ジェイド・ブロンソン・ノース (英語 : Jade Bronson North 、1982年 1月7日 - )は、オーストラリア 出身の元サッカー選手 。ポジションはディフェンダー (本職はセンターバック [ 6] [ 注 1] )。
Kリーグ 時代の登録名はジェイド (ハングル : 제이드)[ 8] 、Jリーグ 時代の登録名はジェイド・ノース [ 9] 。
元サッカーオーストラリア代表 。同国先住民アボリジニ の血を引く選手としては初めてのA代表選手であり[ 10] 、腕のタトゥー には部族の名を刻んでいる[ 11] 。
経歴
NSL・Aリーグ
ニューサウスウェールズ州 ・タリー (Taree ) に生まれ[ 4] [ 12] 、6歳の時にサッカーを始めた。11歳でクイーンズランド州 ・ブリスベン へ渡り[ 5] 、12歳の時にプロサッカー選手になることを決心した[ 12] 。
1998年 、ブリスベン・ストライカーズFC でプロデビュー[ 13] 。NSL で実績を重ね、2004年 にはU-23オーストラリア代表 として、アテネオリンピック に出場。ベスト8に進出した。
2005年 よりニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFC に加入し、同年より始まったAリーグ で活躍。2007年 6月に2年の契約延長をし[ 14] 、同年のシーズンでは主将を務め[ 15] [ 16] Aリーグ優勝に導いた[ 注 2] 。
2008年 、グラハム・アーノルド U-23オーストラリア代表監督から高いリーダー性を評価され[ 17] オーバーエイジ として、北京オリンピック に参加。同年8月、オリンピックを終えたタイミングでの国外移籍を図る[ 15] 。トルコ・ガラタサライSK などがノース獲得に動いたものの[ 15] 、ニューカッスルはガラタサライの提示を上回る違約金を要求し、撤退させた[ 16] 。
韓国・ノルウェー・日本
しかし、2年後のワールドカップ オーストラリア代表メンバー入りを目指す上で、ピム・ファーベーク 同国A代表監督からも国外でのプレーを勧められたことから[ 6] 2008年末にも移籍を模索し、2009年 より韓国・仁川ユナイテッドFC へ移籍。仁川での登録名は「ジェイド」。Kリーグ において、初のアジアクォーター制(アジア枠) の選手となった[ 18] 。
Kリーグでは序盤こそ出場機会を得られたが、自身にとって初めての海外移籍であり、異なる習慣、外国籍選手としてのプレッシャー、言葉の壁[ 注 3] 、粗悪な練習環境、サッカースタイルの違い[ 注 4] 、代表とチームとの往復などから適応に苦しみ[ 20] [ 21] 、退団を余儀なくされる。
2010年 2月、負傷中のケヴィン・ラーセン (Kevin Larsen ) に代わるDFを求めていたノルウェー・トロムソIL と6ヶ月契約を結び[ 21] 極寒の環境下で奮闘[ 22] 。ワールドカップには予備登録30名のメンバーに選出されるも[ 23] 、負傷もあって[ 24] 最終登録の23名には選外となった。トロムソからは慰留されたが[ 22] [ 24] Aリーグ復帰を選び、同年7月、ウェリントン・フェニックスFC に加入。退団したDFジョン・マケイン の後釜となり[ 25] [ 24] 、かつてニューカッスル・ジェッツでCBのパートナーとして共に活躍したDFアンドリュー・デュランテ (Andrew Durante ) と再びプレーすることとなった[ 24] [ 26] 。
2011年 2月、Jリーグ ・FC東京 のキャンプに練習生として参加し[ 27] 首脳陣から高評価を得た。当初は3月中の合流が予定されていたが、東北地方太平洋沖地震 の発生により、一時帰国(地震当時はメディカルチェック中だったとのこと[ 28] [ 11] )。同年4月になって加入が発表された[ 29] 。DF今野泰幸 ら[ 注 5] のバックアッパー として加入した[ 11] [ 31] ということもあって出場機会には恵まれなかったが、主力欠場の穴を埋めた。
シーズン後には、日本が施設やスタッフ、選手も含めていかにプロフェッショナルであるかを地元メディアに語るなど、Jリーグでのプレー継続を望んでいたところ[ 11] 、CBの補強が急務となっていたコンサドーレ札幌 [ 32] がノースの高さと速さを評価し[ 33] 、2012年 より札幌へ移籍[ 3] 。
札幌では守備陣を引き締め[ 34] 一定の安定感をもたらしはした[ 35] ものの、石崎信弘 監督が「(被セットプレーの時に競り合える選手が)ジェイド1人しかいない」と述べるように[ 36] 戦力は乏しく、ノースも「少しぐらいの痛みなら出続けたい」とコンディションが万全ではない中での出場を続けた[ 37] こともあって、堅守を築くことはできなかった。この年限りで日本を離れたが、Jリーグについては、ヨーロッパに多くの選手を輩出している点、2部リーグ(J2)でもある程度強さを持つ点、普及プログラムが充実している点を挙げ、アジアでは群を抜いてベストのリーグだと評価している[ 38] 。
Aリーグ復帰
2013年 1月、ブリスベン・ロアーFC へ完全移籍[ 39] 。2016年までの契約を結んだ[ 7] 。ブリスベンに戻ってきた最大の理由として、自身の経験を還元し、FFA による先住民のためのサッカープログラムを支援することを挙げている[ 13] 。同年7月、東アジアカップ に出場。韓国及び日本でのプレー経験を持ち、両国サッカーを熟知するとして[ 40] 、中心選手に位置付けられた[ 41] 。
