シカゴ・ベアーズ (英語 : Chicago Bears 、略称: CHI )は、アメリカ合衆国 イリノイ州 シカゴ に本拠地をおくNFL チーム。NFC北地区 に所属している。ホームスタジアムはソルジャー・フィールド 。本部と練習場は、シカゴ都市圏 内のレイクフォレスト に位置し、「ハラスホール」と呼ばれている。
NFLは9度制覇しており、1985 年に第20回スーパーボウル を制覇している[ 注 1] 。NFL創設時から存在するチームであり、勝利数、プロフットボール殿堂 入りメンバー数、永久欠番選出数はいずれもNFL32チームで最も多い。
概要
1920年 9月17日にイリノイ州 ディケーター でディケーター・ステイリーズ (Decatur Staleys)として創設し、誕生したばかりのNFL (当時は、アメリカン・プロフェッショナル・フットボール・アソシエーション、略称:APFA)に加入した。NFLオリジナルチームで現存するのは、ベアーズとアリゾナ・カージナルス (当時は、ラシーン・カージナルス)の2チームのみである。1921年 にシカゴ に移転し、シカゴ・ステイリーズ (Chicago Staleys)、1922年 に現在まで続くシカゴ・ベアーズ (Chicago Bears)へと改名した。1970年 シーズンまでは、シカゴ市内北部のリグレー・フィールド をホームとしていたが、現在はミシガン湖 に隣接する南部エリアにあるソルジャー・フィールド をホームとしている。グリーンベイ・パッカーズ とは、同じNFC北地区 にあり、チームのNFL加入も1年しか違わない(パッカーズ は1921年加入)ため、長年にわたりライバル関係にある。
伝統的にディフェンスとランオフェンスによるボールコントロールを主体とした戦術を採用している。本拠地のソルジャー・フィールド は厳冬期はミシガン湖 の上を吹き寄せる風によって大雪が降ったり、1988年のプレーオフ、フィラデルフィア・イーグルス 戦(Fog Bowl )のように濃霧の中で行われた試合もある。
シカゴを地盤とする第44代アメリカ合衆国大統領 のバラク・オバマ は、自らがベアーズ・ファンであることを公言している[ 1] 。
歴史
チーム創設期
チーム創設者ジョージ・ハラス (右)とNFLコミッショナーピート・ロゼール
ベアーズは、元々イリノイ州ディケーターに本社を置く食品澱粉製造企業のA・E・ステイリー 社が会社のチームとしてディケーター・ステイリーズ という名称で設立したチームだった[ 注 2] 。1920年 、ステイリー社は、ジョージ・ハラス とダッチ・スターナマン をチームを運営するために雇用した。ベアーズとNFLの公式記録上では、ハラスが創設者とされている。翌1921年 、ステイリー社はチームをハラスとスターナマンに引き継ぎ、本拠地はシカゴ へ、チーム名はシカゴ・スタリーズ へと変更した。ハラスとスターナマンがステイリー社と交わした契約により、ハラスはステイリー社からチームのの権利を100ドルで購入している。
1922年、ハラスはチーム名をシカゴ・ベアーズ へと変更した。また、ホームスタジアムをMLBのシカゴ・カブス が使用されているリグレー・フィールド に移転した。チーム名は、MLB のシカゴ・カブス のカブス(小熊)と対比し、フットボール選手は野球選手より大きいという理由でベアーズ(熊)の名が採用された。また、チームカラーは、ハラスの母校であるイリノイ大学 の鮮やかなオレンジとブルーを若干濃くした色を採用した。
ベアーズは、NFL創設初期には圧倒的な強さを誇った。ベアーズとグリーンベイ・パッカーズ とのライバル関係は、アメリカのプロスポーツ界で最も古く、1921年まで遡る。この年、ハラスはパッカーズが特定の選手と契約するのを阻止するためにリーグから除名させ、ベアーズがその選手との契約を成立させた後に、リーグに再加入させたという事件があった。
1924年のチーム写真
1921年にはNFLチャンピオンシップを獲得して以降、10年間その強さを維持した。1924年 12月7日、ベアーズはクリーブランド・ブルドッグス を破って優勝を果たし、この年のチーム写真に「ワールドチャンピオン」という称号が付けられた。しかし、NFLでは11月30日以降の試合はリーグ戦の順位に含まれないことを事前に示しており、実際はクリーブランドに次ぐ2位であった。
1925年 、ベアーズは、イリノイ大学 4年生HBのレッド・グレンジ を、グランジが大学を卒業する1日前に契約したことから、NFLは「大学生が卒業するまで選手と契約できない」というルールを長年制定していた。
この頃、チームは強かったものの、チーム内部では運営費の増加と観客動員数の減少という問題を抱えていた。カレッジフットボール のシカゴ大学 の試合では1試合に40,000人から50,000人の観客が集まるのに対し、ベアーズは1試合に5,000人から6,000人の観客しか集まらなかった。そのため、ベアーズとしては、カレッジフットボールのトップ選手であるレッド・グレンジを選手として起用することで、より多くのファンを獲得したい、という思惑があった。グレンジは代理人のC.C.パイル を介し、ベアーズと1試合2,000ドルの契約を結んだ。最初の試合ではサイドラインにとどまったものの、ベアーズのQBジョーイ・スターナマン からチームのプレーを学び、その後の試合では、75,000人の観客を集め、西海岸のカレッジ・オールスターチームとして結成されたロサンゼルス・タイガース相手に17対7で勝利した。
1926年 、レッド・グレンジはベアーズとの契約交渉がうまくいかず、パイルが創設したニューヨーク・ヤンキース (AFL )に移籍した。また、ジョーイ・スターナマンは自身がオーナーを務めるシカゴ・ブルズ (AFL)へ移籍した。その後、ベアーズはパディ・ドリスコル と契約した。シーズン後、AFLはわずか1シーズンで解散してしまったため、グレンジとジョーイ・スターナマンはベアーズに復帰することになった。
チームは財政的損失を負い続けており、1932年 シーズン限りでハラスと共にチームを支えたダッチ・スターナマンは退団した[ 注 3] 。12月18日、この年に導入され、非公式のNFLチャンピオンシップゲームとなった試合で、ベアーズがポーツマス・スパルタンズ(現、デトロイト・ライオンズ )相手に、シカゴ・スタジアム で行われた初の屋内アメリカンフットボールの試合に勝利した。
1932年のプレーオフゲームの成功により、NFLはチャンピオンシップゲーム を導入することになった。1933年 の初のNFLチャンピオンシップゲーム では、ベアーズはニューヨーク・ジャイアンツ と対戦し、23-21で勝利した。
モンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ時代
1940年 から1947年 にかけてQBのシド・ラックマン を擁して、5回のNFLチャンピオンシップゲームに出場し4回の優勝を果たした。この頃のベアーズは、「モンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ」と呼ばれた(後述 )。1940年12月8日に開催された1940年NFLチャンピオンシップゲーム (グリフィス・スタジアム )では、ワシントン・レッドスキンズ 相手にNFL史上最も点差の開いた試合となる73-0での勝利を果たした[ 2] 。1950年代はチームはどん底の時期を過ごしたが、1963年に再びチャンピオンシップゲームを制した。しかし、その後スーパーボウル優勝まで20年以上遠ざかることになった。1960年代終わりにはディック・バトカス やゲイル・セイヤーズ 、ブライアン・ピッコロ らを擁した。1971年にはABC のテレビ映画「Brian's Song」が作られ、ピッコロをジェームズ・カーン 、セイヤーズをビリー・ディー・ウィリアムズ が演じた。ハラスを演じたジャック・ウォーデン はエミー賞 を受賞した。
ハラスは1967年にヘッドコーチを退任し、その後オーナーとなっていたが1970年 のNFLによるAFL の吸収合併が行われた後、結成されたNFC の代表に選ばれ。1983年に亡くなるまで務めた。現在では、NFCチャンピオンシップゲームに勝利したチームに渡される「ジョージ・ハラス・メモリアル・カップ」にハラスの名が残されている。
苦闘の時代
1969年 及び1970年 は地区最下位に終わった。1975年 のドラフト1巡目でジャクソン州立大学 からウォルター・ペイトン を獲得した。ペイトンは1977年にシーズンMVPを獲得する活躍を見せて[ 3] [ 4] 1984年にはジム・ブラウン が持っていた通算ラッシング獲得ヤード記録を塗り替えて1987年 に引退した。この記録は2002年にエミット・スミス に破られるまで保持された。[ 5] ペイトンはベアーズファンによって「Sweetness」と呼ばれ愛された。1999年に彼はガンのため亡くなった。
ディトカによるスーパーボウル制覇
13年間チームで活躍したRBウォルター・ペイトン (1986年)
1961年から1966年 にベアーズのタイトエンドとして活躍したマイク・ディトカ が1982年 にヘッドコーチに就任した。彼の下でディフェンス・コーディネーターだったバディ・ライアン の考案した46ディフェンス やペイトンの活躍でチームは1985年 のシーズンは、マンデーナイトフットボール でマイアミ・ドルフィンズ に1敗した以外負け無しの15勝1敗でシーズンを終え、NFCのプレーオフではニューヨーク・ジャイアンツ 、ロサンゼルス・ラムズ を無得点に抑えスーパーボウルまで勝ち上がった。第20回スーパーボウル ではニューイングランド・ペイトリオッツ を46-10で破りスーパーボウル初制覇を果たした。この試合では3サックをマークしたリチャード・デント がMVPに選ばれている。また、レギュラーシーズンの対グリーンベイ・パッカーズ 戦でワイドレシーバーとしても起用されTDパスを捕球したウィリアム・ペリー がショートヤードを残したところでフルバックとして起用され、タッチダウンを獲得している。
スーパーボウル制覇後
選手とコーチの両方でベアーズの優勝に貢献したマイク・ディトカ (2006年)
スーパーボウルを制覇した後も地区優勝を続けるなど、NFCの強豪として活躍を見せたベアーズだが、ウェストコーストオフェンス を用いたサンフランシスコ・フォーティナイナーズ にプレーオフで敗れるシーズンが相次ぎ現在46ディフェンスは使われなくなっている。1992年 シーズン終了後、ディトカがヘッドコーチを解任された後、ダラス・カウボーイズ のジミー・ジョンソン ヘッドコーチの下でディフェンスコーディネーターを務めたデイブ・ウォンステッド が1993年 から1998年 までヘッドコーチを務めたがプレーオフには1度しか出場を果たせなかった。1999年 からヘッドコーチとなったディック・ジャーロン は2001年 に地区優勝を果たしコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが2003年 までの5シーズンでチームがプレーオフに出場したのはその1度きりであった。
2002年 シーズンのみ、本拠地ソルジャー・フィールド の改修工事に伴い、イリノイ州シャンペーン のイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校 内にあるメモリアル・スタジアム を使用した。
ラビー・スミスの時代
2004年 、ラビー・スミス が新ヘッドコーチに就任した。
2005年 のドラフト 4巡目にQBカイル・オートン を指名した。この年は11勝5敗の成績をあげて、チームを地区優勝を果たした[ 6] 。ディビジョナルプレーオフでカロライナ・パンサーズ に21-29で破れシーズンを終えた[ 7] 。
2006年 、チームは開幕から7連勝し[ 8] 、第9週にマイアミ・ドルフィンズ に敗れて連勝は止まったものの[ 9] 、第13週に地区優勝を決定[ 10] 、13勝3敗でNFC第1シードを獲得した。ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークス をオーバータイムの末、27-24で破り1988年 以来となるNFCチャンピオンシップゲーム に進出した[ 11] 。NFCチャンピオンシップゲームではトーマス・ジョーンズ や守備陣の活躍で、ニューオーリンズ・セインツ を39-14で破り、21年ぶりのスーパーボウル 出場を果たした[ 12] 。ラビー・スミスは相手チーム、インディアナポリス・コルツ のトニー・ダンジー と共にスーパーボウルに出場した初のアフリカ系アメリカ人 ヘッドコーチとなった[ 13] 。第41回スーパーボウル ではデビン・ヘスター のキックオフリターンタッチダウンで開始14秒でベアーズが先制、第1Qにさらにレックス・グロスマン からムーシン・モハメド へのタッチダウンパスも決まり14-6とリードした。QBのグロスマンは28本中20本のパスを成功させたが2インターセプトを喫し、5点差だった第4Q初めにグロスマンのパスをインターセプトしたケルビン・ヘイデン に56ヤードのリターンタッチダウンを決められ[ 14] 、最終的に17-29で敗れた。
