2021年オランダグランプリ)。このレースは国王ウィレム=アレクサンダー臨席の下で開催され[W 21]、フェルスタッペンがオランダ人として初めてオランダグランプリを優勝するという結果を残した[注釈 11]

コースレイアウト

現在のレイアウト

主なコーナー
  • ターン1 - ターザン(Tarzan)[注釈 12]。サーキット最大のオーバーテイクポイントで[W 7]、2020年の改修で幅が広げられた[W 25]
  • ターン2 - ゲルラッハ(Gerlach)。サーキット初の事故死者にちなんで命名された[W 6][W 23]
  • ターン3 - フーゲンホルツ(Hugenholtz)。初代支配人ジョン・フーゲンホルツの引退時に餞別として命名された[W 24]。2020年の改修時にランオフエリアが拡大されるとともに、走行ラインが放物線を描く形になるよう作り直され[注釈 13]、バンクも改修前より大きい19度のバンク角が付けられている[W 28][W 6][W 29][注釈 14]
  • ターン4 - ハンツェラグ(Hunserug)。サーキットの最高地点で、ゆるやかに右に曲がる高速コーナー[W 31][注釈 15]
  • ターン6 - スローテマーカー(Slotemaker)。このコーナーで事故死したロブ・スローテマーカー英語版にちなんで命名された[W 32][W 6]。ターン4から連続する起伏のある高速コーナー[W 32]
  • ターン7 - シェイブラック(Scheivlak)。バンクのついた高速の右コーナーで[W 33]、サーキットの中でも特に高速なコーナー[W 7]
  • ターン8 - マスターズ(Masters)。1980年に設置された時の名称は「マールボロ[注釈 16]。スタート地点からこのコーナー手前までは開業時のレイアウトがほぼ残されている[W 34][注釈 17]
  • ターン11~12 - ハンス・エルンスト(Hans Ernst)[注釈 18]。1990年代にサーキットを再興した支配人にちなんで2013年に命名された[W 35][W 24][W 17]。右にほぼ90度曲がるターン11から、左回りに半円を描く形状のターン12へと続く。
  • ターン14 - アリー・ルイエンダイク(Arie Luyendyk)。最終コーナーで[注釈 19]、2020年の改修時に18度のバンク角が付けられている[W 36][W 37][W 29]。このバンク用に開発された特殊なアスファルト舗装はコーナー名の由来であるルイエンダイクのあだ名にちなんで「フライング・ダッチ」(FlyingDutch)と名付けられた[W 36]

2020年の改修

2019年に2020年からF1を開催する契約が結ばれたが、この時点ではサーキットのレイアウトと付帯設備はF1の基準を満たしていなかったため、改修が必要となった[W 19]

ザントフォールトにおけるF1開催が発表されると、下位カテゴリーでのレース経験やF1車両でデモ走行した経験のある現役F1ドライバーたちからコース特性からF1ではレース中のオーバーテイクが難しいのではないかという懸念が示された[W 38]。それを受けて、オランダグランプリのスポーティングディレクターを務めるヤン・ラマースは改修案を明らかにし、ターン3(フーゲンホルツ)のランオフエリア拡大、ターン4(ハンツェラグ)をイン側にワイド化、ターン11(ハンス・エルンスト)のアウト側(ターン12のイン側)をターマック化、最終コーナーに大きなバンク角を付けることなどによりオーバーテイク機会を増やせると期待していると表明した[W 39]

18度の勾配(バンク)が付けられ建設中の最終コーナー(2020年)

この改修には1500万ユーロが投じられ[W 40]、再設計と改修作業はイタリアのサーキット設計企業であるドローモ社(Dromo Circuit Design)が手掛けた[W 41][W 42]。最終コーナーのバンクについては、2018年に視察に訪れたFIAチャーリー・ホワイティングからの提案を取り入れたもので[W 41][W 42]、メインストレートの短さを補うために設けられた[W 43]。FIAのサーキット設計ガイドラインではバンクの勾配は最大でも10 %(約5.7度)までとするよう定められていたが[W 44][W 45]、それより大きい最大18度のバンク角が付けられた[W 20][W 29][注釈 20]。最終コーナーのコンセプトが固まったことで、その知見を取り入れてターン3もバンク化され、最大19度のバンク角が付けられた[W 20][W 29]。この2つのコーナーのバンク角はガイドラインの上限を超えたものだが、FIAから特例として許可された[W 45]

