島下郡(しましもぐん)は、大阪府(摂津国)にあった郡。嶋下郡と表記することもある。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね下記の区域にあたる。
- 茨木市・摂津市の全域
- 吹田市の大部分(江坂町、円山町、垂水町、広芝町、江の木町より南西および山手町・千里山西・千里山東の各一部を除く)
- 豊中市の一部(上新田・新千里各町)
- 箕面市の一部(小野原各町・粟生各町・彩都粟生南・彩都粟生北)
- 豊能郡豊能町の一部(高山)
歴史
古代
701年(大宝元年)の大宝律令により三島郡が三島上郡・三島下郡の2つに分けられて成立した。ほどなくして島上郡(嶋上郡)・島下郡(嶋下郡)と書かれるようになった。和名抄では「しまのしも」と書かれている[1]。
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
中世
天正10年(1582年)頃から寛文4年(1664年)までは太田郡(おおたぐん)を称した。
近世以降の沿革
幕末の知行
知行
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村数
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村名
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幕府領
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幕府領
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8村
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味舌村、新在家村、一津屋村、鶴野新田、乙辻村、小坪井村、太中村、沢良宜浜村
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一橋徳川家領
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8村
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小野原村、郡村、五日市村、畑田村、道祖本村、上穂積村、中穂積村、下穂積村
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田安徳川家領
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10村
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上中条村、太田村、中村、庄村、橋の内村、戸伏村、牟礼村、中河原村、●総持寺村、真砂村
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旗本領
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8村
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忍頂寺村、清水村、西河原村、奈良村、十一村、平田村、桑原村、十日市村
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幕府領・一橋徳川家領
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1村
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倍賀村[2]
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幕府領・旗本領
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3村
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別府村、島村、上音羽村
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田安徳川家領・旗本領
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1村
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中城村
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藩領
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摂津高槻藩
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22村
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鳥飼野々村、鳥飼上之村、鳥飼中之村、鳥飼八町村、鳥飼下之村、鳥飼西之村、鳥飼八坊村、吉志部村、大門寺村、生保村、車作村、安元村、大岩村、●粟生村、千提寺村、清坂村、下音羽村、長谷村、銭原村、高山村、泉原村、佐保村
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山城淀藩
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14村
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山田上村[3]、山田中村[3]、山田小川村[3]、山田下村[3]、山田別所村[4]、佐井寺村、下新田村、上新田村、南村、小路村、東村、七尾村、片山村、正音寺村
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下総古河藩
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5村
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沢良宜東村、水尾村、宇野辺村、田中村、東蔵垣内村
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美濃加納藩
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4村
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●茨木村、郡山村、宿久庄村、耳原村
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大和芝村藩
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3村
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坪井村[5]、味舌上村[6]、庄屋村[7]
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高槻藩・古河藩
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1村
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●馬場村
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高槻藩・加納藩
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1村
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福井村
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幕府領・芝村藩
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1村
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味舌下村
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幕府領・藩領
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田安徳川家・高槻藩
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1村
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内瀬村
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旗本領・高槻藩
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5村
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野々宮村、二階堂村、沢良宜西村、目垣村、●安威村
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その他
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仙洞御領[8]
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1村
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上野村
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仙洞御領・幕府領・旗本領・淀藩
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1村
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吹田村[9]
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仙洞御領・旗本領
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1村
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下中条村
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仙洞御領
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1村
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鮎川村[10]
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閑院宮家領
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1村
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西蔵垣内村
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閑院宮家領・高槻藩
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1村
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丑寅村
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- 慶応4年
- 明治2年
- 明治3年(1870年)
- 3月 - 一橋徳川家領・田安徳川家領が兵庫県の管轄となる。
- 12月 - 高槻藩預地が兵庫県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治5年(1872年)8月 - 島上郡・島下郡にまたがっていた鮎川村の全域が島上郡の所属となる。(101村)
- 明治8年(1875年)4月30日 - 大区小区制の大阪府での施行により、島下郡が第8大区となる。
- 明治9年(1876年) - 東蔵垣内村・西蔵垣内村が合併して蔵垣内村となる。(100村)
- 明治12年(1879年)2月10日 - 郡区町村編制法の大阪府での施行により、行政区画としての島上郡が発足。郡役所が茨木村に設置。
- 明治14年(1881年)1月6日 - 郡役所が島上郡役所を統合のうえ改称して「島上島下郡役所」となる。
- 明治16年(1883年) - 中村・庄村・橋の内村・牟礼村が戸伏村に合併。(96村)
- 明治22年(1889年) - 町村制の施行により、下記の各村が発足。(21村)
- 茨木村 ← 茨木村、上中条村、下中条村(現・茨木市)
- 三島村 ← 西河原村、太田村、耳原村、田中村、戸伏村、中城村、総持寺村、島上郡鮎川村(現・茨木市)
- 安威村 ← 安威村、十日市村(現・茨木市)
- 福井村 ← 福井村、中河原村(現・茨木市)
- 溝咋村 ← 目垣村、馬場村、二階堂村、平田村、十一村(現・茨木市)
- 宮島村 ← 島村、野々宮村(現・茨木市)
- 豊川村 ← 小野原村(現・箕面市)、粟生村(現・茨木市、箕面市)、宿久庄村、清水村、道祖本村(現・茨木市)
- 春日村 ← 上穂積村、中穂積村、下穂積村、奈良村、倍賀村、郡村、郡山村、上野村、畑田村、五日市村(現・茨木市)
- 三宅村 ← 太中村、蔵垣内村、乙辻村、小坪井村、鶴野新田(現・摂津市)、丑寅村、宇野辺村(現・茨木市)
- 玉櫛村 ← 沢良宜東村、沢良宜浜村、沢良宜西村、真砂村、内瀬村、水尾村(現・茨木市)
- 味舌村 ← 味舌下村、味舌村、味舌上村、坪井村、庄屋村、正音寺村(現・摂津市)
- 岸部村 ← 小路村、七尾村、吉志部村、東村、南村(現・吹田市)
- 山田村 ← 山田別所村、山田上村、山田小川村(現・吹田市、茨木市)、山田中村、山田下村(現・吹田市)
- 吹田村(単独村制。現・吹田市)
- 千里村 ← 片山村、佐井寺村(現・吹田市)
- 新田村 ← 上新田村(現・豊中市)、下新田村(現・吹田市)
- 味生村 ← 別府村、一津屋村、新在家村(現・摂津市)
- 鳥飼村 ← 鳥飼下之村、鳥飼上之村、鳥飼中之村、鳥飼西之村、鳥飼野々村、鳥飼八坊村、鳥飼八町村(現・摂津市)
- 石河村 ← 大岩村、桑原村、大門寺村、生保村、安元村(現・茨木市)
- 見山村 ← 下音羽村、上音羽村、忍頂寺村、銭原村、清坂村、長谷村、車作村(現・茨木市)
- 清渓村 ← 泉原村、佐保村、千提寺村(現・茨木市)、高山村(現・豊能郡豊能町)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、「島上島下郡役所」が管轄する各郡の区域をもって三島郡が発足。同日島下郡廃止。
行政
- 歴代郡長[1]
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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廣瀨直澂
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1879年(明治12年)2月21日 |
1881年(明治14年)1月6日 |
廃官
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廣瀨直澂
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1881年(明治14年)1月8日 |
1883年(明治16年)12月18日 |
島上郡長兼任
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白石純治
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1883年(明治16年)11月29日 |
不詳 |
島上郡長兼任
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廣瀨直澂
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1887年(明治20年)12月28日 |
1890年(明治23年)6月16日 |
島上郡長兼任
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白石純治
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1890年(明治23年)6月16日 |
1893年(明治26年)5月31日 |
島上郡長兼任
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深瀨和直
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1893年(明治26年)5月31日 |
1895年(明治28年)7月10日 |
島上郡長兼任
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岸正形
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1895年7月10日(明治28年) |
1896年(明治19年)3月31日 |
島上郡長兼任(島上郡との合併により島下郡廃止)
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脚注
- ^ a b 井上正雄『大阪府全志』 巻之三(復刻版)、清文堂出版、1975-1976。全国書誌番号:73012615。
- ^ 倍賀村(一橋徳川家領)・穂積出作(幕府領・一橋徳川家領)に分かれて記載。
- ^ a b c d 記載の冠称は山田庄。
- ^ 記載は別所村。
- ^ 記載は「味舌郷・坪井村」。
- ^ 記載は「味舌郷・上村」。
- ^ 記載は「味舌郷・庄屋村」。
- ^ 退位した天皇の領地。
- ^ 吹田村(仙洞御領・幕府領・旗本領)・吹田出作(淀藩領)に分かれて記載。
- ^ 島上郡所属の高槻藩領も島下郡として記載。
参考文献
関連項目