2007年 3月5日、トーマス・ジョーンズをドラフト2巡指名権と引き換えにニューヨーク・ジェッツ にトレードした[ 15] 。この年チームは7勝9敗に終わりプレーオフを逃した[ 16] 。
2008年 、9勝7敗でプレーオフを逃した。シーズン終了後、契約最終年のグロスマンと延長契約を結ばず放出した。
2009年 、デンバー・ブロンコス のプロボウルQBジェイ・カトラー をQBカイル・オートン やドラフト 指名権と引き換えに獲得、サラリーキャップ のためセントルイス・ラムズ から放出されたオフェンスラインのオーランド・ペース を獲得した。
2010年 、カロライナ・パンサーズ からジュリアス・ペッパーズ を、ミネソタ・バイキングスからチェスター・テイラー を獲得した[ 17] 。10月24日のワシントン・レッドスキンズ 戦ではディアンジェロ・ホール に4インターセプトを喫し14-17で敗れた[ 18] 。NFC北地区優勝を果たし、ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークス を破り、NFCチャンピオンシップゲームまで進出しグリーンベイ・パッカーズ と対戦したが、第3Qにジェイ・カトラーが負傷退場[ 19] 、その後トッド・コリンズ 、ケイレブ・ヘイニー がリリーフしたが敗れた[ 20] 。
2011年 、開幕から連勝を続けるグリーンベイ・パッカーズからは離されたものの、マット・フォーテイ がランとレシーブの合計獲得ヤード数でNFLトップの活躍などで5連勝し7勝3敗とプレーオフ出場を争っていたが[ 21] 、第11週にジェイ・カトラーが右手親指を骨折して戦線離脱[ 22] 、フォーテイも第13週に負傷し戦線を離脱した[ 23] 。控えQBのヘイニーが先発QBとなってから4連敗[ 24] 、ジョシュ・マカウン が先発QBとして最後の2試合に先発出場し、最終週のミネソタ・バイキングス戦に勝利し連敗を5で止めて8勝8敗でシーズンを終えた[ 25] 。シーズン終了後、パス偏重でカトラーとの確執も噂されていたマーク・マーツオフェンスコーディネーターが退団した[ 26] [ 27] 。またジェリー・アンジェロGMも解任された[ 28] 。
2012年 、第9週までの9試合で8勝1敗の成績をあげたが、その後3連敗するなど、残り7試合で2勝5敗、10勝6敗となり、タイブレークでプレーオフ出場を逃した[ 29] 。シーズン終了後、ラビー・スミス・ヘッドコーチは解任された[ 30] 。後任ヘッドコーチには、CFL のモントリオール・アルエッツ ヘッドコーチとして5シーズンで2度優勝しているマーク・トレストマン が就任することとなった[ 31] 。
トレストマンの時代
2013年シーズン は最終節まで地区優勝を争ったが、最終戦のパッカーズ戦で残り38秒にタッチダウンで逆転され敗戦。プレーオフ進出も果たせなかった[ 32] 。
2014年シーズン はカトラーと2020年まで契約を延長して臨んだものの[ 33] 、10月に3連敗、終盤に5連敗を喫し地区最下位となった。カトラーの調子も安定せず、一時は控えに降格した[ 34] 。シーズン終了後、トレストマン・ヘッドコーチが解雇され[ 35] 、後任には元カロライナ・パンサーズ のヘッドコーチで、2014年シーズンまでデンバー・ブロンコス ヘッドコーチを務めていたジョン・フォックスが迎えられた[ 36] 。
ジョン・フォックスの時代
カトラーは2016年シーズン後に引退し、チームはフォックスのもとで、2015年 、2016年 、2017年 と3年続けて地区最下位に沈み、2017年シーズン後にフォックスは解任された。後任はカンサスシティ・チーフス OCのマット・ナギーとなった。
マット・ナギーの時代
2018年シーズン は、前年のドラフト 全体2位で指名したミッチェル・トゥルビスキー をエースQBとし、4年ぶりに地区最下位を脱し、8年ぶりに地区優勝とプレーオフ出場を遂げたが、プレーオフ初戦で敗退した。2019年 はプレーオフを逃した。
2020年 は新型コロナウイルス感染症 の流行により全試合を無観客で開催した。ドラフト指名権とのトレードでジャクソンビル・ジャガーズ からQBニック・フォールズ を獲得した。8勝8敗の成績ながらもワイルドカードでプレーオフに進出したが初戦でニューオーリンズ・セインツ に敗れた。
2021年 、前ダラス・カウボーイズ のQBアンディ・ダルトン と契約、トゥルビスキーはバッファロー・ビルズ に移籍、この年のドラフト 1巡目でQBジャスティン・フィールズ を指名した。プレーオフ進出は逃した。シーズン終了直後、HCナギーとGMペースを解雇した。GMの後任にはカンザスシティ・チーフス の選手人事部門責任者だったライアン・ポールズが就任した。HCには、インディアナポリス・コルツ のDCだったマット・エバーフラスが就任した。
マット・エバープラスの時代
2022年 、シーズン最後まで10連敗を喫するなど成績は振るわず、地区最下位でプレーオフを逃し、リーグ全体でも最下位の勝率となり翌ドラフトの総合1位の指名権を得た。
2023年 、開幕から4連敗を喫して前年からの連敗を14とするも、5週目にワシントン・コマンダース を破って連敗を止めた[ 37] 。負け越してプレーオフを逃した。最下位に終わったカロライナ・パンサーズ から1年前に2024年ドラフトの一巡目の権利をトレードで得ていたため、2年連続しての総合1位に加え9位の指名権を手にすることになった。
2024年 も低迷し地区最下位でプレーオフを逃した。シーズン中の11月、エバープラスは解雇されてオフェンス・コーディネーターのトマス・ブランが暫定HCとなった。
文化
ステイリー・ダ・ベアー
モンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ
ベアーズの強力なディフェンス陣はしばしばモンスター・オブ・ザ・ミッドウェイ (Monsters of the Midway)と呼ばれていた。最初は1940年と1941年の圧倒的な強さのことを指していたが、第20回スーパーボウル で優勝した1985年にも同様の呼称をされ、以来ベアーズのディフェンス陣、特にラインバッカーを指すニックネームとなった。もともとは、エイモス・アロンゾ・スタッグ 率いるシカゴ大学 フットボールチームのニックネームであり、同大学キャンパスに隣接する「ミッドウェイ・プレイサンズ」という通り名から名付けられた。そのため、シカゴ・ミッドウェー国際空港 とは関係がない。