翌2013-14シーズン は、マット・スミス (Matt Smith ) とCBでコンビを組み[ 42] [ 43] 、リーグ最小失点での優勝を果たした。
2016年2月20日、第20節パース・グローリー 戦でNSL・Aリーグ通算300試合出場達成[ 44] 。同シーズンは自身初のリーグベストイレブンに選ばれた[ 45] 。同年7月上旬のNAIDOCウィーク [ 注 6] では、スポーツパーソン・オブ・ザ・イヤー に選出された[ 46] [ 12] 。
個人成績
国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ
リーグ戦
オープン杯
期間通算
出場 得点
出場 得点
出場 得点
オーストラリア
リーグ戦
FFA杯
期間通算
1998-99
ブリスベンS
NSL
12
1
1999-00
20
2
2000-01
16
0
2001-02
シドニーO
28
3
2002-03
32
0
2003-04
パース
22
0
2005-06
ニューカッスル
3
Aリーグ
21
0
2006-07
18
1
2007-08
25
0
2008-09
16
1
韓国
リーグ戦
FA杯
期間通算
2009
仁川
6
Kリーグ
9
0
ノルウェー
リーグ戦
ノルウェー杯
期間通算
2010
トロムソ
4
ティッペリーガ
6
0
2
0
ニュージーランド
リーグ戦
オープン杯
期間通算
2010-11
ウェリントン
15
Aリーグ
19
0
日本
リーグ戦
リーグ杯
期間通算
2011
FC東京
36
J2
4
0
-
4
0
2012
札幌
3
J1
21
0
2
0
23
0
オーストラリア
リーグ戦
FFA杯
期間通算
2012-13
ブリスベンR
13
Aリーグ
10
0
-
10
0
2013-14
22
1
-
22
1
2014-15
19
0
2
0
21
0
2015-16
29
3
1
0
30
3
2016-17
通算
オーストラリア
NSL
130
6
オーストラリア ニュージーランド
Aリーグ
179
6
3
0
182
6
韓国
Kリーグ
9
0
ノルウェー
ティッペリーガ
6
0
2
0
日本
J1
21
0
2
0
23
0
日本
J2
4
0
-
4
0
総通算
349
12
7
0
356
6
その他の公式戦
2005年 - Aリーグ チャレンジカップ 3試合0得点
2006年 - Aリーグ チャレンジカップ 5試合1得点
2007年 - Aリーグ チャレンジカップ 4試合0得点
2013年 - AFCチャンピオンズリーグ2013#プレーオフ 1試合0得点
出場歴
代表歴
出場大会など
U-17オーストラリア代表
U-20オーストラリア代表
U-23オーストラリア代表
オーストラリア代表
オーストラリア代表でのノース
試合数
国際Aマッチ 41試合(2002年-2013年)[ 48]
オーストラリア代表 国際Aマッチ
年 出場 得点
2002
4
0
2003
0
0
2004
6
0
2005
1
0
2006
3
0
2007
1
0
2008
8
0
2009
5
0
2010
3
0
2011
3
0
2012
5
0
2013
2
0
通算
41
0
タイトル
シドニー・オリンピックFC
パース・グローリーFC
オーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ:1回(2003-04[ 5] )
ニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFC
FC東京
ブリスベン・ロアーFC
Aリーグレギュラーシーズン:1回(2013-14)
Aリーグチャンピオンシップ:1回(2013-14)
オーストラリア代表
個人
関連書籍
Maynard, John (2012). 「The Aboriginal Soccer Tribe: A History of Aboriginal Involvement With the World Game」 . Bookland Press. p. 192. ISBN 978-1926956336
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
タイトル・受賞歴 2000年代 2010年代
10-11: フラニッチ ,スミス ,デヴィア ,カッシオ
11-12: マローン ,ズワンズワイク ,ローズ
12-13: ポレンツ ,セインズベリー ,トパー=スタンリー ,トラオレ
13-14: フラニッチ ,スミス ,スピラノビッチ ,トラオレ
14-15: エルリッチ ,デルピエール ,デュランテ ,ジェイミーソン
15-16: リスドン ,ノース ,デルピエール ,ジェイミーソン
16-17: グラント ,ウィルキンソン ,ヤコブセン ,ズロ
17-18: ウィルクシャー ,ウィルキンソン ,ウィリアムズ ,ズロ
18-19: グラント ,スヘンケフェルト ,デビッドソン ,ラウリー
19-20: グラント ,ウィルキンソン ,ヤコブセン ,カカーチェ
2020年代
MVP - 得点王 - ベスト11(GK - DF - MF - FW )
前の受賞者ライアン・モーリッチ
NAIDOC スポーツパーソン・オブ・ザ・イヤー 2016
次の受賞者