山本 緑(やまもと みどり、1928年6月1日[1][3] - )は、日本の元女優。本名は小林 緑[1]。
東京府出身[1]。東映東京撮影所に所属していた[1]。東京演技アカデミー出身[1]。特技は、ピアノ[1]。
東京府荏原郡目黒町で、電気商の次女として生まれる[2]。1945年に目黒女子商業学校を卒業後、空襲で家が無くなった為、山形県に疎開し天童温泉のホテルで母親ともに過ごす[2]。山形新聞で働き、疎開先のホテルの息子と婚約するが、回りからの圧力で破談となる[2]。それを機に姉を頼って終戦直後の東京に戻る[2]。
山形時代の上司の影響で、鎌倉の建長寺に入り三か月間修行を受ける[2]。1949年4月、津田英語塾に入り、通訳の仕事を目指していたが、塾で翻訳劇をやったことがきっかけとなり、演技に興味を抱く[2]。姉の友人に映画の世界へ誘われ、1952年に東映東京撮影所に登録演技者として所属[2]。デビュー作は『ひめゆりの塔』の従軍看護婦役[2]。
夫は元俳優の田川勝雄[4][2]。出演映画のロケ先で出会い、1960年11月17日に川崎駅交通会館にて挙式[2]。仲人は東京東映撮影所所長の山崎真一郎[2]。
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