ベアーズのラインバッカーとして活躍した選手には、ビル・ジョージ (1952–1965)、ディック・バトカス (1965–1973)、マイク・シングレタリー (1981–1992)、ブライアン・アーラッカー (2000–2012)などがいる。
マスコット
チームの公式マスコットは、クマ のステイリー・ダ・ベアー (Staley Da Bear)である。名前は、元々のベアーズ創設者である農工業製品メーカーのA・E・ステイリー社から名付けられた。2003年に登場し、以来試合のみならず、チャリティーイベント、パーティー、シカゴ・ラッシュ (AFL 、2013年解散)の試合などに参加している。
チアリーダー
現在、ベアーズにはチアリーダーは存在しない[ 38] が、1970年代後半から1985年までシカゴ・ハニーベアーズ (Chicago Honey Bears)が活動していた。第20回スーパーボウル で優勝したのち、解散となった。
2024年シーズン
2024年シーズンのベアーズの対戦相手
AFC
NFC
前年
西地区
南地区
北地区
東地区
西地区
南地区
北地区
東地区
1位
チーフス
テキサンズ
レイブンズ
ビルズ
49ers
バッカニアーズ
ライオンズ
カウボーイズ
2位
レイダース
ジャガーズ
ブラウンズ
ドルフィンズ
ラムズ
セインツ
パッカーズ
イーグルス
3位
ブロンコス
コルツ
スティーラーズ
ジェッツ
シーホークス
ファルコンズ
バイキングス
ジャイアンツ
4位
チャージャーズ
タイタンズ
ベンガルズ
ペイトリオッツ
カージナルス
パンサーズ
ベアーズ
コマンダース
:1度対戦 :2度対戦
2024年シーズン及び過去20シーズンの成績
年
成績
NFC
地区
勝
敗
分
率
Div
Con
総得点
総失点
平均得点
平均失点
SOS
SOV
2024
レギュラー敗退
13位
4位
5
12
0
.294
1-5
3-9
310
370
18.2
21.8
.554
.388
2023
レギュラー敗退
11位
4位
7
10
0
.412
2–4
6–6
360
379
21.2
22.3
.464
.370
2022
レギュラー敗退
16位
4位
3
14
0
.176
0-6
1-11
326
463
19.2
27.2
.571
.480
2021
レギュラー敗退
13位
3位
6
11
0
.353
2-4
4-8
311
407
18.3
23.9
.524
.373
2020
ワイルドカード敗退
7位
2位
8
8
0
.500
2-4
6-6
372
370
23.3
23.1
.488
.336
2019
レギュラー敗退
8位
3位
8
8
0
.500
4-2
7-5
280
298
17.5
18.6
.508
.383
2018
ワイルドカード敗退
3位
1位
12
4
0
.750
5-1
10-2
421
283
26.3
17.7
.430
.419
2017
レギュラー敗退
15位
4位
5
11
0
.313
0-6
1-11
264
320
16.5
20.0
.559
.500
2016
レギュラー敗退
15位
4位
3
13
0
.188
2-4
3-9
279
399
17.4
24.9
.521
.396
2015
レギュラー敗退
13位
4位
6
10
0
.375
1-5
3-9
335
397
20.9
24.8
.547
.469
2014
レギュラー敗退
14位
4位
5
11
0
.313
1-5
4-8
319
442
19.9
27.6
.529
.338
2013
レギュラー敗退
8位
2位
8
8
0
.500
2-4
4-8
445
478
27.8
29.9
.465
.469
2012
レギュラー敗退
7位
3位
10
6
0
.625
3-3
7-5
375
277
23.4
17.3
.512
.403
2011
レギュラー敗退
7位
3位
8
8
0
.500
3-3
7-5
353
341
22.1
21.3
.527
.406
2010
カンファレンス敗退
2位
1位
11
5
0
.688
5-1
8-4
334
286
20.9
17.9
.473
.420
2009
レギュラー敗退
11位
3位
7
9
0
.438
3-3
5-7
327
375
20.4
23.4
.496
.321
2008
レギュラー敗退
9位
2位
9
7
0
.563
4-2
7-5
375
350
23.4
21.9
.475
.365
2007
レギュラー敗退
13位
4位
7
9
0
.438
2-4
4-8
334
348
20.9
21.8
2006
スーパーボウル敗戦
1位
1位
13
3
0
.813
5-1
11-1
427
255
26.7
15.9
2005
ディビジョナル敗退
2位
1位
11
5
0
.688
5-1
10-2
260
202
16.3
12.6
2004
レギュラー敗退
15位
4位
5
11
0
.313
2-4
4-8
231
331
14.4
20.7
2024年シーズン成績
NFC北地区 2024
チーム
勝
敗
分
勝率
Div
Con
総得点
総失点
平均得点
平均失点
SOS
SOV
(1) デトロイト・ライオンズ
15
2
0
.882
6-0
11-1
564
336
33.2
19.8
.516
.494
(5) ミネソタ・バイキングス
14
3
0
.824
4-2
9-3
432
332
25.4
19.5
.474
.408
(7) グリーンベイ・パッカーズ
11
6
0
.647
1-5
6-6
460
338
27.1
19.9
.533
.412
シカゴ・ベアーズ
5
12
0
.294
1-5
3-9
310
370
18.2
21.8
.554
.388
NFC 2024
順 位
チーム
地 区
勝
敗
分
勝率
DIV
CON
SOS
SOV
地区優勝
1
ライオンズ
北
15
2
0
.882
6-0
11-1
.516
.494
2
イーグルス
東
14
3
0
.824
5-1
9-3
.453
.424
3[ a]
バッカニアーズ
南
10
7
0
.588
4-2
8-4
.502
.465
4[ b] [ a]
ラムズ
西
10
7
0
.588
4-2
6-6
.505
.441
ワイルドカード
5
バイキングス
北
14
3
0
.824
4-2
9-3
.474
.408
6
