スーザン・ヘイワード
スーザン・ヘイワード(Susan Hayward, 本名: Edythe Marrenner, 1917年6月30日 - 1975年3月14日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の女優である。 来歴祖父母はスウェーデンからの移民[1]。父はトラックの運転手。1917年(1918年または1919年説もある)にニューヨーク市ブルックリンに生まれる。 1937年、商業高校を卒業後に女優を夢見てモデルを経て、ハリウッドに移る。この時期、『風と共に去りぬ』のオーディションも受け最終選考まで残っているが、役を得ることは出来なかった。しかし徐々に映画に出演しはじめ、1939年には『ボー・ジェスト』でゲイリー・クーパーの相手役にキャスティングされ、実質的なデビューを果たす。その後は、映画会社を渡り歩き、多くのB級映画に出演したが、いずれも男優の添え物扱いという不遇な時期を過ごす。だがその後は順調にキャリアを重ね、人気女優となった。赤毛の髪の毛がトレードマークで、美しさはハリウッド一と言われた。1952年にはハリウッドの外人記者協会が「世界で最も愛すべきスター」の女優部門に彼女を選んでいる。 1947年の『スマッシュ・アップ』で初めてアカデミー賞にノミネート。その後、『愚かなり我が心』、『我が心に歌えば』、『明日泣く』 でもノミネートされたが受賞にまでは至らなかった。 1955年の『明日泣く』でカンヌ国際映画祭 女優賞を受賞。1958年に『私は死にたくない』で実在した女囚を演じアカデミー主演女優賞を受賞した。受賞時のインタビューでは作品名にかけて「私はこのまま死んでしまいたい」と言って笑わせた。 プライベート私生活では1944年にジェス・バーガーと結婚。双子を出産するが、1953年に離婚。1955年には睡眠薬自殺をはかったが命は取り留めている。1957年に弁護士のEaton Chalkleyと再婚するが、1966年に彼は病死した。 1971年に脳腫瘍の兆候が現れ入院する。その際複数の癌の病変も発見されたが、彼女は手術を拒否して投薬等での治療を続けた。しかし1974年には症状が悪化し、7月に脳腫瘍の手術を受けた。その後も容体は好転せず、1975年3月にカリフォルニア州で死去した。 主な出演作品
関連書籍
脚注
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