見明 凡太朗(みあけ ぼんたろう、1906年10月15日 - 1987年)は、日本の俳優。旧芸名は見明 凡太郎(読み同じ)。
本名は見明 すすむ(みあけ すすむ[注釈 1][1][2])。元妻は女優の村田知栄子(1947年離婚[1])。
島根県美濃郡高津村(現・益田市)出身[1]。1906年島根県美濃郡豊田村の渡辺市太郎の次男として出生[1]。高津村で染屋を営む見明家の養子となる[1]。
1923年に下関商業高校を卒業後、日本映画俳優学校に第2期生として入学[4]。同期には島耕二、小杉勇がいた。その後、1926年に日活に入社[4]。1927年公開の映画『彼を繞る五人の女』(監督:阿部豊)でデビューを果たし、翌1928年の映画『松竹梅』で初主演を果たす。1932年から1934年にかけて不二映画社、新興キネマに在籍したのち日活に復帰した。
1942年からは大映に所属し、300本以上の映画に出演した。また、1959年からはテレビドラマにも進出し、時代劇、特撮などジャンルを問わず名脇役として活躍した。
1978年の映画『最も危険な遊戯』を最後に芸能界から引退した。
1987年に死去した[5]とされているが死因は不明である。
また、2013年1月にNHK BSプレミアムの番組『山田洋次監督が選んだ日本の名作100本』公式ホームページの「視聴者の声」内にて、見明の娘と称する人物から、20年以上前に鬼籍に入ったという旨の投稿があった[6]。
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