コマンダース
東
12
5
0
.706
4-2
9-3
.436
.358
7
パッカーズ
北
11
6
0
.647
1-5
6-6
.533
.412
8[ b]
シーホークス
西
10
7
0
.588
4-2
6-6
.498
.424
9[ c]
ファルコンズ
南
8
9
0
.471
4-2
7-5
.519
.426
10[ c]
カージナルス
西
8
9
0
.471
3-3
4-8
.536
.404
11
カウボーイズ
東
7
10
0
.412
3-3
5-7
.522
.387
12
49ers
西
6
11
0
.353
1-5
4-8
.564
.402
13[ d]
ベアーズ
北
5
12
0
.294
1-5
3-9
.554
.388
14[ e] [ d]
パンサーズ
南
5
12
0
.294
2-4
4-8
.498
.329
15[ e]
セインツ
南
5
12
0
.294
2-4
4-8
.505
.306
16
ジャイアンツ
東
3
14
0
.176
0-6
1-11
.554
.412
タイブレーク
^ a b 対NFCでバッカニアーズがラムズを上回る
^ a b 勝利相手の勝率でラムズがシーホークスを上回り、地区優勝
^ a b 対NFCでファルコンズがカージナルスを上回る
^ a b 直接対決でベアーズがパンサーズに勝利
^ a b 勝利相手の勝率でパンサーズがセインツを上回る
成績
NFC北地区(2002年-現在)
年
地区優勝
2位
3位
4位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
2024
DET(1)
15
2
0
MIN(5)
14
3
0
GB (7)
11
6
0
CHI
5
12
0
2023
DET(3c)
12
5
0
GB (7d)
9
8
0
MIN
7
10
0
CHI
7
10
0
2022
MIN(3w)
13
4
0
DET
9
8
0
GB
8
9
0
CHI
3
14
0
2021
GB (1d)
13
4
0
MIN
8
9
0
CHI
6
11
0
DET
3
13
1
2020
GB (1c)
13
3
0
CHI(7w)
8
8
0
MIN
7
9
0
DET
5
11
0
2019
GB (2c)
13
3
0
MIN(6d)
10
6
0
CHI
8
8
0
DET
3
12
1
2018
CHI(3w)
12
4
0
MIN
8
7
1
GB
6
9
1
DET
6
10
0
2017
MIN(2c)
13
3
0
DET
9
7
0
GB
7
9
0
CHI
5
11
0
2016
GB (4c)
10
6
0
DET(6w)
9
7
0
MIN
8
8
0
CHI
3
13
0
2015
MIN(3w)
11
5
0
GB (5d)
10
6
0
DET
7
9
0
CHI
6
10
0
2014
GB (2c)
12
4
0
DET(6w)
11
5
0
MIN
7
9
0
CHI
5
11
0
2013
GB (4w)
8
7
1
CHI
8
8
0
DET
7
9
0
MIN
5
10
1
2012
GB (3d)
11
5
0
MIN(6w)
10
6
0
CHI
10
6
0
DET
4
12
0
2011
GB (1d)
15
1
0
DET(6w)
10
6
0
CHI
8
8
0
MIN
3
13
0
2010
CHI(2c)
11
5
0
GB (6v)
10
6
0
DET
6
10
0
MIN
6
10
0
2009
MIN(2c)
12
4
0
GB (5w)
11
5
0
CHI
7
9
0
DET
2
14
0
2008
MIN(3w)
10
6
0
CHI
9
7
0
GB
6
10
0
DET
0
16
0
2007
GB (2c)
13
3
0
MIN
8
8
0
DET
7
9
0
CHI
7
9
0
2006
CHI(1s)
13
3
0
GB
8
8
0
MIN
6
10
0
DET
3
13
0
2005
CHI(2d)
11
5
0
MIN
9
7
0
DET
5
11
0
GB
4
12
0
2004
GB (3w)
10
6
0
MIN(6d)
8
8
0
DET
6
10
0
CHI
5
11
0
2003
GB (4d)
10
6
0
MIN
9
7
0
CHI
7
9
0
DET
5
11
0
2002
GB (3w)
12
4
0
MIN
6
10
0
CHI
4
12
0
DET
3
13
0
NFC中地区(1970年-2001年)
GB:グリーンベイ・パッカーズ 、MIN:ミネソタ・バイキングス 、CHI:シカゴ・ベアーズ 、DET:デトロイト・ライオンズ 、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年
年
地区優勝
2位
3位
4位
5位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
2001
CHI(2d)
13
3
0
GB(4d)
12
4
0
TB(6w)
9
7
0
MIN
5
11
0
DET
2
14
0
2000
MIN(2c)
11
5
0
TB(5w)
10
6
0
GB
9
7
0
DET
9
7
0
CHI
5
11
0
1999
TB(2c)
11
5
0
MIN(4d)
10
6
0
DET(6)
8
8
0
GB
8
8
0
CHI
6
10
0
1998
MIN(1c)
15
1
0
GB(5w)
11
5
0
TB
8
8
0
DET
5
11
0
CHI
4
12
0
1997
GB(2s)
13
3
0
TB(4d)
10
6
0
DET(5w)
9
7
0
MIN(6d)
9
7
0
CHI
4
12
0
1996
GB(1v)
13
3
0
MIN(6w)
9
7
0
CHI
7
9
0
TB
6
10
0
DET
5
11
0
1995
GB(3c)
11
5
0
DET(5w)
10
6
0
CHI
9
7
0
MIN
8
8
0
TB
7
9
0
1994
MIN(3w)
10
6
0
GB(4d)
9
7
0
DET(5w)
9
7
0
CHI(6d)
9
7
0
TB
6
10
0
1993
DET(3w)
10
6
0
MIN(5w)
9
7
0
GB(6d)
9
7
0
CHI
7
9
0
TB
5
11
0
1992
MIN(3w)
11
5
0
GB
9
7
0
TB
5
11
0
CHI
5
11
0
DET
5
11
0
1991