F1では2005年アメリカグランプリインディアナポリス・モーター・スピードウェイ、IMS)においてバンク角9度の最終コーナーにミシュランタイヤが対応できなかったという過去の例を踏まえ、2020年2月に行われた合同テストでザントフォールトのバンクに対応するためのピレリ製特別タイヤのテストが行われた[W 47][注釈 21]

レイアウトの変遷

  • 各レイアウトの変更点
    開業初期のターザンコーナー(1952年オランダGP)
    • 1948年 - 1972年 - 全長4.193 kmのサーキットとして建設される[W 2]
    • 1973年 - 1978年 - 最終コーナーへの進入速度を落とすため、パノラマコーナーをS字状にする改修を行う[W 2][W 12]
    • 1979年 - ニキ・ラウダジョディー・シェクターの意見を取り入れ[W 12]、シェイブラック後のバックストレートに仮設のシケイン(シェクター・シケイン)を設置[W 2]
    • 1980年 - 1988年 - シェクター・シケインを常設のS字コーナー(マールボロ)に変更[W 2]
    • 1989年 - 1999年 - 全長2.526 kmに短縮[W 2]。敷地南部は売却され、コース跡地には保養地とゴルフ練習場などのスポーツ施設が建設される[W 12]
    • 1999年 - 2019年 - シェイブラックまでのコースを再建する形でサーキットを東に伸長し、全長およそ4.3 kmのサーキットとなる[W 2]。旧レイアウトでS字だったマールボロを右回りのコーナーに改修し、その先にインフィールドセクションが建設される[W 12]
    • 2020年 - 現在 - 「#2020年の改修」を参照。

設計者

サミー・デイヴィス

オリジナルのコースレイアウトはサミー・デイヴィス英語版の助言に基づくもので[W 11]、これをカス・フンツェ(Cas Hunse)、ピエト・ノルティエ(Piet Nortier)[注釈 22]がそれぞれオランダモーターサイクリスト協会(KNMV)とオランダ自動車クラブ(KNAC)を代表して検討し、コース設計は1947年5月24日に完成した[W 8]

後にサーキットの初代支配人となるジョン・フーゲンホルツを設計者とする説が広く流布しているが、これは誤りと考えられている[W 49][W 11]。1946年当時、フーゲンホルツは自身が設立したオランダ自動車レースクラブ(Nederlandse Automobiel Ren Club, NARC)を率いてユトレヒト近郊のザイストでサーキット建設計画を進めており(ザイスト・サーキットオランダ語版)、両サーキットの建設計画は競合関係にあり、この時点の進捗状況ではザイストの計画も有望視されていた[W 50][W 51]。ザイストの計画は同地の観光促進を望む者たちからは支持されていたものの、ザイストが属するユトレヒト州は、戦後の荒廃からの復興と建築材料が不足していた当時の状況を勘案して、サーキット建設計画に反対し、1947年7月にザイストの計画は頓挫した[W 52]。フーゲンホルツとNARCはザントフォールトの建設計画にも深く関与することになるが[W 11]、それがザントフォールトのコース設計完成より前のことなのかは定かではない。

1989年と1999年の改修でコースレイアウトを手がけた人物は不明である。

2020年の改修はドローモ社のヤルノ・ザッフェリイタリア語版が責任者となって手がけた[W 53]

F1オランダGPの結果

主な出来事

1948年8月の自動車レース
1948年8月のオートバイレース
1948年8月の自動車レースとオートバイレース

日本語名称

「Zandvoort」(オランダ語発音: [ˈzɑntfoːrt] ( 音声ファイル))の日本語名称は一定しておらず、差異はわずかだが、媒体によって「ザントフォールト」、「ザントフールト」、「ザンドフォールト」、「ザンドフールト」といった複数の異なる表記が用いられている。

