三島郡(みしまぐん)は、大阪府(摂津国)の郡。
人口30,868人、面積16.81km²、人口密度1,836人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
郡域
1896年(明治29年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、おおむね下記の区域にあたる。
- 茨木市・摂津市の全域
- 吹田市の大部分(江坂町、円山町、垂水町、広芝町、江の木町より南西および山手町・千里山西・千里山東の各一部を除く)
- 高槻市の大部分(田能・中畑・出灰・杉生・二料を除く)
- 豊中市の一部(上新田・新千里各町)
- 箕面市の一部(小野原各町・粟生各町・彩都粟生南・彩都粟生北)
- 豊能郡豊能町の一部(高山)
歴史
三島郡(第1次)
元々、古代に三島郡が存在していたが、701年(大宝元年)の大宝律令において三島上郡と三島下郡に分けられ、その直後にそれぞれ島上郡・島下郡に改称した。
三島郡(第2次)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、島上郡・島下郡の区域をもって発足。郡役所が茨木村に設置。(32村)
- 明治31年(1898年)
- 4月1日 - 郡制を施行。
- 10月14日(2町30村)
- 茨木村が町制施行して茨木町となる。
- 高槻村が町制施行して高槻町となる。
- 明治41年(1899年)4月1日 - 吹田村が町制施行して吹田町となる。(3町29村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正14年(1925年)11月1日 - 富田村が町制施行して富田町となる。(4町28村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和4年(1929年)1月1日 - 芥川村が町制施行して芥川町となる。(5町27村)
- 昭和6年(1931年)1月1日 - 高槻町・大冠村・清水村・芥川町・磐手村が合併し、改めて高槻町が発足。(4町24村)
- 昭和9年(1934年)9月1日 - 如是村が高槻町に編入。(4町23村)
- 昭和10年(1935年)
- 2月11日 - 溝咋村・宮島村が合併して玉島村が発足。(4町22村)
- 6月29日 - 集中豪雨により郡内の各河川が氾濫、決壊箇所多数[1]。
- 当年時点での当郡の面積は248.53平方km、人口は144,588人(男72,345人・女72,243人)[2]。
- 昭和15年(1940年)4月1日(4町19村)
- 昭和18年(1943年)1月1日 - 高槻町が市制施行して高槻市となり、郡より離脱。(3町19村)
- 昭和23年(1948年)
- 1月1日(2町15村)
- 茨木町・春日村・三島村・玉櫛村が合併して茨木市が発足し、郡より離脱。
- 阿武野村が高槻市に編入。
- 昭和25年(1950年)
- 4月1日 - 味舌村が町制施行して味舌町となる。(3町14村)
- 11月1日 - 五領村が高槻市に編入。(3町13村)
- 昭和28年(1953年)7月1日 - 新田村が分割し、一部(上新田)が豊中市に、残部(下新田)が吹田市にそれぞれ編入。(3町12村)
- 昭和29年(1954年)2月10日 - 安威村・玉島村が茨木市に編入。(3町10村)
- 昭和30年(1955年)
- 4月3日(3町5村)
- 福井村・石河村・見山村・清渓村が茨木市に編入。
- 三箇牧村が高槻市に編入。
- 10月15日 - 山田村が吹田市に編入。(3町4村)
- 昭和31年(1956年)
- 9月30日(2町2村)
- 味舌町・味生村・鳥飼村が合併して三島町が発足。
- 富田町が高槻市に編入。
- 12月1日 - 豊川村が豊能郡箕面町に編入。箕面町は即日市制施行して箕面市となる。(2町1村)
- 昭和32年(1957年)
- 3月30日 - 三宅村が茨木市に編入。(2町)
- 7月1日 - 三島町が茨木市の一部(鶴野および太中・蔵垣内・乙辻・小坪井の各一部)を編入。
- 昭和35年(1960年)4月1日 - 三島町が茨木市の一部(太中・蔵垣内・小坪井)を編入。
- 昭和41年(1966年)11月1日 - 三島町が市制施行・改称して摂津市となり、郡より離脱。(1町)
変遷表
行政
- 歴代郡長[3]
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1 |
岸正形 |
明治29年(1896年)4月1日 |
明治31年(1898年)3月29日 |
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2 |
平井光長 |
明治31年(1898年)3月29日 |
明治31年(1898年)7月27日 |
|
3 |
坂田耘平 |
明治31年(1898年)8月9日 |
明治39年(1906年)1月15日 |
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4 |
吉住元策 |
明治39年(1906年)1月16日 |
大正2年(1913年)5月27日 |
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5 |
滋岡長彦 |
大正2年(1913年)5月27日 |
大正3年(1914年)8月19日 |
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6 |
菅原久太郎 |
大正3年(1914年)8月19日 |
大正5年(1916年)11月22日 |
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7 |
笠井英一 |
大正5年(1916年)11月22日 |
大正7年(1918年)3月17日 |
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8 |
有馬松之助 |
大正7年(1918年)3月17日 |
大正9年(1920年)5月18日 |
病死
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9 |
黒山義宣 |
大正9年(1920年)6月14日 |
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大正15年(1926年)6月30日 |
郡役所廃止のため、廃官
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脚注
- ^ 京都二条、五条の大橋流失『大阪毎日新聞』昭和10年6月29日号外(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p206-207 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。
- ^ 井上正雄『大阪府全志』 巻之三、大阪府全志発行所、1922年、616-617頁。
参考文献
関連項目
先代 -----
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行政区の変遷 - 701年 (第1次)
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次代 三島上郡→島上郡 三島下郡→島下郡
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先代 島上郡・島下郡
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行政区の変遷 1896年 - (第2次)
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次代 (現存)
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