DET(2c)
12
4
0
CHI(4w)
11
5
0
MIN
8
8
0
GB
4
12
0
TB
3
13
0
1990
CHI(4d)
11
5
0
TB
6
10
0
DET
6
10
0
GB
6
10
0
MIN
6
10
0
1989
MIN(3d)
10
6
0
GB
10
6
0
DET
7
9
0
CHI
6
10
0
TB
5
11
0
1988
CHI(1c)
12
4
0
MIN(4d)
11
5
0
TB
5
11
0
DET
4
12
0
GB
4
12
0
1987
CHI(2d)
11
4
0
MIN(5c)
8
7
0
GB
5
9
1
TB
4
11
0
DET
4
11
0
1986
CHI(2d)
14
2
0
MIN
9
7
0
DET
5
11
0
GB
4
12
0
TB
2
14
0
1985
CHI(1v)
15
1
0
GB
8
8
0
MIN
7
9
0
DET
7
9
0
TB
2
14
0
1984
CHI(3c)
10
6
0
GB
8
8
0
TB
6
10
0
DET
4
11
1
MIN
3
13
0
1983
DET(3d)
9
7
0
GB
8
8
0
CHI
8
8
0
MIN
8
8
0
TB
2
14
0
1982
GB(3d)
5
3
1
MIN(4d)
5
4
0
TB(7w)
5
4
0
DET(8w)
4
5
0
CHI
3
6
0
1981
TB(3d)
9
7
0
DET
8
8
0
GB
8
8
0
MIN
7
9
0
CHI
6
10
0
1980
MIN(3d)
9
7
0
DET
9
7
0
CHI
7
9
0
TB
5
10
1
GB
5
10
1
1979
TB(2c)
10
6
0
CHI(5w)
10
6
0
MIN
7
9
0
GB
5
11
0
DET
2
14
0
1978
MIN(3d)
8
7
1
GB
8
7
1
DET
7
9
0
CHI
7
9
0
TB
5
11
0
1977
MIN(3c)
9
5
0
CHI(4d)
9
5
0
DET
6
8
0
GB
4
10
0
TB
2
12
0
1976
MIN(1s)
11
2
0
CHI
7
7
0
DET
6
8
0
GB
5
9
0
1975
MIN(1d)
12
2
0
DET
7
7
0
CHI
4
10
0
GB
4
10
0
1974
MIN(s)
10
4
0
DET
7
7
0
GB
6
8
0
CHI
4
10
0
1973
MIN(s)
12
2
0
DET
6
7
1
GB
5
7
2
CHI
3
11
0
1972
GB(d)
10
4
0
DET
8
5
1
MIN
7
7
0
CHI
4
9
1
1971
MIN(d)
11
3
0
DET
7
6
1
CHI
6
8
0
GB
4
8
2
1970
MIN(d)
12
2
0
DET(d)
10
4
0
GB
6
8
0
CHI
6
8
0
NFL西カンファレンス・中地区(1967年-1969年)
GB:グリーンベイ・パッカーズ 、MIN:ミネソタ・バイキングス 、CHI:シカゴ・ベアーズ 、DET:デトロイト・ライオンズ
括弧内の文字はv:スーパーボウル(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム)優勝、s:スーパーボウル敗退・NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退
プレイオフは地区優勝チームのみ出場
年
地区優勝
2位
3位
4位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1969
MIN(s)
12
2
0
DET
9
4
1
GB
8
6
0
CHI
1
13
0
1968
MIN(c)
8
6
0
CHI
7
7
0
GB
6
7
1
DET
4
8
2
1967
GB(v)
9
4
1
CHI
7
6
1
DET
5
7
2
MIN
3
8
3
NFL西カンファレンス(1953年-1966年)
年
優勝
2位
3位
4位
5位
6位
7位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1966
GB(V)
12
2
0
BAL
9
5
0
LA
8
6
0
SF
6
6
2
CHI
5
7
2
DET
4
9
1
MIN
4
9
1
スーパーボウル開始
1965
GB(v)
10
3
1
BAL
10
3
1
CHI
9
5
0
SF
7
6
1
MIN
7
7
0
DET
6
7
1
LA
4
10
0
1964
BAL(n)
12
2
0
GB
8
5
1
MIN
8
5
1
DET
7
5
2
LA
5
7
2
CHI
5
9
0
SF
4
10
0
1963
CHI(v)
11
1
2
GB
11
2
1
BAL
8
6
0
DET
5
8
1
MIN
5
8
1
LA
5
9
0
SF
2
12
0
1962
GB(v)
13
1
0
DET
11
3
0
CHI
9
5
0
BAL
7
7
0
SF
6
8
0
MIN
2
11
1
LA
1
12
1
1961
GB(v)
11
3
0
DET
6
7
1
BAL
8
6
0
CHI
8
6
0
SF
7
6
1
LA
4
10
0
MIN
3
11
0
1960
GB(n)
8
4
0
DET
7
5
0
SF
7
5
0
BAL
6
6
0
CHI
5
6
1
LA
4
7
1
DAL
0
11
1
1959
BAL(v)
9
3
0
CHB
8
4
0
GB
7
5
0
SF
7
5
0
DET
3
8
1
LA
2
10
0
1958
BAL(v)
9
3
0
CHB
8
4
0
LA
8
4
0
SF
6
6
0
DET
4
7
1
GB
1
10
1
1957
DET(v)
8
4
0
SF
8
4
0
BAL
7
5
0
LA
6
6
0
CHB
5
7
0
GB
3
9
0
1956
CHB(n)
9
2
1
DET
9
3
0
SF
5
6
1
BAL
5
7
0
GB
4
8
0
LA
4
8
0
1955
LA(n)
8
3
1
CHB
8
4
0
GB
6
6
0
BAL
5
6
1
SF
4
8
0
DET
3
9
0
1954
DET(n)
9
2
1
CHB
8
4
0
SF
7
4
1
LA
6
5
1
GB
4
8
0
BAL
3
9
0
1953
DET(v)
10
2
0
SF
9
3
0
LA
8
3
1
CHB
3
8
1
