国のかたち研究会
国のかたち研究会(くにのかたちけんきゅうかい)は、立憲民主党のグループ。2020年9月の新立憲民主党への合流前も旧立憲民主党のグループとして活動していた。通称、 概説1999年9月の民主党代表選挙で菅直人の陣営についた議員を中心に結成された[2][3]。 毎週木曜日に菅の自宅での会合を定例としていたが[4]、2002年12月に菅が党代表に就任して以降は、かつて社民連で菅の同僚であった江田五月が実質的な運営者となった[4]。 旧民主党・民進党を通じ立憲民主党内では左派・リベラル色が比較的強いとされている[5][6]。旧社民連・旧さきがけ出身者や市民運動家の受け皿となっていた一面もあるが、民主党時代は菅の選挙区である東京都、江田の選挙区である岡山県の選出の議員も多かったことから人間関係を元に作られたグループ[6] という側面もあった。 民主党自体は所属の議員が重なる旧社会党系の新政局懇談会や護憲派のリベラルの会と政策面で同一歩調を取ることが多かった。 2017年10月以降はサンクチュアリと共に、(旧)立憲民主党系として、(新)立憲民主党の主要グループを形成している[7]。 沿革民主党時代1999年10月20日に設立準備会合を開き[2]、9月の代表選で菅直人の推薦人となった衆参約10人の国会議員が参加して[2]、会長に相当する代表幹事(後に座長に変更)に江田五月[3]、事務局長に河村たかし[8] を内定した[2]。2000年6月の第42回衆議院議員総選挙では現職15人のうち3人が落選したが、新人15人以上が当選して勢力を倍増させた[9]。2002年9月と12月の代表選で菅を支え、菅が代表に選出されると江田がまとめ役となり[4]、阿久津幸彦や水島広子など若手が中心に集まる二十数人規模のグループとなった[4]。 2005年には会員が50人を超えて会費なども増えたため、4月1日に政治団体の届出をしたが[10]、9月の第44回衆議院議員総選挙では若手を中心に多くのメンバーが落選して打撃を受けた[11][12]。菅はその後も代表選に出馬し続けたが、2005年9月の代表選では前原誠司にわずか2票差で敗れ、2006年4月の代表選では小沢一郎に大差で敗れた。2007年7月の第21回参議院議員通常選挙後、江田が参議院議長に就任し、グループ座長を退任した[13]。 2009年5月の代表選では菅は出馬せず自主投票とし[14]、鳩山由紀夫が代表に選出された。8月の第45回衆議院議員総選挙を経た政権交代後の内閣人事では、菅は副総理兼経済財政政策担当大臣に就任し、2010年1月からは財務大臣も兼任した。また、2月には枝野幸男が行政刷新担当大臣として初入閣した。 2010年6月2日に鳩山が辞意を表明すると、続く6月の代表選では菅が代表に選出され、その後の内閣人事では荒井聰が経済財政政策担当大臣として初入閣した。7月の第22回参議院議員通常選挙後、江田が参議院議長を退任し、8月23日にグループ座長に復帰した[13]。9月の代表選でも菅が再選され、その後の内閣改造では細川律夫が厚生労働大臣として初入閣した。2011年1月の内閣改造では江田が法務大臣、枝野が内閣官房長官に就任した。また、6月からは江田が環境大臣、枝野が行政刷新担当大臣を兼任した。 2011年8月26日に菅が辞意を表明すると、続く8月の代表選では自主投票としたが[15][16]、江田が野田佳彦の陣営の会合に出席するなど[17]、大半は野田支持に動き[18]、決選投票となった場合には海江田万里以外の候補を支持することを8月29日に決定した[16][19]。野田が代表に選出された後の内閣人事では平岡秀夫が法務大臣として初入閣し、内閣発足直後の9月11日に辞任した鉢呂吉雄の後任として12日に枝野が経済産業大臣に就任した。11月には内閣総理大臣就任に際してグループ会長の座を離れていた菅がグループ会長に復帰した[20]。2012年1月の内閣改造では小川敏夫が法務大臣として初入閣した。 2012年9月の代表選では野田再選を支持したが[21][22][23]、12月の第46回衆議院議員総選挙では勢力を半減させ[24]、菅も小選挙区で落選して比例復活となった。 2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では民主党は11議席増にとどまったものの、復帰したメンバーも多く、勢力は復調となった[25]。 民進党時代2016年3月の民進党結党後に行われた9月の代表選では立候補締め切りまで推薦人集めに苦慮していた玉木雄一郎に対してグループから菅や石橋通宏など3人の推薦人を出したことが報じられた[26]。 2017年9月の代表選ではグループから枝野が立候補を表明し、グループとしては8月9日に自主投票の方針を確認した一方、菅が枝野の支援に回り、同日のグループ会合に枝野を招いて説明を受けるなどしていることから[27]、枝野の支持グループの一つに数える報道もあった[28][29]。 立憲民主党時代民進党は9月28日の両院議員総会で希望の党への事実上の合流方針が了承された一方、9月29日に希望の党代表の小池百合子東京都知事が「リベラル派は排除する」と明言したことを受け、10月2日に枝野が「立憲民主党」の結成を表明し、菅らが結党メンバーに名を連ねた。10月の第48回衆議院議員総選挙では、枝野・菅いずれも小選挙区で当選を果たした。阿久津ら落選中のメンバーも立憲民主党公認で出馬、当選し、グループは10人超の勢力となった[30]。 2018年5月7日の国民民主党結成に参加しなかったメンバーが立憲民主党に合流すると、立憲民主党所属議員ら約30人による勢力となった。10月頃、合宿を検討していることが報じられた[31]。 2020年9月、立憲民主党と国民民主党とが合流した新立憲民主党にグループ全員が参加した。それに伴う9月の代表選直後の報道では、27人の勢力と報じられた[32]。党代表にグループのメンバーである枝野幸男が選出された。 2021年10月の第48回衆議院議員総選挙後には、16人の勢力であることが報じられた。2021年11月、枝野が代表を辞任したのに伴い実施される代表選挙には、グループ所属の西村智奈美が立候補したが、[33]第一回投票で4人中4位であった。 2024年9月の代表選挙ではグループ所属の枝野が再選を目指し、出馬した。また、会長の菅直人は吉田晴美の推薦人に名を連ね、グループとしては自主投票となった[34]。 2024年11月の第50回衆議院議員総選挙後には、16人から22人の勢力になったことが報じられた。また、菅直人会長の後継に西村智奈美が座長に選出された[35]。 同年12月には約25人と構成人数が増加している[36]。 現在の構成
過去の在籍者衆議院議員
参議院議員その他
その他国政選挙落選・引退者※は、国政選挙落選者、◆は、政界を引退した者。括弧内は、議員でなくなった時点での議会所属。
関連項目
政治資金収支報告書の記載
脚注注釈
出典
|