交野郡(かたのぐん)は、かつて河内国・堺県・大阪府にあった郡。
郡域
1880年(明治13年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね下記の区域にあたる[1]。
- 交野市の全域
- 枚方市の大部分(菊丘南町、菊丘町、高塚町、岡山手町、岡東町より南西および川原町・香里ケ丘の各一部を除く)
- 寝屋川市の一部(寝屋、寝屋南、寝屋川公園、打上新町、明和、高倉より南東)
歴史
古代
702年(大宝2年)頃に茨田郡から分割して設置された。交野郡衙は現在の交野市郡津にあったとする説があるが、明証はない。交野郡の大部分は「交野ヶ原」と呼ばれる台地・丘陵地で、耕作には適さなかったが、鳥獣が多く棲息し、かつ京からも近いことから貴族の狩場となっていた。桓武天皇の時代には離宮が置かれた他、天皇の狩場(天皇以外の狩猟は禁止された)があったことにちなむ禁野(枚方市)の地名が残る。また、交野ヶ原は桜の名所としても知られ、交野郡にあった惟喬親王の渚院で在原業平が「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」と詠んでいる。
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。
神名帳
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比定社
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集成
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社名
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読み
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格
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付記
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社名
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所在地
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備考
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交野郡 2座(並小)
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片野神社 |
カタノノ |
小 |
鍬靫 |
片埜神社 |
大阪府枚方市牧野阪 |
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久須須美神社 |
クススミノ |
小 |
鍬 |
合祀:片埜神社 |
大阪府枚方市牧野阪 |
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凡例を表示
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近世以降の沿革
- 慶応4年
- 2月 - 幕府領・旗本領が大坂裁判所司農局の管轄となる。
- 5月2日(1868年6月21日) - 大坂裁判所司農局の管轄地域が大阪府司農局の管轄となる。
- 6月8日(1868年7月27日) - 大阪府司農局の管轄地域が大阪府南司農局の管轄となる。
- 6月 - 戊辰戦争後の処分により小田原藩が減封となり、本郡内の領地が消滅。
- 明治2年
- 明治4年
- 明治7年(1874年)
- 明治13年(1880年)4月15日 - 郡区町村編制法の堺県での施行により、行政区画としての交野郡が発足。茨田郡三矢村の浄念寺に「枚方郡役所」が設置され、同郡および讃良郡とともに管轄。枚方郡役所はまもなく改称して「茨田交野讃良郡役所」となる。
- 明治14年(1881年)2月7日 - 大阪府の管轄となる。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の各村が発足。特記以外は現・枚方市。(12村)
- 水本村 ← 打上村、寝屋村、燈油村(現・寝屋川市)
- 星田村(単独村制。現・交野市)
- 津田村 ← 津田村、野村、春日村
- 川越村 ← 村野村、田宮村、山之上村、茄子作村
- 交野村 ← 倉治村、郡津村、私部村(現・交野市)
- 磐船村 ← 森村、傍示村、寺村、私市村(現・交野市)
- 氷室村 ← 尊延寺村、杉村、穂谷村
- 菅原村 ← 長尾村、藤坂村
- 山田村 ← 甲斐田村、中宮村、片鉾村、田口村
- 牧野村 ← 渚村、禁野村、磯島村、小倉村、坂村、宇山村、養父村、上島村、下島村
- 招提村(単独村制)
- 樟葉村 ← 楠葉村、船橋村
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、「茨田交野讃良郡役所」が管轄する各郡の区域をもって北河内郡が発足。同日交野郡廃止。
行政
- 枚方郡長→堺県茨田・交野・讃良郡長[4]
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1 |
匝瑳胤常 |
明治13年(1880年)4月16日 |
明治14年(1881年)2月6日 |
大阪府に移管
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- 大阪府茨田・交野・讃良郡長[4]
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1 |
匝瑳胤常 |
明治14年(1881年)2月7日 |
明治16年(1883年)6月5日 |
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2 |
岡林秀胤 |
明治16年(1883年)6月5日 |
明治18年(1885年)8月18日 |
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3 |
俣野景孝 |
明治18年(1885年)8月18日 |
明治23年(1890年)6月16日 |
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4 |
小向寛雄 |
明治23年(1890年)6月16日 |
明治24年(1891年)1月15日 |
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5 |
川越重徳 |
明治24年(1891年)1月15日 |
明治26年(1893年)5月31日 |
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6 |
向日保雄 |
明治26年(1893年)5月31日 |
明治29年(1896年)3月31日 |
茨田郡・讃良郡との合併により交野郡廃止
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脚注
- ^ 住居表示実施地区の境界は不詳。
- ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
- ^ 記載では旧領が西大路藩(仁正寺藩)ではなく小田原藩、管轄が河内県となっているが、『太政類典』の明治3年2月2日付の「西大路藩支配地総高」で河内県消滅後も交野郡1村が西大路藩管轄となっており、旧高旧領取調帳の誤記とみられる。星田村は寛文印知の頃より仁正寺藩領である。
- ^ a b 井上正雄『大阪府全志』 巻之四、大阪府全志発行所、1922年、1087-1088頁。
参考文献
関連項目