風間 トオル(かざま トオル、1962年8月19日 - )は、日本の俳優。神奈川県川崎市出身。本名:須藤 光春(すどう みつはる)。
川崎市中原区出身で、川崎市立西丸子小学校、川崎市立中原中学校、神奈川県立川崎北高等学校と、小学校から高校まで地元の川崎市内の学校を卒業[1]。東京デザイン専門学校卒業。
「メンズノンノ」で阿部寛とともにノンノ・ボーイフレンドに選ばれる。その後「チェックメイト」等の雑誌モデルを経て、1989年、フジテレビ系列のドラマ『ハートに火をつけて!』で役者デビュー[2]。
1997年8月、35歳の時に結婚したが、翌年1998年、36歳の時に離婚。
サーフィンが趣味で、中学生の頃からショートボードを続けている。海岸を散歩する時は、積極的にゴミを拾うようにしている。他にも収録現場には、マイボトルを持参し紙コップは使わないようにしたり、上記の料理の際には、野菜の皮や芯も使い、極力ゴミを減らすようにする等の工夫をしている。2001年から愛犬を飼っており、ゴールデンレトリバーで名前はロコ助六銀之助(通称ロコ)[3]。長く渋谷区に住んでいたが、愛犬の事も考え、湘南に移り住んだ。
1967年、5歳ほどで両親が離婚。そのうちに父親もいなくなり、祖父母のもとで過ごした。食べるものがないため家の前の公園などで草を物色して、草やタンポポを食べたりしていた。小学校の頃から祖父が認知症になり、深夜の徘徊を監視するなど介護にも追われる日々であった。高校より独り暮らしを始めるが、冷蔵庫がないので冷蔵庫に入れるような物は土に埋めたのも役に立ったという[4]。子供の頃は風呂がなく代わりに洗濯機に入ってスイッチを入れて体を洗っていた。その後生まれて初めて一般的な銭湯に行った時に「プールみたい」と思った。また、生活費や授業料などを払うためにバイトに明け暮れ、睡眠時間はだいたい2時間ぐらいだったという。不良になる暇もオートバイを買う金もなかったという[5]。
6歳の時(1968年から1969年頃)、保護者である祖父母のうっかりで小学校への入学の申し込みをし忘れ、1年後に入学。その後高校3年まで、1年遅れの学年に通学した。若い時は交通費がなくて10駅ぐらいはよく歩いて移動し、川崎から渋谷まで歩いて行ったこともあったという。ただし、ある時映画を見るために歩いて行ったが時間がかかりすぎて映画も見ないまま、そのまま夜遅くに帰ることがあったという[4]。貧乏時代に数日間同じ服を着ていたことがあり、その時に「裏返しに服を着る」ということをやるようになったが、モデルになった後も服を裏返しに着るというスタイルが意外にももてはやされるようになった。また、ある日たまたま左右別々の靴下を履いて仕事場に行ったところ、スタッフから「それいいね〜」などと褒められたことがあり、本人は、さすがにビックリしたという[4]。
川崎市出身で同姓の風間八宏が監督をしているという縁から、同市で活動するプロサッカークラブ、J1川崎フロンターレから2014年3月2日に行われる2014年開幕戦の試合前に行われる始球式イベントへの出演依頼を受けた[1]。試合当日には背番号に「106」番と入ったユニフォーム姿で登場し、川崎市等々力陸上競技場に詰めかけた観客の前で挨拶をした後、チームマスコットのふろん太を相手にゴールを決め、写真撮影ではフロンターレの中村憲剛に花束贈呈と一緒の記念撮影をした[6]。
少年時代から視力が「3.0」だったということがあり、友人たちと埼玉県の秩父に遊びに行った帰り、電車を待っていた時に反対側のホームにある時刻表を読み取ることができたという。驚異の視力の良さについては「空とか遠くばかりを見ていたからだと思います。みんなも一緒だと思っていたので気づかなかった」。アフリカ旅行時、誰よりも早くキリン等を見つけてしまい、「私の仕事がなくなる」とコーディネーターに言われたことがある[7]。