山辺郡(やまべぐん)は、奈良県(大和国)の郡。
人口2,913人、面積66.52km²、人口密度43.8人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
下記の1村を含む。
郡域
1880年(明治13年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
- 奈良市の一部(都祁馬場町、荻町以南[1]および月ヶ瀬嵩)
- 大和郡山市の一部(新庄町)
- 天理市の大部分(櫟本町・和爾町・楢町・森本町・蔵之庄町・中之庄町・柳本町・渋谷町・檜垣町・遠田町・海知町・武蔵町を除く)
- 桜井市の一部(修理枝)
- 宇陀市の一部(室生三本松、室生大野、室生向淵以北)
- 山添村の大部分(室津・松尾・桐山・峰寺・的野・北野[2]を除く)
歴史
古代
郷
『和名類聚抄』に記される郡内の郷。
- 都介
- 星川(保之加波)
- 服部(波止利)
- 長屋(奈加也)
- 石成(以之奈利)
- 石上(伊曽乃加美)
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
神名帳
|
比定社
|
集成
|
社名
|
読み
|
格
|
付記
|
社名
|
所在地
|
備考
|
山辺郡 13座(大7座・小6座)
|
大和坐大国魂神社 三座 |
オホヤマト- |
並名神大 |
月次相嘗新嘗 |
大和神社 |
奈良県天理市新泉町 |
|
[1]
|
石上坐布留御魂神社 |
イソノカミノ-フツノミタマノ |
名神大 |
月次相嘗新嘗 |
石上神宮 |
奈良県天理市布留町 |
|
[2]
|
都祁水分神社 |
ツケノミコマリノ |
大 |
月次新嘗 |
都祁水分神社 |
奈良県奈良市都祁友田町 |
|
[3]
|
山辺御県坐神社 |
ヤマヘノミアカタノ- |
大 |
月次新嘗 |
(論)山邊御縣神社 |
奈良県天理市別所町 |
|
[4]
|
(論)山邊御縣神社 |
奈良県天理市西井戸堂町 |
|
白堤神社 |
シラツツミノ |
小 |
|
白堤神社 |
奈良県天理市長柄町 |
|
|
夜都伎神社 |
ヤフキノ |
小 |
|
(論)夜都伎神社 |
奈良県天理市乙木町 |
|
|
(論)十二神社 |
奈良県天理市竹之内町 |
|
(論)八剣神社 |
奈良県天理市田井庄町 |
|
都祁山口神社 |
ツケノヤマクチノ |
大 |
月次新嘗 |
(論)都祁山口神社 |
奈良県奈良市都祁小山戸町 |
|
[5]
|
(論)都祁山口神社 |
奈良県天理市杣之内町 |
|
祝田神社 |
ハフリタノ |
小 |
|
祝田神社 |
奈良県天理市田部町 |
|
|
石上市神社 |
イハカミイチノ イソノカミ- |
小 |
|
石上市神社 |
奈良県天理市石上町 |
|
|
下部神社 |
シモベノ |
小 |
|
下部神社 |
奈良県奈良市都祁吐山町 |
|
|
出雲建雄神社 |
イツモタケヲノ |
小 |
|
(論)出雲建雄神社 |
奈良県天理市布留町 |
石上神宮境内摂社 |
|
(論)葛神社 |
奈良県奈良市藺生町 |
|
凡例を表示
|
近世
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は奈良奉行が管轄。●は村内に寺社領が、○は村内に寺社除地[3]が存在。(147村)
幕末の知行
知行
|
村数
|
村名
|
幕府領
|
幕府領
|
24村
|
筑紫村、○吉田村(現・天理市)、○長柄村、小田中村、○東井戸堂村、西井戸堂村、○九条村、○永原村、○木堂村、備前村、○吐山村、○古向淵村[4]、新向淵村、上笠間村、○萱生村、指柳村、富堂村、杉本村、田井庄村、前栽村、小島村、小路村、○田村、○布留村
|
旗本領
|
25村
|
○守目堂村、○上津村、○下津村、大西村、春日村、広代村、中之庄村、中峯山村、吉田村(現・山添村)、○平等坊村、喜殿村、合場村、新庄村、○葛尾村[5]、○鵜山村、針ヶ別所村、○南之庄村、○小原村、○菅生村、○相河村、中豊前村、堂前村、助命村、遅瀬村、片平村
|
幕府領・旗本領
|
1村
|
上総村
|
藩領
|
伊勢津藩
|
55村
|
○杉原村、○大塩村、嵩村、獺瀬村、広瀬村、○岩屋村、毛原村、下笠間村、深野村、長瀬下村、長瀬中村、長瀬上村、髭無村、古大野村、大野上村、大野下村、緑川村、清水村、○無山村、○多田村、○染田村、○北白石村、○南白石村、○小山戸村、○馬場村、下山田村、福路寺村、○上山田村、中定村、浄土村、別所村[6]、下入田村、上入田村、南田村、井ノ市村[7]、小野味村、西針村、○東針村、○小倉村、上深川村、下深川村、切幡村、○勝原村[8]、三ヶ谷村、○箕輪村、○伏拝村、丹波市村、○福知堂村、○川原城村、三島村、○庄屋敷村、○別所村、○田部村、●○石上村[9]、岩屋ヶ谷村
