デイヴィッド・カヴァデール [ 注釈 1] (David Coverdale、1951年 9月22日 - )は、イングランド 出身、アメリカ合衆国 籍(2007年3月帰化)のロック ミュージシャン 、シンガーソングライター 。身長179cm。
ハードロック バンド『ディープ・パープル 』の3代目ヴォーカリスト として活動。脱退後にHR/HM バンド『ホワイトスネイク 』を結成し、長年にわたり主宰を務めている[ 1] 。
略歴
イングランド 中部のヨークシャーに生まれる。少年の頃からロックンロールに興味を持ち、1965 年に「ヴィンテージ 67」というセミプロのバンドを結成した。ヴィンテージ67はディープ・パープルの前座を務めたこともあった[ 注釈 2] が、その後解散。彼はブティックの店員をしながら音楽活動を続けた。
1973年 、たまたま見たディープ・パープルのヴォーカリスト募集の広告に応募。オーディションでビートルズ の「イエスタデイ 」を歌い、リッチー・ブラックモア 達に気に入られ合格。イアン・ギラン の後任の3代目ヴォーカリストとして、第3期ディープ・パープルでデビューした[ 3] 。
1976年 、第4期ディープ・パープルの状況に絶望を感じて脱退し[ 4] [ 注釈 3] 、ソロ・アルバムを2枚製作。1977年 に「ホワイトスネイク 」を結成。翌年には元ディープ・パープルのキーボーディスト のジョン・ロード が加入。さらに1980年 には元ディープ・パープルのドラマー のイアン・ペイス が加入し、バンドのパワーを向上させた。ホワイトスネイクは、まず本国イギリスと日本 で人気に火が付いた。そして1987年 のアルバム『白蛇の紋章〜サーペンス・アルバス 』がアメリカ で大ヒットし、彼等は名実ともに世界的なスーパーグループ となった[ 6] 。
1993年 には元レッド・ツェッペリン のギタリスト、ジミー・ペイジ と共に「カヴァデール・ペイジ 」としてアルバムを発表、大きな話題を呼んだ。
2000年 9月、22年ぶりのソロ・アルバム『イントゥ・ザ・ライト』を発表。2002年 12月に、ホワイトスネイクを再結成して、欧米ツアーを行った。2008年 に、ホワイトスネイク名義のアルバム『グッド・トゥ・ビー・バッド 』を発表。2011年 に、アルバム『フォーエヴァーモア 』を発表。2012年 ラスベガスで開催されたThe Vegas Rocks! Magazine Awardsのイベントで「Lifetime Achievement in Rock N' Roll」を受賞。
2015年 4月、ディープ・パープル在籍時代の曲をセルフカバーしたホワイトスネイク名義のアルバム『ザ・パープル・アルバム 』を発表[ 7] 。
2016年、ディープ・パープルがロックの殿堂 入りを果たし、カヴァデールは8名の受賞者に含まれた[ 8] [ 注釈 4] [ 9] [ 10] 。
エピソード
1987年当時
2019年
カヴァデールがディープ・パープル加入に際し、ダイエットし美容整形 を受けることを条件にされたのは有名な話である。今でこそ男の色気を漂わして、一時はセックスシンボル とも称されたが、加入前は太って服のセンスは最悪、ニキビ面で斜視 といった有様だった。ブラックモアは彼の声を気に入ったが容姿には頭を抱えた様である。一説では、彼はダイエット専門クリニックに入院させられて覚醒剤の一種であるアンフェタミン を処方されたと言われる。真偽のほどは不明。
この後も彼は美容整形を何回か行なっているようで、ホワイトスネイク時代の宣材写真を見ると頬の辺りが微妙に変わっていることがわかる。本人は美容整形の事実を隠しておらず公にしている。また1980年代 の半ばより金髪 に染髪 しており、現在では彼の名前からは直ぐに金髪が連想されるが、ディープ・パープルやホワイトスネイク初期の写真を見ればわかる通り、本来は黒髪である。
ブラックモアとは長らく仲違いしていたが、現在は完全和解している。
2007年3月1日にアメリカ合衆国 ネバダ州 リノ にてアメリカ国籍を取得し帰化した。
ディスコグラフィ
ソロ
『ホワイトスネイク』 - White Snake (1977年)
『嵐の叫び』 - Northwinds (1978年)
『イントゥ・ザ・ライト』 - Into the Light (2000年)
カヴァーデイル・ペイジ
ホワイトスネイク
ディープ・パープル
脚注
注釈
^ デイヴィッド・カヴァーデイル 、デヴィッド・カヴァ(ー)デイル の表記もある。
^ 彼が在籍していたThe Governmentというバンドは、1968年にシェフィールド で第1期ディープ・パープルの前座を務めたことがあった。
^ 1976年3月、イングランド・ツアー最終日の15日にリヴァプール・エンパイア・シアター (英語版 ) で行なわれたコンサートの後、ジョン・ロード に脱退を宣言すると、既に解散を決意していたロードに「脱退しなければならないバンドなどないよ」と言われた。
^ 第1期から第3期までの総勢9名のメンバーのうち、第1期のニック・シンパー を除いた8名。
出典
引用文献
Popoff, Martin (2016). The Deep Purple Family Year By Year Volume One (to 1979) . Bedford, England: Wymer Publishing. ISBN 978-1-908724-42-7
関連項目
外部リンク
現メンバー 旧メンバー
スタジオ・アルバム ミニ・アルバム ライヴ・アルバム コンピレーション・アルバム 関連バンド 関連項目
カテゴリ
現メンバー 旧メンバー 旧ツアー・メンバー スタジオ・アルバム ライヴ・アルバム コンピレーション・アルバム 主な楽曲 関連バンド 関連項目
カテゴリ