1960年代にホンダF1(第1期)の監督だった中村良夫は当サーキットの名称について、現地の人々の発音は「サンフース」に近いという認識を持っていたが、自身は英語とドイツ語を混ぜて「ザンドフールト」という呼び方をし、この呼び方で(現地人との意思疎通に)実用上は差し支えなかったと述べ[6]、1969年に刊行した自身初の著書でもこの表記を用いている。この呼称は中村の我流だったが[6]、日本語においては現在でもそれと類似する上記の表記が当サーキットの名称として定着している。

脚注

注釈

  1. ^ レコードタイムについて、ヒストリックF1レースのBOSS GP英語版の記録は除外する。
  2. ^ シェクターシケインがこの年のみ一時的に追加された。公式にはサーキット全長は1978年以前のレイアウトから変更されていない[W 2]
  3. ^ 2007年と2008年のみゾルダー・サーキットで開催された。
  4. ^ 地中海沿岸のニース周辺では19世紀末から自動車レースイベントが開催されていた。ヴァン・アルフェンは大西洋沿岸のドーヴィルラ・ボール英語版の事例に刺激を受けた[W 9]
  5. ^ これは失業した市民たちに仕事を与えるための政策でもあった[W 9]。舗装の基礎にはドイツ軍によって破壊された建物の瓦礫を使用した[W 9]
  6. ^ オランダの内務省英語版は難色を示し、1948年1月に工事の凍結を命じたものの、州はザントフォールトを重ねて支持し[W 8]ユリアナ女王(1948年9月に即位)の王配となるベルンハルト王子の働きかけもあって凍結は解除され[W 13]、内務省も最終的にはサーキット建設に同意した[W 8]
  7. ^ 2018年シーズンまで開催。
  8. ^ A1グランプリはシリーズ主催団体の経営破綻により短期の開催となり、ザントフォールトで開催されたのは2006年から2008年の3回のみだが、ザントフォールトでは最大12万人の観客を集める人気イベントだった[W 12]
  9. ^ フェルスタッペンの個人スポンサーで、スーパーマーケットチェーンのジャンボ英語版が主催するイベントで、開催自体はフェルスタッペンがレッドブルに移籍する前から予定されていた[W 18]
  10. ^ この改修のためにサーキットの全ての舗装は一旦取り除かれている。
  11. ^ それ以前は、1962年カレル・ゴダン・ド・ボーフォール1973年ジィズ・ヴァン・レネップが記録した6位がオランダ人ドライバーのオランダグランプリにおける最高位だった[W 22]
  12. ^ 名前の由来については複数の説がある[W 23]。ひとつはサーキットの路面を舗装するアスファルトを製造する機械の名称に由来するという説である[W 24][W 23]。もうひとつは1コーナーの先に菜園を持っていた「ターザン」というあだ名の大男に由来するという説である[W 24][W 23]。よく知られているのは後者の説で、サーキット建設時に「ターザン」は立ち退きを拒否していたが、自身の名前をコーナー名にすることを条件に立ち退きに応じたとされる[W 23]
  13. ^ コーナー脱出時にターン4に向けて複数の走行ラインを取れるようにする狙いがあり[W 26]、この時の改修により、フィボナッチ数に基づいて黄金分割された形状になっている[W 27]
  14. ^ バンク上部のバンク角は19度だが、バンク下部は4.5度となっており、角度はフィボナッチ数に基づいて変化している[W 30]
  15. ^ サミー・デイヴィスらがサーキットの設計アイデアを練っていた際、この箇所の砂丘を迂回するレイアウトが考えられていたが、カス・フンツェ(Cas Hunse)という人物が砂丘を登るレイアウトにするというアイデアを出し、それが採用されたことからフンツェ(Hunse)の名前が付けられた[W 31][W 24]。ラグ(rug)はオランダ語で「砂丘」を意味する[W 24]
  16. ^ 1980年にS字状に改修される以前は「Hondenvlak」(犬小屋)と呼ばれる高速コーナーが置かれていた[W 24]。これは漁師たちが市街地に魚を運ぶためのドラフトドッグ英語版の犬小屋があったことに由来する[W 24]
  17. ^ コーナーによってはランオフエリアの拡大やコースの拡幅などにより数メートル程度の移動はされている。
  18. ^ 1999年に改修された際は「アウディS」とも呼ばれていた。
  19. ^ 1989年の改修時にホームストレートが短縮されており、1980年代以前の最終コーナーとは位置が異なる[W 24]
  20. ^ バンクを目論見通りにメインストレートの延長として使用するには最低でも15度のバンク角を必要としていたと説明されている[W 44][W 46]
  21. ^ ターン14の設計時にも2005年アメリカグランプリの例は考慮され、計算の結果、IMSよりもスピードが遅いので問題は起こらないと判断された[W 26][W 20]
  22. ^ 四輪のレーシングドライバーで、1938年6月に開催された市街地レースの優勝者[W 48]
  23. ^ この事故以前に、1952年にレース終了直前に心臓発作を起こして亡くなったドライバーはいる。
  24. ^ 1964年、ホンダがF1参戦するにあたってRA271のシェイクダウンのために当サーキットを選んだのは、燃料サプライヤーであるBPや、ホンダと関係が深かったジャック・ブラバムからの推薦があったためである[2]。加えて、当サーキットの支配人が鈴鹿サーキット(1962年完成)の設計を手掛けた縁で協力関係にあったフーゲンホルツであること、ホンダF1がヨーロッパにおける整備拠点を置くことを予定していたベルギーアールスト(前年に完成したホンダの二輪車製造工場があり[W 54]、ホンダチームはそこに間借りした)からも遠くないということも考慮された[3]
  25. ^ この時、市議会では、サーキットを存続するか廃止するかというところまで論議された[4][5]。この出来事を機に、サーキットはフィリップモリスなどをスポンサーとして獲得した[4][5]
  26. ^ 前オーナーのエルンストは自身の健康面の問題から2012年頃から売却先を探していた[W 17]。チャップマン・アンドレッティパートナーズ社はオランダの投資家メノ・デ・ジョン(Menno de Jong)と、王族のベルンハルト・ファン・オラニエ=ナッサウ英語版(国王ウィレム=アレクサンダーの従弟にあたる)によって設立された会社で[W 56]コーリン・チャップマンアンドレッティ一族とは無関係[W 58]