|
伊勢久居藩
|
15村
|
上荻村、中荻村、下荻村、長滝村、上仁興村、下仁興村、苣原村、藺生村、○来迎寺村、豊井村、桃ノ尾村、○友田村、針ノ尾村、○甲岡村、○豊田村
|
大和芝村藩
|
9村
|
○岸田村、○新泉村、○兵庫村、○乙木村、○山口村、○勾田村、御経野村、藤井村、内馬場村
|
大和柳生藩
|
7村
|
南柳生村、六条村[10]、稲葉村、荒蒔村、上庄村、嘉幡村、庵治村
|
大和柳本藩
|
4村
|
成願寺村、○中山村、○佐保庄村、○修理枝村
|
津藩・柳生藩
|
1村
|
中村[11]
|
津藩・柳本藩
|
1村
|
○三昧田村
|
幕府領・藩領
|
幕府領・芝村藩
|
1村
|
○園原村[12]
|
幕府領・柳生藩
|
1村
|
○竹之内村
|
旗本領・柳生藩
|
1村
|
岩室村
|
その他
|
寺社領
|
1村
|
○熊橋村
|
寺社除地
|
1村
|
内山村
|
近現代
町村制以前
- 慶応4年
- 明治4年
- 明治8年(1875年)(124村)
- 上津村・下津村が合併して西波多村となる。
- 長瀬下村・長瀬中村・長瀬上村・髭無村・古大野村が合併して三本松村となる。
- 大野上村・大野下村・緑川村が合併して大野村となる。
- 北白石村・南白石村が合併して白石村となる。
- 下山田村・福路寺村・上山田村が合併して山田村となる[14]。
- 中定村・浄土村・別所村・下入田村・上入田村・南田村・井ノ市村・小野味村が合併して福住村となる。
- 西針村・東針村が合併して針村となる。
- 上荻村・中荻村・下荻村が合併して荻村となる。
- 中豊前村が中峯山村に、獺瀬村が遅瀬村にそれぞれ合併[15]。
- 清水村が吐山村に合併。
- 明治9年(1876年)(121村)
- 4月18日 - 第2次府県統合により堺県の管轄となる。
- 杉原村が添上郡北野奥村・北野西村と合併して添上郡北野村となる。
- 桃ノ尾村・針ノ尾村・熊橋村が合併して滝本村となる。
- 明治10年(1877年)5月30日 - 庄屋敷村が三島村に合併。(120村)
- 明治12年(1879年) - 木堂村・山口村・内山村が合併して杣之内村となる。(118村)
- 明治13年(1880年)4月15日 - 郡区町村編制法の堺県での施行により、行政区画としての山辺郡が発足。添上郡奈良町に「奈良郡役所」が設置され、同郡および添下郡・広瀬郡・平群郡とともに管轄したが、まもなく「添上添下山辺広瀬平群郡役所」に改称。
- 明治14年(1881年)2月7日 - 大阪府の管轄となる。
- 明治15年(1882年) - 筑紫村が九条村に合併。(117村)
- 明治20年(1887年)11月4日 - 奈良県(第2次)の管轄となる。
町村制以降
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(9村)
- 山辺村 ← 滝本村、苣原村、上仁興村、下仁興村、藤井村、内馬場村、布留村、勾田村、川原城村、三島村、丹波市村、御経野村、田村、守目堂村、石上村、田部村、別所村、豊井村、豊田村、岩屋ヶ谷村(現・天理市)
- 二階堂村 ← 上ノ庄村、荒蒔村、稲葉村、合場村、小島村、嘉幡村、庵治村、備前村、吉田村、九条村、東井戸堂村、西井戸堂村、富堂村、岩室村、田井庄村、前栽村、指柳村、小田中村、杉本村、平等坊村、小路村、喜殿村、上総村、南柳生村、中村、六条村、平群郡北菅田村、南菅田村(現・天理市)
- 朝和村 ← 杣之内村、園原村、乙木村、竹之内村、佐保庄村、成願寺村、萱生村、中山村、岸田村、新泉村、兵庫村、三昧田村、長柄村、永原村、福知堂村(現・天理市)
- 福住村 ← 福住村、長滝村、山田村(現・天理市)
- 都介野村 ← 藺生村、小山戸村、相河村、南之庄村、甲岡村、来迎寺村、友田村、白石村、吐山村、針村(現・奈良市)
- 東里村 ← 小原村、上笠間村、下笠間村、深野村、染田村、多田村、無山村(現・宇陀市)
- 波多野村 ← 春日村、大西村、菅生村、西波多村、遅瀬村、中峯山村、広代村、中之庄村、吉田村、鵜山村、片平村、葛尾村、広瀬村(現・山添村)、嵩村(現・奈良市)
- 豊原村 ← 三ヶ谷村、勝原村、岩屋村、毛原村、切幡村、助命村、伏拝村、堂前村、箕輪村、大塩村(現・山添村)
- 針ヶ別所村 ← 針ヶ別所村、小倉村、上深川村、下深川村、荻村、馬場村(現・奈良市)
- 三本松村・大野村・古向淵村・新向淵村が宇陀郡三本松村の一部となる。
- 新庄村が添上郡治道村の一部となる。
