マシュー・デリック・ウィリアムズ(Matthew Derrick "Matt" Williams , 1965年11月28日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州インヨー郡ビショップ出身の元プロ野球選手(三塁手)、野球指導者。右投右打。
祖父のバート・グリフィス(英語版)は、1922年から1924年までブルックリン・ドジャース(現・ロサンゼルス・ドジャース)とワシントン・セネタース(現・ミネソタ・ツインズ)で一塁手や外野手としてプレーした。
経歴
プロ入り前
高校卒業時の1983年のMLBドラフト27巡目(全体664位)でニューヨーク・メッツから指名されたが、この時は入団せずにネバダ大学ラスベガス校に進学した。1985年には第14回日米大学野球選手権のアメリカ合衆国代表に選ばれ、左投手3人(西川佳明、園川一美、猪俣隆)から本塁打を放っている[1]。
プロ入りとジャイアンツ時代
1986年のMLBドラフト1巡目(全体3位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、入団。翌1987年4月11日にメジャーデビューを果たした。当初3シーズンはケビン・ミッチェル(のちダイエーでもプレイ)が三塁を守っており、遊撃手を守る機会も多かったが、ミッチェルが左翼手に転向した1989年のシーズン後半には三塁の定位置を確保。このシーズン84試合の出場で18本塁打、50打点を記録。オークランド・アスレチックスとのワールドシリーズにも出場した。
そして1990年に初のフルシーズンで159試合に出場。打率.277・33本塁打・122打点の成績を残し、打点王を獲得。チームとしては1988年のウィル・クラーク、1989年のミッチェルに次いで3年連続の打点王獲得となった。また、オールスターにも初出場を果たし、シルバースラッガー賞も受賞した。以後は三塁手に定着。その後も、1991年には34本塁打・98打点で、この年初のゴールドグラブ賞を受賞。
1992年は不振で打率.227、20本塁打、66打点に終わるが、1993年には打率.295・38本塁打・110打点と復調した。
1994年には開幕からホームランを量産したが、リーグ最多の43本塁打を記録した時点で1994年から1995年のMLBストライキによってシーズンが打ち切られてしまった。打ち切りが決定した時点で112試合の出場での43本塁打だったことから、仮にこのペースで本塁打を打ち続けると本来のシーズン終了時には61本塁打に到達して当時のメジャーリーグのシーズン最多本塁打記録(1961年、ニューヨーク・ヤンキースのロジャー・マリスの61本塁打)を更新する可能性もあった。
その1995年は故障のため76試合の出場に終わったが、それでも23本塁打、65打点と強打を発揮。
1996年も故障のため105試合の出場に終わるが、22本塁打・85打点を記録。
インディアンス時代
1997年にクリーブランド・インディアンスにトレードで移籍。この年は6月終了時点の打率は.235と低迷したが[2]、後半戦は復調し、8月13日からは自己最長の24試合連続安打を記録している[3]。最終的に151試合に出場し打率.263・32本塁打・105打点を記録しチームのワールドシリーズ進出に貢献。シリーズは第7戦までもつれこんだがフロリダ・マーリンズにサヨナラ負けし、ワールドチャンピオンはならなかった。
ダイヤモンドバックス時代
1997年オフ、自宅はフェニックスでシーズン中は子供たちと2回しか会えないのは不十分なため、自宅近くに新設されるアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍を志願し、それが駄目ならインディアンスに引退すると伝えた[3]。インディアンスのGMは1998年までの契約を延長しようと考えていたため交渉は難航したが、12月1日にダイヤモンドバックス側がトラビス・フライマン、トム・マーティン(英語版)に金銭300万ドルを加えた1対2のトレードで移籍[3]。そしてノー・トレード条項を盛り込んだ6年総額4,950万ドルの契約を結んだ[3]。
1998年は20本塁打・71打点に終わったが、1999年には自己最高の打率.302を記録。35本塁打・142打点を記録してオールスターにも出場。142打点は2007年終了時点でルイス・ゴンザレスとともにダイヤモンドバックスの球団タイ記録である[4]。以後は故障がちとなり、不本意な成績が続くが、2001年には球団創設4年目のチームがワールドシリーズに進出し、ニューヨーク・ヤンキースと対戦。最終戦までもつれ込んだが、4年前と逆にルイス・ゴンザレスのサヨナラヒットで念願のワールドチャンピオンに輝いた。
2002年シーズン終了後の11月22日にはラリー・ウォーカーとのトレードを拒否権を行使し残留[5]。6年契約を満了した2003年限りで現役を引退。
引退後
引退後はダイヤモンドバックスの株式を一部取得し、専属解説者を務める[6]。
2007年11月6日にサンフランシスコ・クロニクル紙が、2002年にウィリアムズに成長ホルモンの購入歴があると報じた。これに対し、ウィリアムズは「足首の怪我の治療のために、医師の処方に従って使用した」と弁明した[7]。
2009年11月、ダイヤモンドバックスの一塁コーチに就任。2011年からは新監督カーク・ギブソンの下、三塁コーチに異動。
2013年10月31日、ワシントン・ナショナルズの監督に就任することを発表した[8]。