BAL
3
9
0
GB
2
9
1
NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)
年
優勝
2位
3位
4位
5位
6位
7位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1952
DET(v)
9
3
0
LA
9
3
0
SF
7
5
0
GB
6
6
0
CHB
5
7
0
DAL
1
11
0
1951
LA(v)
8
4
0
DET
7
4
1
SF
7
4
1
CHB
7
5
0
GB
3
9
0
NYY
1
9
2
1950
LA(n)
9
3
x
CHB
9
3
x
NYY
7
5
x
DET
6
6
x
GB
3
9
x
SF
3
9
x
BAL
1
11
x
NFL西地区(1933年-1949年)
年
優勝
2位
3位
4位
5位
6位
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
チーム
勝
負
分
1949
LA(n)
8
2
2
CHB
9
3
0
CHC
6
5
1
DET
4
8
0
GB
2
10
0
1948
CHC(n)
11
1
0
CHB
10
2
0
LA
6
5
1
GB
3
9
0
DET
2
10
0
1947
CHC(v)
9
3
0
CHB
8
4
0
GB
6
5
1
LA
6
6
0
DET
3
9
0
1946
CHB(v)
8
2
1
LA
6
4
1
GB
6
5
0
CHC
6
5
0
DET
1
10
0
1945
CLE(v)
9
1
0
DET
7
3
0
GB
6
4
0
CHB
3
7
0
CHC
1
9
0
1944
GB(v)
8
2
0
CHI
6
3
1
DET
6
3
1
CLE
4
6
0
Card-Pitt
0
10
0
1943
CHB(v)
8
1
1
GB
7
2
1
DET
3
6
1
CHC
0
10
0
1942
CHB(n)
11
0
0
GB
8
2
1
CLE
5
6
0
CHC
3
8
0
DET
0
11
0
1941
CHB(v)
10
1
0
GB
10
1
0
DET
4
6
1
CHC
3
7
1
CLE
2
9
0
1940
CHB(v)
8
3
0
GB
6
4
1
DET
5
5
1
CLE
4
6
1
CHC
2
7
2
1939
GB(v)
9
2
0
CHB
8
3
0
DET
6
5
0
CLE
5
5
1
CHC
1
10
0
1938
GB(n)
8
3
0
DET
7
4
0
CHB
6
5
0
CLE
4
7
0
CHC
2
9
0
1937
CHB(n)
9
1
1
GB
7
4
0
DET
7
4
0
CHC
5
5
1
CLE
1
10
0
1936
GB(v)
10
1
1
CHB
9
3
0
DET
8
4
0
CHC
2
8
1
1935
DET(v)
7
3
2
GB
8
4
0
CHB
6
4
2
CHC
6
4
2
1934
CHB(n)
13
0
0
DET
10
3
0
GB
7
6
0
CHC
5
6
0
StL
1
2
0
CIN
0
8
0
1933
CHB(v)
10
2
1
POR
6
5
0
GB
5
7
1
CIN
3
6
1
CHC
1
9
1
NFL(1920年-1932年)
年
チ | ム 数
順 位
チーム
勝
負
分
順 位
チーム
勝
負
分
順 位
チーム
勝
負
分
順 位
チーム
勝
負
分
順 位
チーム
勝
負
分
順 位
チーム
勝
負
分
1932
8
1
CHB
7
1
6
2
GB
10
3
1
3
POR
6
2
4
4
BOS
4
4
2
5
NY
4
6
2
7
CHC
2
6
2
1931
10
1
GB
12
2
0
2
POR
11
3
0
3
CHB
8
5
0
4
CHC
5
4
0
5
NY
7
6
1
1930
11
1
GB
10
3
1
2
NY
13
4
0
3
CHB
9
4
1
7
CHC
5
6
2
8
POR
5
6
3
1929
12
1
GB
12
0
1
2
NY
13
1
1
4
CHC
6
6
1
9
CHB
4
9
2
1928
10
4
GB
6
4
3
5
CHB
7
5
1
6
NYG
4
7
2
9
CHC
1
5
0
1927
12
1
NYG
11
1
1
2
GB
7
2
1
3
CHB
9
3
2
9
CHC
3
7
1
1926
22
2
CHB
12
1
3
5
GB
7
3
3
6
NY
8
4
1
10
CHC
5
6
1
1925
20
1
CHC
11
2
1
4
NY
8
4
0
7
CHB
9
5
3
9
GB
8
5
0
1924
18
2
CHB
6
1
4
6
GB
7
4
0
8
CHC
5
4
1
1923
20
2
CHB
9
2
1
3
GB
7
2
1
6
CHC
8
4
0
1922
18
2
CHB
9
3
0
3
CHC
8
3
0
8
GB
4
3
3
1921
21
1
CHS
9
3
2
7
GB
7
2
1
9
CHC
3
3
2
1920
14
2
DEC
10
1
2
4
CHC
6
2
2
主な選手
現役選手
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブライン
ディフェンシブライン
ラインバッカー
ディフェンスバック
スペシャルチーム
December 12, 2024現在
永久欠番
シカゴ・ベアーズ 永久欠番 一覧
背番号
選手
ポジション
在籍期間
3
ブロンコ・ナグルスキー
Bronko Nagurski
FB , LB , T
1930–1937, 1943
5
ジョージ・マカフィー
George McAfee
LB , DB
1940–1941, 1945-1950
7
ジョージ・ハラス
George Halas
E
1920–1929
28
ウィリー・ガリモア
Willie Galimore
RB
1957–1963
34
ウォルター・ペイトン
Walter Payton
RB
1975–1987
40
ゲイル・セイヤーズ
Gale Sayers
RB , KR
1965–1971
41
ブライアン・ピッコロ
Brian Piccolo
RB , FB
1965–1969
42
シド・ラックマン
Sidney Luckman
QB , DB , P
1939–1950
51
ディック・バトカス
Dick Butkus
MLB
1965–1973
56
ビル・ヒューイット
