日露関係 (にちろかんけい、ロシア語 : Российско-японские отношения )では、日本 とロシア連邦 の両国関係について総合的に述べる。かつてこれらの地域にあった国・王朝を含める。
両国の比較
歴史
日本国政府 はロシア人 の極東ロシア進出と日本人 の北方開拓 の結果、隣国として友好と敵対によって複雑に彩られつつ密接な関係を結びながら歩み、かつては義和団の乱 における八カ国連合軍 、第一次世界大戦 での連合軍 としての協力もあったものの、幕末 には日本の対馬 を占領したロシア軍艦対馬占領事件 や日露戦争 、シベリア出兵 、共産主義 、第二次世界大戦 、冷戦 など対立関係が100年以上続いている。
2022年3月6日、政府は年末に予定する国家安全保障戦略 の改定で、ロシアのウクライナ侵攻 を受けて対露戦略を見直す方針を固めた。現行の戦略が「パートナー」としているロシアの位置づけについて、北朝鮮や中国と同じ「国家安全保障上の課題」へと変更する方向で調整している[ 7] 。
要人往来
ロシア・ソビエトの要人による訪日
日本の国家元首[ 注釈 2] である明仁 天皇 (左)とロシア連邦の国家元首であるウラジーミル・プーチン 大統領 (右)(2005年11月)。
日本の要人によるロシア訪問・ソ連訪問
外交使節、大使館
在ロシア日本大使・公使
在ロシア日本国大使館
および在ロシア連邦日本大使 を参照。
在日ロシア大使
駐日ロシア大使館 および駐日ロシア大使 を参照。
在モスクワ日本大使館
在サンクトペテルブルク日本総領事館
経済関係
2013年現在のロシアの対日貿易額は332億ドル(その内ロシアからの輸出は196億ドルで輸入は136億ドル)で、ロシアは日本の貿易相手国の中で14位を占めている[ 40] 。日本の対外貿易額に占めるロシアの割合は2.2パーセント(輸出は1.5パーセントで輸入は2.8パーセント)である[ 40] 。2013年現在日本はロシアの貿易相手国の中で8位を占め、輸入では4位で輸出では9位である[ 40] 。日本がロシアの対外貿易額に占める割合は3.7パーセントである[ 40] 。
日本のロシアからの輸入品目の中で大きな割合を占めるのは原油 ・天然ガス をはじめとするエネルギー資源であり[ 40] 、輸入額全体の7割以上を占める[ 41] 。また水産物の輸入先としてはチリ に次いで2番目であり、ロシア船籍の漁船が日本の港に水揚げすることも多い[ 42] 。
日露両国の経済協力の発展においては、1994年に設置された貿易経済に関する日露政府間委員会が重要な役割を担っている[ 40] [ 43] 。この委員会の枠組みで、貿易投資分科会と地域間交流分科会の2つの実務機関が活動している[ 40] 。この政府間委員会の会議では、日露間の経済関係発展の当面の課題と見通しについて包括的に協議される[ 40] [ 43] 。
両国の経済協力は伝統的にエネルギー・石油及びガス部門・自動車製造の分野において発展してきた[ 40] 。現在進行している石油及びガス部門のプロジェクトであるサハリン1 ・サハリン2 に続き、3番目のサハリン液化天然ガスプラントの建設(年間生産量550万トン)とウラジオストクの新しい液化天然ガスプラント建設[ 44] が計画されている[ 40] 。
スポーツ交流
柔道
ロシア 大統領 ウラジーミル・プーチン (右)に嘉納治五郎 の直筆の書を献上する東海大学 体育学部 教授 山下泰裕 (左)(2005年11月)。嘉納は「柔道の父」と謳われた教育者である
ごく早い時期に明治末年頃から大正時代にかけての日本 で柔道 を学んだ最も著名なロシア人柔道家は、ワシリー・オシェプコフ である。オシェプコフは1911年 に講道館 に入門して修行に励み、ロシア人として初めて初段を取得した後、1914年 にロシアに帰国、極東ロシア のウラジオストク にロシア初の柔道場を建てた[ 45] 。ロシア革命 のあった1917年 に再度訪日して2段を取得しているが、これがオシェプコフにとって生前最高の段位となる。またソビエト連邦の成立後は極東だけに止まらず、1928年 にはシベリア のノヴォシビルスク に、1930年 にはモスクワ でも柔道の普及活動を始めた[ 46] 。しかし1937年 にオシェプコフはスパイ容疑をかけられて「人民の敵」と認定され、大粛清 で亡くなった犠牲者のうちの一人となった。
ソビエト連邦が成立してまだ日の浅い1930年代 に武器を使わない格闘技つまりは徒手格闘技(ロシア語で「サンボ」)としてソビエト連邦の民族的なサンボやソビエト連邦外の徒手格闘技を源流とするスポーツサンボ が誕生したが、この新しい格闘技は、オシェプコフの弟子であったアナトリー・ハルランピエフ (ロシア語版 、英語版 ) がソビエト連邦を統合する国民的なレスリングとして編み出したものである。オシェプコフ自身がスポーツサンボの創設に関与しているとの説もあるが、その真偽がいずれであるにせよ、スポーツサンボが柔道の影響を受けている事実には変わりない[ 47] 。スポーツサンボは一躍ソ連で有名なスポーツとなったが、1964年東京オリンピック で柔道が初めて正式競技になるまで、スポーツサンボの源流となる柔道について大きな関心が持たれることはなかった。
1972年 にソビエト社会主義共和国連邦柔道連盟(ロシア語 : Федерация дзюдо СССР )が創設された[ 46] 。これは、現在のロシア柔道連盟(ロシア語 : Федерация дзюдо России )の前身となる組織であった。柔道連盟創設後の選手強化は順調で、1976年モントリオールオリンピックの柔道競技 では柔道の発祥国である日本に次いで2位、1980年モスクワオリンピックの柔道競技 では堂々の1位を飾った(但し、日本をはじめとする西側諸国の多くは、ソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻 への抗議としてモスクワ大会をボイコットしているが)。バルト三国 がソ連邦から離脱した後も、EUN選手団 として、1992年バルセロナオリンピックの柔道競技 において3位を勝ち取っている。その後は経済危機などによりロシア柔道の低迷が続くが、2012年ロンドンオリンピックの柔道競技 ではモスクワ大会以来ロシア連邦としては初の1位を飾って、柔道大国であるロシアの存在を世界に見せつけた。
また1999年 末に大統領代行となって2000年5月から正式に第2代ロシア連邦大統領 に就任したウラジーミル・プーチン が、KGB 仕込みのサンボ格闘家であると同時に柔道家でもあるという関係から、ロシアと柔道の関係が日本でも深くクローズアップされることになった。2012年 9月にロシア柔道の父と呼べるオシェプコフを記念した「オシェプコフ生誕120周年記念式典」がウラジオストクで開催され、日本からも山下泰裕 8段を筆頭とする柔道家が出席した[ 45] 。
文化交流
クラシック音楽
ロシアのクラシック音楽はバレエ音楽 「白鳥の湖 」・「眠れる森の美女 」・「くるみ割り人形 」などで有名なチャイコフスキー と、ロシア人で最も名高い交響曲作曲家 のショスタコーヴィッチ が双璧であろう。日本でも、チャイコフスキーとショスタコーヴィッチを一度も演奏したことのない交響楽団 を探す方が難しいくらいである。また、チャイコフスキーの名が冠されたロシアのモスクワ音楽院 は、1999年 にくらしき作陽大学 と芸術文化交流協定を締結している。
単純なクラシック音楽という括りではドイツ とオーストリア の後塵を拝しているロシアだが、クラシックバレエ のカテゴリーでは首都モスクワ にボリショイ劇場 、副都サンクトペテルブルク にミハイロフスキー劇場 (旧称のレニングラード国立歌劇場でも有名)を擁するバレエ大国である。サンクトペテルブルクにあるマリインスキー劇場 が抱えるマリインスキー・バレエ団 には、日本人としては初の正式団員となるバレリーナの石井久美子 が2013年 7月より所属している[ 48] 。
加えてイタリア やドイツ には及ばないにせよ、ロシアはオペラ でも名高い。ロシアオペラは名作が多いのだが、もし一作だけと言われたらプーシキン の韻文小説をチャイコフスキーがオペラ化した「エフゲニー・オネーギン 」を挙げなければならないだろう。帝政ロシアの貴族 の日常生活、舞踏会 、決闘 などを含む恋物語が、一流の韻文や抒情的な旋律と相俟って織り成されている。ロシアのオペラが来日公演する際に、しばしば上演される演目でもある(日本語字幕つきで)。
脚注
注釈
^ 解釈が異なる見解については、立憲君主制 の項にある注釈の中の記載を参照。
^ 法制上は天皇を国家元首とする明文規定は無いものの、外交慣例上は天皇は国家元首として扱われる。
出典
関連項目
外部リンク
アジア
東アジア 東南アジア 南アジア 中央アジア コーカサス 中東
アフリカ アメリカ オセアニア ヨーロッパ
領土なし 多国間 歴史上 領土紛争
関連項目
二国間関係の各項目内は五十音順。
カテゴリ