就任一年目の2014年は96勝66敗とナ・リーグ最高勝率で地区優勝したが、ディビジョンシリーズでジャイアンツに敗れる。同年の最優秀監督賞を受賞した。
2015年は83勝79敗でナ・リーグ東地区2位の成績に終わり、地区優勝したメッツに7ゲーム差をつけられる。同年10月5日、監督解任が発表された[9]。
2015年11月11日、2016年シーズンより三塁コーチとしてダイヤモンドバックスへの復帰が発表された[10]が、1年で退任した。
2017年はNBCで解説者を務めた[11]。
2018年シーズンからはオークランド・アスレチックスの三塁コーチを務める[12]。
2020年シーズンからは韓国・起亜タイガースの監督に就任する。契約期間は3年[13]。2020年は6位、2021年は9位と2年連続でポストシーズン進出に失敗するなど成績が振るわず、2021年11月1日、双方合意の上に契約期間を1年残して契約解除と発表された[14]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1987
|
SF
|
84 |
266 |
245 |
28 |
46 |
9 |
2 |
8 |
83 |
21 |
4 |
3 |
3 |
1 |
16 |
4 |
1 |
68 |
5 |
.188 |
.240 |
.339 |
.578
|
1988
|
52 |
170 |
156 |
17 |
32 |
6 |
1 |
8 |
64 |
19 |
0 |
1 |
3 |
1 |
8 |
0 |
2 |
41 |
7 |
.205 |
.251 |
.410 |
.662
|
1989
|
84 |
311 |
292 |
31 |
59 |
18 |
1 |
18 |
133 |
50 |
1 |
2 |
1 |
2 |
14 |
1 |
2 |
72 |
5 |
.202 |
.242 |
.455 |
.697
|
1990
|
159 |
664 |
617 |
87 |
171 |
27 |
2 |
33 |
301 |
122 |
7 |
4 |
2 |
5 |
33 |
9 |
7 |
138 |
13 |
.277 |
.319 |
.488 |
.807
|
1991
|
157 |
635 |
589 |
72 |
158 |
24 |
5 |
34 |
294 |
98 |
5 |
5 |
0 |
7 |
33 |
6 |
6 |
128 |
11 |
.268 |
.310 |
.499 |
.809
|
1992
|
146 |
576 |
529 |
58 |
120 |
13 |
5 |
20 |
203 |
66 |
7 |
7 |
0 |
2 |
39 |
11 |
6 |
109 |
15 |
.227 |
.286 |
.384 |
.670
|
1993
|
145 |
619 |
579 |
105 |
170 |
33 |
4 |
38 |
325 |
110 |
1 |
3 |
0 |
9 |
27 |
4 |
4 |
80 |
12 |
.294 |
.325 |
.561 |
.886
|
1994
|
112 |
483 |
445 |
74 |
119 |
16 |
3 |
43 |
270 |
96 |
1 |
0 |
0 |
3 |
33 |
7 |
2 |
87 |
11 |
.267 |
.319 |
.607 |
.926
|
1995
|
76 |
318 |
283 |
53 |
95 |
17 |
1 |
23 |
183 |
65 |
2 |
0 |
0 |
3 |
30 |
8 |
2 |
58 |
8 |
.336 |
.399 |
.647 |
1.046
|
1996
|
105 |
455 |
404 |
69 |
122 |
16 |
1 |
22 |
206 |
85 |
1 |
2 |
0 |
6 |
39 |
9 |
6 |
91 |
10 |
.302 |
.367 |
.510 |
.877
|
1997
|
CLE
|
151 |
636 |
596 |
86 |
157 |
32 |
3 |
32 |
291 |
105 |
12 |
4 |
0 |
2 |
34 |
4 |
4 |
108 |
14 |
.263 |
.307 |
.488 |
.795
|
1998
|
ARI
|
135 |
557 |
510 |
72 |
136 |
26 |
1 |
20 |
224 |
71 |
5 |
1 |
0 |
1 |
43 |
8 |
3 |
102 |
19 |
.267 |
.327 |
.439 |
.766
|
1999
|
154 |
678 |
627 |
98 |
190 |
37 |
2 |
35 |
336 |
142 |
2 |
0 |
0 |
8 |
41 |
9 |
2 |
93 |
17 |
.303 |
.344 |
.536 |
.880
|
2000
|
96 |
397 |
371 |
43 |
102 |
18 |
2 |
12 |
160 |
47 |
1 |
2 |
0 |
3 |
20 |
1 |
3 |
51 |
11 |
.275 |
.315 |
.431 |
.746
|
2001
|
106 |
436 |
408 |
58 |
112 |
30 |
0 |
16 |
190 |
65 |
1 |
0 |
0 |
3 |
22 |
3 |
3 |
70 |
15 |
.275 |
.314 |
.466 |
.780
|
2002
|
