上牧町(かんまきちょう)は、奈良県北葛城郡の町。奈良県の北西部に位置する。
地理
奈良盆地の西部、馬見丘陵のほぼ中心に位置する。奈良市へは北東約20km、大阪市へは約25kmの距離にある。
町域・郵便番号
- 639-0201 片岡台 (かたおかだい) 1丁目~3丁目
- 639-0215 葛城台 (かつらぎだい) 1丁目~5丁目
- 639-0214 上牧 (かんまき)
- 639-0202 桜ケ丘 (さくらがおか) 1丁目~3丁目
- 639-0205 下牧 (しもまき)
- 639-0205 下牧 (しもまき) 1丁目~7丁目
- 639-0216 松里園 (しょうりえん) 1丁目~3丁目
- 639-0211 滝川台 (たきがわだい) 1丁目~2丁目
- 639-0203 友が丘 (ともがおか) 1丁目~2丁目
- 639-0217 中筋出作 (なかすじしゅつさく)
- 639-0212 服部台 (はっとりだい) 1丁目~5丁目
- 639-0204 緑ケ丘 (みどりがおか) 1丁目~2丁目
- 639-0213 米山台 (よねやまだい) 1丁目~6丁目
- 639-0206 ゆりが丘 (ゆりがおか) 1丁目
- 639-0218 ささゆり台 (ささゆりだい) 1丁目~3丁目
人口
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上牧町と全国の年齢別人口分布(2005年)
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上牧町の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 上牧町 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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上牧町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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4,483人
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1975年(昭和50年)
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11,499人
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1980年(昭和55年)
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16,452人
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1985年(昭和60年)
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18,826人
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1990年(平成2年)
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21,336人
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1995年(平成7年)
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23,811人
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2000年(平成12年)
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24,005人
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2005年(平成17年)
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24,953人
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2010年(平成22年)
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23,728人
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2015年(平成27年)
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22,054人
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2020年(令和2年)
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21,714人
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総務省統計局 国勢調査より
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奈良県統計
- 2007年10月1日現在 : 24,475人
- 人口増加率(2002年→2007年) : -1.0%
歴史
古代、大和国葛下郡の地。
「上牧」の名の由来は、当町が緩やかな丘陵地帯で放牧に適した土地であったことからその名がついたとされている。戦国期には下牧地区に片岡城が築かれた。
上牧村は元和5年から明治4年まで大和郡山藩領であり、享保9年の『郷鑑』によると、村高801石8斗6升3合、新村・五軒屋・三軒屋・「穢東山」の各枝郷を有している[1]。1889年の市制町村制実施により、上牧村・下牧村・中筋出作方が合併し、上牧村が誕生すると、東山村は葛下郡上牧村大字上牧の一集落となる[注 1]。同地には18世紀後半から農業以外に博労や大和川水運の積荷運送に携わる人々が増加しており、幕末には履物の生産が始まっていた[1]。その人口増加率をみると、享保9年の人口は146名であったのが、約140年後の1867年には731名、1873年には146戸766名と、約5倍に増加した[1]。
1960年代より西大和ニュータウンの開発が始まり、西名阪道路の開通も相まって、人口が急増。近年では友が丘・緑ケ丘・葛城台などの新しい住宅地も開発されているが、先述の西大和ニュータウン区域(特に開発が早かった片岡台周辺)では住民が高齢化しており、人口そのものはほぼ横ばい状態となっている。しかし、人口密度は依然高く、奈良県で大和高田市に次いで第二位である。
沿革
- 1869年(明治2年)6月 - 版籍奉還により、上牧村・下牧村の2村と中筋出作が、それまでの郡山藩に引き続き、郡山県の治下に入る。
- 1871年(明治4年)11月 - 廃藩置県により、奈良県が成立。上牧村・下牧村と中筋出作は奈良県葛下郡の下に置かれる。
- 1888年(明治21年)8月 - 県から町村合併案を示されるが、上牧村は片岡村(北は上牧村から南は良福寺村まで)となり、下牧村は王寺村となっていたことに両村が反対。上牧・下牧・中筋出作の合併案を上申した。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、前記上申通り、葛下郡上牧村・下牧村・中筋出作の区域をもって上牧村が発足。村役場として、それまでの戸長役場(大字上牧378番地)があてられる。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 葛下郡上牧村の所属郡が北葛城郡に変更。
- 1919年(大正8年)9月 - 上牧村役場が大字上牧378番地(南上牧)から大字上牧1875番地(三軒屋)に移転する。
- 1953年(昭和28年)4月 - 村が財政再建団体に指定される。
- 1972年(昭和47年)12月1日 - 上牧村が町制施行して上牧町となる。
- 1975年(昭和50年)8月 - 町役場新庁舎が現在の場所に開庁する。
町域の変遷
明治22年 |
明治29年 |
昭和47年 |
現在
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奈良県
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葛下郡 |
北葛城郡
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上牧村 |
上牧町
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行政
なお、衆議院議員選挙の選挙区は「奈良県第2区」[4]、奈良県議会議員選挙の選挙区は「北葛城郡選挙区」(定数:3)となっている[5]。
経済
産業
奈良県でも有数の部落である上牧北方の主な産業は、草履や鼻緒の製造だった[6]。また農業もあったが、おおかたは小さい小作農民で、その耕作地の8割ほどは隣村上中の大地主・黒松家の小作地だった[7]。
商業施設
- ※2013年10月11日「アピタ西大和」としてオープン[8]。県内では大和郡山店(大和郡山市田中町)に次いで2店目。
※2019年11月26日ラスパ西大和に改称
金融機関
- ※平成26年8月に服部台から移転。
日本郵政グループ
(※2014年6月現在)
- 日本郵便株式会社
- 西大和片岡台郵便局(片岡台) - ゆうちょ銀行ATMのホリデーサービス実施局。
- 西大和まきのは郵便局(下牧) - ゆうちょ銀行ATMのホリデーサービス実施局。
- 上牧簡易郵便局(上牧)
- 上牧西簡易郵便局(中筋出作)
上牧町内全域の集配業務は香芝郵便局(香芝市下田西)が担当している。
地域
教育
高等学校
中学校
小学校
特別支援学校
かつて存在した団体
- 上牧水平社 - 1922年[注 2]、西念寺を会場に創立大会が開かれる[6]。当時の中心的な同志は森岡定太郎、服部明治、森下清一、此原清八、藤本勝三郎、水原謙三郎、杉浦由松などであった[7]。
隣接する自治体
交通
鉄道
バス
道路
2017年3月31日時点で町内にガソリンスタンドは存在せず [1]、給油の際は近隣市町に行く必要がある。
有料道路
県道
著名な出身者
政治・経済
芸能
スポーツ
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
主な宗教施設
神社
寺院
城跡
その他観光スポット
脚注
注釈
- ^ 延宝8年の上牧村年貢免定に72石8斗8升7合の皮多高が記載されているのが東山村の史料上の初見である[1]。
- ^ 創立大会が開かれた年月は『部落25(1)(296)』では「1923年4月」とある[7]。
出典
参考文献
- 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『部落(43)』部落問題研究所出版部、1953年。
- 『部落25(1)(296)』部落問題研究所出版部、1973年。
- 部落問題研究所編『水平運動の無名戦士』部落問題研究所出版部、1973年。
- 『人権と部落問題 62(11)(806)特別号 2010・9』部落問題研究所、2010年。
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
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