アレックス・バロス
アレックス・バロス(Alex Barros)ことアレシャンドリ・アブラゥン・コエーリョ・ジ・バホス(Alexandre Abrahão Coelho de Barros 、1970年10月18日 - )は、ブラジル、サンパウロ出身のオートバイ・ロードレースライダー。 長きにわたってロードレース世界選手権のトップライダーとして活躍。1999年、岡田忠之とのコンビで鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝。2006年にはスーパーバイク世界選手権に参戦した。2007年はMotoGPに復帰。同年最終戦をもってMotoGPから引退。 現役当時、日本のメディアにおいてはアレッシャンドレ・バロスと表記される場合もあった。 略歴1986年のWGP80ccクラスに16歳と登録してデビューしたが、これは年齢詐称しており、実際にはシーズン中は15歳であった。当時はGPエントリーの最低年齢が16歳以上とされていたために講じた策であったが、実年齢ではバロスには参加資格がなかった。このため満16歳を迎えた後の1988年に改めて再デビューした。 1988年からWGP250ccクラスにステップアップ、ヤマハ・TZ250で参戦するが特筆する結果はまだ残せなかった。1990年よりイタリアのカジバと契約し、WGPの最高峰クラスである500ccへステップアップ、チームメイトとなったランディ・マモラやロン・ハスラムから500ccモンスターマシンの扱いを学ぶが、転倒が多かった。世界チャンピオン4回のエディ・ローソンがカジバに加入した1991年からマシンの戦闘力が急激に向上し、バロスは1992年オランダGPで初めて優勝争いに加わることが出来た。この年の成長により、1993年からラッキーストライク・スズキに移籍し、エースであるケビン・シュワンツのチームメイトとなった。スズキ移籍後は決勝レース中の転倒が減り、同年の最終戦FIMグランプリ(ハラマ)で念願のWGP初優勝を果たした。スズキ時代にはシーズン終了後に来日し、スポーツランドSUGOで行われるTBCビッグロードレースに参戦。1992年と1993年に大会2連覇を果たした。また、来日時に温泉が気に入り、鈴鹿での日本GPで訪日した際には、サーキット内のクアガーデンで温泉を楽しむ姿が見られた。 着用ヘルメット
レース戦績ロードレース世界選手権
1993年以降のポイントシステム
鈴鹿8時間耐久レース
外部リンク
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