山梨県立美術館
山梨県立美術館(やまなしけんりつびじゅつかん、英: Yamanashi Prefectural Museum of Art)は、山梨県甲府市貢川(くがわ)の「芸術の森公園」内にある美術館である。同公園は同市中西部の甲斐市寄りに位置し、前を国道52号(美術館通り)が通る。また、同公園内には山梨県立文学館もある。現在の館長は、文化庁長官や国立西洋美術館館長なども務めた青柳正規が2017年から務めている。 概要公共文化施設の未整備から「文化不毛の地」と評されていた山梨県において、戦後には博物館建設構想など文化事業振興の気運が高まった。1967年(昭和42年)に山梨県知事となった田邊圀男は1975年(昭和50年)に3期目の当選を果たし、山梨県立県民文化ホールとともにかねてより懸案であった同美術館の設置事業に着手した[5]。翌1976年(昭和51年)には美術資料取得基金を設立。旧山梨県緑化センター跡地[6]において1977年4月に美術館の建設が着工された。 田辺国男の回想録『ミレーと私』によれば、田辺と初代館長・千澤楨治によりコレクションの中心をバルビゾン派の画家とする方針が定められ、置県100周年記念事業として19世紀のフランス画家ミレーの代表作『種まく人』の購入が山梨県議会で承認され、山梨県企業局が通商産業省から電気事業固定資産内の事業外固定資産として絵画購入が許可された[7]。1977年(昭和52年)4月に飯田画廊の仲介でニューヨークのパークバーネットオークションにおいて『種まく人』と『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』を計1億8200万円で落札した[7][8]。その他に山梨放送社長野口英史の資金援助や山梨中央銀行からの資金寄付を受け、飯田画廊からミレー3作品(『ポーリーヌ・ヴィルジニ・オノの肖像』『冬、凍えたキューピッド』『ダフニスとクロエ』)を購入し、さらに山梨中央銀行から資金の寄付を受け美術館資料習得基金を設立し、ミレー以外にもクールベ、ターナーなどバルビゾン派画家の作品を収集した[9]。 1978年(昭和53年)11月3日に開館。上智大学教授の千澤楨治[10]が初代館長を務めた。1982年(昭和57年)には中央自動車道が全線開通し、山梨県の経済・社会に多大な影響を及ぼした[11]。特に観光客の増加により山梨県の観光業が振興され、1983年(昭和58年)に山梨県立美術館の年間入場者数は12万人を記録[11][12]。1985年(昭和60年)度には年間入場者数が60万人近くになった[8]。 開館後も1995年から1998年にかけて、飯田画廊からミレーの『グレヴィルの断崖』『落穂拾い、夏』(山梨県企業局の備品として3億9800万円で購入)を入手した[8][9]。飯田画廊からはミレーの版画の寄贈も受けている。2000年には山梨県都留市の相川プレス工業から寄託されていたミレーの『無原罪の聖母』が寄贈される[9]。 『種まく人』、『落ち穂拾い、夏』をはじめとするミレーコレクションやバルビゾン派の画家の作品を収蔵し、「ミレーの美術館」として親しまれている[8]。ミレーコレクションは油絵のほか、水彩画、素描、版画を含め41点を収蔵。その他にクールベ、ターナー、シャガール、ヴラマンクらの作品、山梨県出身の画家や山梨ゆかりの画家の作品なども数多く収蔵している。同公園内にはロダン、ヘンリー・ムーアらのヨーロッパ近代彫刻家の作品も設置されている。また、1988年(昭和63年)から2002年(平成12年)まで行われた「郷土作家シリーズ」をはじめ、山梨県出身の画家に関する多くの企画展が開催されているほか、一般展示室を貸し出して美術振興も行っている。 開館前に、『種をまく人』を高額で落札購入したことや、同基金以外に山梨県営発電所の売電収益からの購入費支出などに対し、山梨県民や県議会から反対意見もあった[8]。一方で山梨の風土とミレー作品の調和が国内外の愛好家から支持され、好意的に受け入れられており、前述の『落ち穂拾い、夏』の購入時には目立った批判はなく、寧ろ作品購入を評価する声も寄せられた[8]。 1988年(昭和63年)には開館10周年記念事業として、ロイスダールの『ベントハイム城の見える風景』を購入した。2002年(平成14年)に萩原英雄コレクションの一括寄贈を受け、2004年(平成16年)には萩原英雄作品展示室・萩原英雄コレクション室が開室する[13]。2009年(平成21年)には萩原英雄記念室に改称される[13]。 前近代の日本美術では重要文化財の『紙本淡彩陶道明聴松図』や山梨県指定文化財の『絹本著色法然上人絵伝』、『絹本着色五代目大木喜右衛門夫婦像』、『木版丹絵武田二十四将図』などを収蔵していたが、2005年(平成17年)に山梨県笛吹市御坂町成田に山梨県立博物館が開館し、それに伴い担当学芸員の異動とともに大木コレクションなど江戸時代以前の美術資料は同博物館に移管された。 また、同美術館は全国各地から多くの来館者が訪れることも特徴で、1983年度(昭和58年度)の年間入館者数は12万人にのぼり、2006年(平成18年)10月15日には総入館者数1000万人を達成した。 コレクション収蔵品は野外展示の彫刻などを含め1万点を越える。西洋美術ではジャン=フランソワ・ミレーの「種をまく人」「落ち穂拾い、夏」「ポーリーヌ・V・オノの肖像」などミレーの作品群のほかバルビゾン派の画家の作品を数多く収蔵している。 日本近代美術では山梨県出身画家やゆかりのある画家の作品を多く収蔵し、野口小蘋や近藤浩一路、望月春江らの作品が収蔵されている。また、山梨県出身の版画家萩原英雄の作品群や蒐集コレクションの一括寄贈(4800点)を受けており、常設展では萩原英雄記念室が設けられている。 専門スタッフ現在平成29年度時点
過去
建築概要
開館時間9:00 - 17:00(ただし入館は16:30まで) 休館日
入館料
交通アクセス
不祥事
2022年8月、収蔵庫から時価60万円相当の工芸品が盗まれた。それを受けて収蔵品の全数点検をしていた同美術館は、2023年3月2日、絵画と銅版画の計2点、総額約170万円相当(購入当時の価格)が更に所在不明となっていることを明らかにした。同館副館長らは全収蔵品の調査点検を20年以上実施していなかったことが原因と説明したうえで、「毎年点検すべきなのに怠っていた」と陳謝した[14]。 脚注注釈出典
参考文献
外部リンク |