60 |
238 |
215 |
29 |
56 |
7 |
2 |
12 |
103 |
40 |
3 |
1 |
0 |
2 |
21 |
1 |
0 |
41 |
8 |
.260 |
.324 |
.479 |
.803
|
2003
|
44 |
156 |
134 |
17 |
33 |
9 |
0 |
4 |
54 |
16 |
0 |
0 |
0 |
4 |
16 |
1 |
2 |
26 |
1 |
.246 |
.327 |
.403 |
.730
|
MLB:17年
|
1866 |
7595 |
7000 |
997 |
1878 |
338 |
35 |
378 |
3420 |
1218 |
53 |
35 |
9 |
62 |
469 |
86 |
55 |
1363 |
182 |
.268 |
.317 |
.489 |
.805
|
年度別監督成績
年度 |
チーム |
地区 |
年齢 |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
勝率 |
順位/ チーム数 |
備考
|
2014年 |
WSH |
NL EAST |
48 |
162 |
96 |
66 |
.593 |
1 / 5 |
地区優勝
|
2015年 |
WSH |
NL EAST |
49 |
162 |
83 |
79 |
.512 |
2 / 5 |
東地区2位
|
MLB:2年
|
324 |
179 |
145 |
.552 |
|
|
タイトル
表彰
記録
背番号
- 60(1987年 - 同年途中)
- 10(1987年途中 - 1988年)
- 9(1989年 - 2003年、2010年 - 2016年、2020年 - 2021年)
- 4(2018年 - 2019年)
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク
業績 |
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1870年代 | |
---|
1880年代 | |
---|
1890年代 | |
---|
1900年代 | |
---|
1910年代 | |
---|
1920年代 | |
---|
1930年代 | |
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
---|
1870年代 | |
---|
1880年代 | |
---|
1890年代 | |
---|
1900年代 | |
---|
1910年代 | |
---|
1920年代 | |
---|
1930年代 | |
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
|
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1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
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1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
|
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
|
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
|
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|
|
---|
球団 | |
---|
歴代本拠地 | |
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文化 | |
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永久欠番 | |
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ジャイアンツ球団殿堂 | |
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ワールドシリーズ優勝(08回) | |
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ワールドシリーズ敗退(12回) | |
---|
リーグ優勝(23回) | |
---|
できごと | |
---|
傘下マイナーチーム | |
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|
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- 金東燁 1982-1982.4.28
- 趙昌秀 1982.4.29-1982(代行)
- 金應龍 1983-2000
- 金城漢 2001-2004.7.26
- 柳南鎬 2004.7.27-2005.7.25
- 徐定煥 2005.7.26-2007
- 曺凡鉉 2008-2011
- 宣銅烈 2012-2014
- 金杞泰 2015-2019.5.16
- 朴興植 2019.5.17-2019(代行)
- マット・ウィリアムズ 2020-2021
- 金鍾国 2022-2023
|