出典

書籍
  1. ^ グランプリ 1(中村1969)、p.79
  2. ^ グランプリレース(中村1979)、p.101
  3. ^ グランプリレース(中村1979)、p.102
  4. ^ a b c オートスポーツ 1973年1/1号(No.108)、「オランダ・グランプリ開催へ…?」 p.58
  5. ^ a b c オートスポーツ 1973年6/1号(No.119)、「ザントボールト復活!」 p.59
  6. ^ a b グランプリ 1(中村1969)、p.77
ウェブサイト
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参考資料

書籍
  • 中村良夫、1969-09-08、『グランプリ 1 南に西に北に』、二玄社 ASIN B000J91V8M
    • 中村良夫、1987-05-01、『グランプリ 1 南に西に北に』、二玄社 ISBN 4-544-04004-3 ASIN 4544040043
  • 中村良夫、1979-12-25、『グランプリレース ──ホンダF-1と共に──』、山海堂 NCID BA34300064 ASIN B000J8BT9O
    • 中村良夫、1988-08、『F-1グランプリ ──ホンダF-1と共に 1963~1968──』、三樹書房 ASIN 4895221296
    • 中村良夫、1998-10、『F-1グランプリ ──ホンダF-1と共に 1963~1968── 愛蔵版』、三樹書房 NCID BA45272539 ASIN 4895222330
雑誌 / ムック
  • 『オートスポーツ』(NCID AA11437582
    • 『1973年1/1号(No.108)』三栄書房、1973年1月1日。ASB:AST19730101 
    • 『1973年6/1号(No.119)』三栄書房、1973年6月1日。ASB:AST19740601 
配信動画

外部リンク

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