Bill Hewitt
E
1932–1936
61
ビル・ジョージ
Bill George
MLB
1952–1965
66
ブルドッグ・ターナー
Bulldog Turner
C , LB
1940–1952
77
レッド・グレンジ
Red Grange
RB , DB
1925, 1929–1934
89
マイク・ディトカ
Mike Ditka
TE
1961–1966
プロフットボール殿堂入り
プロフットボール殿堂 入りメンバー一覧
選手
背番号
名前
ポジション
在籍期間
選出年
7
ジョージ・ハラス
George Halas
TE , DE
1920–1928
1963
-
創設者, オーナー, ヘッドコーチ
1920–1983
77
レッド・グレンジ
Harold (Red) Grange
HB , CB
1925, 1929–1934
1963
3
ブロンコ・ナグルスキー
Bronko Nagurski
HB , OT , LB
1930–1937, 1943
1963
13
ジョージ・トラフトン
George Trafton
C , DT
1920–1921, 1923–1932
1964
1, 15
ジミー・コンツェルマン
Jimmy Conzelman
QB
1920
1964
16
エド・ヒーリー
Ed Healey
OT , DT
1922–1927
1964
11
リンク・ライマン
William R. Lyman
OT , DT
1926–1928, 1930–1931, 1933–1934
1964
13, 23
ガイ・チェンバリン
Guy Chamberlin
End , DE
1920–1921
1965
1
パディ・ドリスコル
Paddy Driscoll
QB , DB , K
1926–1929
1965
-
ヘッドコーチ
1920–1922, 1956–1957
21
ダン・フォートマン
Dan Fortmann
OG , DT
1936–1943
1965
42
シド・ラックマン
Sid Luckman
QB , CB
1939–1950
1965
5
ジョージ・マカフィー
George McAfee
HB , DB
1940–1941, 1945–1950
1966
66
ブルドッグ・ターナー
Bulldog Turner
C , DT
1940–1952
1966
25
ウォルト・キースリング
Walt Kiesling
OG
1934
1966
13
ジョー・スタイダハー
Joe Stydahar
OT , DT
1936–1942, 1945–1946
1967
22
ボビー・レーン
Bobby Layne
QB
1948
1967
56
ビル・ヒューイット
Bill Hewitt
TE , DE
1932–1936
1971
61
ビル・ジョージ
Bill George
LB
1952–1965
1974
71
ジョージ・コナー
George Connor
OT , LB
1948–1955
1975
40
ゲイル・セイヤーズ
Gale Sayers
HB
1965–1971
1977
51
ディック・バトカス
Dick Butkus
LB
1965–1973
1979
16
ジョージ・ブランダ
George Blanda
QB , K
1949, 1950–1958
1981
16
ジョージ・ムッソ
George Musso
OT , G
1933–1944
1982
81
ダグ・アトキンス
Doug Atkins
DE
1955–1966
1982
89
マイク・ディトカ
Mike Ditka
TE
1961–1966
1988
-
ヘッドコーチ
1982–1992
82
アラン・ペイジ
Alan Page
DL
1978–1981
1988
78
スタン・ジョーンズ
Stan Jones
OT
1954–1965
1991
34
ウォルター・ペイトン
Walter Payton
HB
1975–1987
1993
50
マイク・シングレタリー
Mike Singletary
LB
1981–1992
1998
99
ダン・ハンプトン
Dan Hampton
DE
1979–1990
2002
95
リチャード・デント
Richard Dent
DE
1983–1993, 1995
2011
76
オーランド・ペース
Orlando Pace
OT
2009
2016
54
ブライアン・アーラッカー
Brian Urlacher
LB
2000–2012
2018
7
エド・スプリンクル
Ed Sprinkle
DE
1944–1955
2020
74
ジム・コバート
Jim Covert
OT
1983–1990
2020
コーチ・エグゼクティブ
名前
役職
在籍期間
選出年
ジム・フィンクス
Jim Finks
GM
1974–1982
1995
ブライアン・ピッコロ賞
ベアーズは毎シーズン、ルーキー選手1名、ベテラン選手1名にブライアン・ピッコロ賞という賞を授与している。これは、1970年に26歳で胚細胞癌のため亡くなったブライアン・ピッコロ (RB )の勇気、忠誠心、チームワーク、献身、ユーモアのセンスに敬意を表したものである。1970年に始まり、以降授賞式は毎年、本部のハラスホールで開催される。
Top 100 greatest Bears of all-time
オールタイムチーム
その他引退選手
現役選手
カリル・マック - リーグを代表するパスラッシャー。2018年チームに加入。
ダン・ハンプトン
ゲイル・セイヤーズ
マイク・シングレタリー
イラク駐留米軍を訪問したマクマーンと
ケビン・バトラー (英語版 )
ブライアン・アーラッカー
ギャラリー
歴代ヘッドコーチ
ジョージ・ハラス
ラルフ・ジョーンズ
ジャック・パーディー
マイク・ディトカ
デイブ・ウォンステッド
ラビー・スミス
脚注
注釈
^ 残りの8回はスーパーボウル 開催前の優勝
^ 初期のNFLチームでは、典型的なスタートであった
^ ハラスは1983年に亡くなるまでベアーズのオーナーを務め、NFL記録となる40シーズンに渡ってコーチを務めた
出典
外部リンク
球団 歴代本拠地 文化 永久欠番 リーグ優勝 (9回) カンファレンス優勝 (4回) 地区優勝 (21回) できごと 所属
ディケーター・ステイリーズ(1920)
シカゴ・ステイリーズ(1921) 1920年代 1930年代 1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
年代の分類は初先発のシーズンによる