- 修理枝村が式上郡上之郷村の一部となる。
- 明治26年(1893年)9月26日 - 山辺村が町制施行・改称して丹波市町となる。(1町8村)
- 明治30年(1897年)
- 明治35年(1902年)4月23日 - 朝和村の一部(杣之内)が丹波市町に編入。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和29年(1954年)1月1日 - 丹波市町・朝和村・福住村・二階堂村が磯城郡柳本町・添上郡櫟本町と合併して天理市が発足し、郡より離脱。(5村)
- 昭和30年(1955年)
- 1月1日 - 都介野村・針ヶ別所村が合併して都祁村が発足。(4村)
- 2月11日 - 東里村が宇陀郡三本松村・室生村と合併し、改めて宇陀郡室生村が発足。(3村)
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 波多野村・豊原村が添上郡東山村と合併して山添村が発足。(2村)
- 昭和32年(1957年)8月31日 - 山添村の一部(水間・別所)が添上郡田原村に編入。
- 平成17年(2005年)4月1日 - 都祁村が奈良市に編入。(1村)
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前
|
明治22年4月1日
|
明治22年 - 昭和20年
|
昭和21年 - 昭和30年
|
昭和31年 - 昭和63年
|
平成1年 - 現在
|
現在
|
|
山辺村
|
明治26年9月26日 町制改称 丹波市町
|
昭和29年4月1日 天理市
|
天理市
|
天理市
|
天理市
|
|
二階堂村
|
二階堂村
|
|
朝和村
|
朝和村
|
|
福住村
|
福住村
|
|
針ヶ別所村
|
針ヶ別所村
|
昭和30年1月1日 都祁村
|
都祁村
|
平成17年4月1日 奈良市に編入
|
奈良市
|
|
都介野村
|
都介野村
|
|
豊原村
|
豊原村
|
豊原村
|
昭和31年9月30日 山添村
|
山添村
|
山添村
|
|
波多野村
|
波多野村
|
波多野村
|
|
添上郡 東山村
|
添上郡 東山村
|
添上郡 東山村
|
|
東里村
|
東里村
|
昭和30年2月11日 宇陀郡 室生村の一部
|
|
平成18年1月1日 合併市制
|
宇陀市
|
行政
- 奈良郡長→堺県添上・添下・山辺・広瀬・平群郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
|
1 |
|
明治13年(1880年)4月15日 |
|
|
|
|
|
明治14年(1881年)2月6日 |
大阪府に移管
|
- 大阪府添上・添下・山辺・広瀬・平群郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
|
1 |
|
明治14年(1881年)2月7日 |
|
|
|
|
|
明治20年(1887年)11月3日 |
奈良県へ移管
|
- 奈良県添上・添下・山辺・広瀬・平群郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
|
1 |
|
明治20年(1887年)11月4日 |
|
|
|
|
|
明治30年(1897年)3月31日 |
廃官
|
- 山辺郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
|
1 |
|
明治30年(1897年)8月1日 |
|
|
|
|
|
大正15年(1926年)6月30日 |
郡役所廃止により、廃官
|
脚注
- ^ 旧・都祁村の区域。
- ^ 一旦、1876年まで当郡所属だった部分を除く
- ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
- ^ ○古向淵村・古向淵村之内馬場出方に分かれて記載。
- ^ 記載は北葛尾村。
- ^ 記載は福住別所村。
- ^ 井ノ市村・長谷村に分かれて記載。長谷村については詳細不明。
- ^ ○勝原上村・勝原下村に分かれて記載。
- ^ 記載は寺社領が石上村、津藩領が磯上村。
- ^ 後に一部を津県が管轄。
- ^ 後に全域を柳生県が管轄。
- ^ 寺社除地は後に芝村県が管轄。
- ^ 同年4月27日(1868年5月19日)にかけて移管。
- ^ 上山田村が山田村を称したとする史料や、もともと山田村が3村の総称だったとする史料もあり。
- ^ いずれも元は同一村で、領主を区別するために表記のみ変更していたとする史料もあり。
参考文献
関連項目