泉 ユリ(いずみ ユリ、1946年10月14日 - )は、日本の女優である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。泉 ゆりと表記された作品も存在する[6][10][11]。出生名中村 しげこ(なかむら しげこ)、婚姻後本名坂本 しげこ(さかもと しげこ)[1][9]。高校卒業直後の1965年(昭和40年)4月、独立系の成人映画に主演して映画界にデビューする[1][11]。以降、黎明期であった当初から1985年(昭和60年)まで20年間、群小プロダクション各社から大蔵映画、ワールド映画、プリマ企画の作品や、東映京都撮影所若手による「東映ニューポルノ」を含め、約300本の映画に出演したヴェテラン女優であった[1]。
1946年(昭和21年)10月14日、第二次世界大戦終了から1年を経た東京都京橋区明石町(現在の東京都中央区明石町)に生まれる[1][9]。
1962年(昭和37年)3月、大田区立蓮沼中学校を卒業して、同年4月、東京都立大森高等学校に進学する[1]。1965年(昭和40年)3月、同校を卒業すると、友人が独立系の成人映画の女優になった縁でみずからも映画界に入り、当時、渋谷区円山町に所在した東京企画(代表・三田浩)が製作した『情事の罠』に主演、同作は同年4月に公開され、満18歳でデビューすることになる[1][11]。同作の監督としてクレジットされた「月森功」とは、新東宝・大蔵映画出身の小林悟である[1]。以降、1966年(昭和41年)7月公開の『非公開の激情』(監督小角高治)まで、立て続けに9作、東京企画の作品に主演した[1][2][11]。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子、香取環、新高恵子、松井康子、西朱実、朝日陽子、火鳥こずえ、華村明子、森美沙、湯川美沙、光岡早苗、路加奈子、有川二郎、里見孝二、川部修詩、佐伯秀男の名を挙げているが、泉の名は挙げられていない[14]。しかしながら泉は、1965年という初期の時期にデビュー、連続的に主演しており、変名とはいえ田中が同様に黎明期のおもな脚本家・監督として挙げた小林悟の作品にも出演している[1][2][11]。独立系成人映画の初期を代表する女優である[1][5][6][7][9][10][11]。『日本映画俳優全集・女優編』の泉の項を執筆した小田克也によれば、「女性の情感を漂わせるムードのある艶技で人気者にな」ったという[1]。
東京企画が活動を停止するとともに、ワールド映画、日本シネマ(代表・鷲尾飛天丸)の作品に出演するようになる[1][5][6][7][9][10][11]。1967年(昭和42年)5月31日に公開された小川欽也監督の『生首情痴事件』では、大蔵貢の経営する大手の大蔵映画による同作において準主演に抜擢されている[11]。1969年(昭和42年)4月公開の『濡れた裸身』(製作・主演香取環、監督佐々木元)に出演して以降、西原儀一率いる葵映画に1980年代に至るまで多く出演した[1][11]。小田克也によれば、西原は「女の情念をえぐれば定評のある」監督であり、西原と泉のタッグによる作品で、泉は「愛を裏切った男に対して憎悪や怨念をたたきつけるような激情に燃える女を演じたら恐いほどの迫力を見せ」たという[1]。
1971年(昭和46年)に日活ロマンポルノが開始されるまでは、邦画五社の配給作品に出演することはなかったが、ワールド映画の営業部長であった藤村政治が設立したプリマ企画が製作した真湖道代主演、代々木忠脚本、中村幻児監督による成人映画『完全なる同性愛』に出演、同作は日活が配給して公開されており[12]、以降、「プリマ企画製作・日活配給」によるロマンポルノに出演する[12]。1972年(昭和47年)、同業者の俳優、坂本昭と結婚した[1]。1974年(昭和47年)3月16日に公開された本田達男監督の『痴情ホテル』に出演、依田智臣、深尾道典、牧口雄二、荒井美三男ら東映京都撮影所の若手監督による「東映ニューポルノ」への出演を開始している[7][8][9][10][11]。牧口雄二監督の『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』(1976年2月14日公開)や『戦後猟奇犯罪史』(同年6月19日公開)、『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』(同年9月4日公開)のほか、川谷拓三主演、深尾道典脚本、依田智臣監督による『史上最大のヒモ 濡れた砂丘』(1974年12月21日公開)では、大役をこなした[7][8][9][10][11]。長く主演を張る傍ら、新人女優のための代役、ボディダブルも多くこなしたという[1]。
『日本映画俳優全集・女優編』が発行された1980年(昭和55年)12月31日の段階では、デビュー15周年を迎えてもまったくの現役であったが、さらに5年を経た1985年(昭和60年)5月22日に公開されたにっかつロマンポルノ『制服肉奴隷』(監督すずきじゅんいち)を最後に、出演作の記録がみられない[1][5][6][7][8][9][10][11][12]。同作公開時には満38歳であった[1][9]。以降の消息は知られておらず、存命であれば2014年(平成26年)には満68歳である。
2006年(平成18年)7月23日 - 同年8月26日、ラピュタ阿佐ヶ谷で行われた「盛夏納涼 和製ホラームービー・コレクション」特集上映で、出演作『生首情痴事件』(8月6日 - 同12日)が35mmフィルム版上映用プリントで上映された[15]。
2010年(平成22年)11月27日 - 2011年(平成23年)2月4日にラピュタ阿佐ヶ谷で行なわれた「東映カルトプリンス 牧口雄二の世界」の特集上映で、同監督への泉の出演作『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』(12月4日 - 同10日)、『戦後猟奇犯罪史』(12月18日 - 同25日)、『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』(1月7日 - 同14日)のすべてが35mmフィルム版上映用プリントで上映された[16]。『玉割り人ゆき 西の廓夕月楼』は、2013年(平成25年)7月6日 - 同年9月13日に同館で行なわれた「復活! 東映ニューポルノのDeepな世界」の特集上映でも再度上映されている(8月24日 - 同30日)[17]。同年2月8日 - 同11日に神戸映画資料館で行なわれた「ピンク映画50周年特別上映会 映画監督・渡辺 護の時代」の特集上映で、出演作『男と女の肉時計』(監督向井寛、1968年公開)、『素肌が濡れるとき』(監督梅沢薫、1971年4月公開)の2作がいずれも16mmフィルム版上映用プリントで上映された[18]。
300作を超えるといわれる出演作[1] のうち、各種資料で確認できる作品の一覧であり、クレジットはすべて「出演」である[1][2][3][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵・現存状況についても記す[6]。
国立国会図書館蔵書等にみる書誌である[4]。