森本レオ
森本 レオ(もりもと レオ、1943年〈昭和18年〉2月13日[3][1] - )は、日本の俳優、ナレーター、タレント、声優である。本名は森本 治行(もりもと はるゆき)。旧芸名、森本 羚夫(もりもと レオ)。妻は元女優の森和代(もり かずよ、1950年9月8日 - 、本名・森本和代(もりもと かずよ))。ウータニア所属。 愛知県名古屋市中川区[要出典]で生まれ育つ[4]。愛知県立松蔭高等学校を経て[4]、日本大学藝術学部卒業[5]。 来歴浪人時代に中部日本放送でエキストラのアルバイトをしたことで演技に関心を持つが、大学在学中はコピーライターを志望していた。しかし、コピーライターという職業が認知されていなかった時代であったことや、父親の病気などもあり断念。 卒業後は生まれ育った名古屋に帰り、NHK名古屋制作のドラマ『高校生時代』(1967年)(後の『中学生日記』)で俳優デビュー[6][7]。伊武雅刀とは、この時から親交がある。 1968年から東海ラジオ放送の深夜番組『ミッドナイト東海』のパーソナリティを務める。自分を指す第一人称として「『俺』を使わせて欲しい」とスタッフに頼み込んだが、当時は放送局の自主規制で許されなかった。そこで「芸名を『森本オレ』にするから、自分の芸名として『オレ』を使うのはいいだろう」と食い下がったがこれも拒否。仕方なく、オレを逆さまにして『羚夫(レオ)』とした。後にカタカナに改め、現在の芸名となる。同番組で人気を博していたにもかかわらず降板することになった原因は、森本が担当する日に自分の好きな知人(つボイノリオと見られる)を呼んで番組を任せたが下ネタを発言した事で教育委員会からクレームが付き、その責任を取る形で森本が番組を降板した[8]。 1972年に東京に再び移り、俳優活動を本格化。 1974年、漫画『若者たち』を大学時代の同窓である市川森一の脚本で『黄色い涙』としてテレビドラマ化。自ら主演する。 2010年2月27日、心筋梗塞で都内の病院に緊急入院。処置が早かったため順調に回復し、3月9日に退院した。 私生活では森和代(森本和代)と、1971年5月10日に石川県金沢市の広坂カトリック教会で挙式。結婚当時、妻の森和代(森本和代)は妊娠6か月で、同じ年(1971年)の10月20日に第一子の長男・森本類(るい)が誕生。その2年後(1973年)に第二子の長女・森本絵瑠(える)が誕生。 人物
疑惑
出演テレビドラマ
TBS系
独立局
配信ドラマ
映画
オリジナルビデオPV人形劇
テレビアニメ
劇場アニメ
吹き替え
ゲーム
ナレーション
ラジオ
CM
バラエティ
音楽シングルナレーション
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク |