秋吉耕佑
秋吉 耕佑 ( あきよし こうすけ、本名:秋吉(相賀) 弘亮、1975年1月12日 - )は、福岡県久留米市出身[1]のオートバイレーサー。2010年・2011年の全日本ロードレース選手権JSB1000クラスチャンピオン。HRCのテストライダーを務め、MotoGPマシンのRC212Vの開発にも携わっている。 経歴キャリア初期7歳の時にポケバイでレースデビュー。1993年、18歳の時にロードレース九州選手権にデビューを果たす。同時代に九州選手権を戦ったライバルとしては、熊本のチーム高武に所属していた加藤大治郎、玉田誠らが挙げられる。翌1994年にはSP250クラスで勝利を重ね、シリーズ2位に入った(チャンピオンは玉田誠)。 全日本デビュー1995年にはスズキと契約を結び、全日本ロードレース選手権250ccクラスにスポット参戦でデビューを果たす。年間ランキングは24位だった。 翌1996年も同クラスにスポット参戦し、第8戦鈴鹿では3位表彰台を獲得、シリーズランキングは11位に入った。またこの年は鈴鹿8耐に、山口直範とペアでギャッツビー・レーシングからGSX-R750を駆って初出場。17位で完走を果たした[2]。 1997年はSBクラスに移り、ラッキーストライク・スズキチームから出場。年間ランキング10位に入った。鈴鹿8耐にも同チームから藤原克昭とペアを組んで参戦したが、総合43位に終わった[3]。 スズキの開発ライダーへ翌1998年からは、ロードレース世界選手権500ccクラスを戦うRGV-Γ500の開発ライダーを務めることになり、レースの表舞台からは一時退くことになった。2002年以降はMotoGPマシンのGSV-Rの開発を担当した。 レース復帰、MotoGPデビュー2005年、秋吉はGSV-Rの開発を続けながら、ヨシムラ・スズキチームから全日本JSB1000クラスにスポット参戦、久々にレース復帰を果たした。復帰戦(第6戦鈴鹿)ではいきなりポールポジションを獲得し、周囲を驚かせた。最終戦もてぎで優勝を果たし、年間ランキングは11位に入った[4]。 翌2006年はヨシムラ・スズキからJSB1000クラスにフル参戦し、シリーズランキング4位に入った[5]。そしてロードレース世界選手権第15戦もてぎ、GSV-Rを駆ってワイルドカード枠でMotoGPデビューを果たす。予選12番手からスタートし、決勝は13位完走、3ポイントを獲得した。 2007年もJSB1000への参戦を継続(チームはWINs SUZUKI R.T)、ランキングは17位に終わった[6]。またこの年は10年ぶりに鈴鹿8耐に参戦、ヨシムラ・スズキ with JOMOチームで加賀山就臣とペアを組んでGSX-R1000を駆り、見事総合優勝を果たした[7]。さらにこの年にもワイルドカード枠でリズラ・スズキチームからMotoGPに2戦出場、ヘレスでは17位完走、もてぎでは13番グリッドからレギュラーライダー勢を次々とオーバーテイクし、一時4番手まで浮上する活躍を見せるが、メカニカルトラブルで惜しくもリタイヤとなった[8]。 2008年はヨシムラスズキwithJOMOチームからJSB1000へ参戦、シーズン3勝を挙げシリーズランキング5位に入った。また鈴鹿8耐にも前年と同じ体制で出場し、総合4位で完走を果たした。MotoGP第15戦もてぎにも3年連続でワイルドカード参戦を果たすが、1周目に転倒を喫しリタイヤとなってしまった。 HRCへ移籍2009年2009年からは、長年所属したスズキを去り、新たにHRCのテストライダーを務めることになった。MotoGP開幕前のヘレステストでは負傷したダニ・ペドロサの代役を務め、ゼッケン64のレプソル・ホンダRC212Vを走らせた[9]。全日本ロードレース選手権はTSR・ホンダチームからJSB1000クラスでCBR1000RRKを駆って鈴鹿限定でのスポット参戦となり、第2戦でポール・トゥ・ウィンを飾った[10]。 鈴鹿8耐には伊藤真一とのペアで出場することとなり、前哨戦の鈴鹿300km耐久ロードレースでは優勝を飾った[11]。8耐ではポールポジションからスタートしホールショットをとり独走態勢を築いていたが、2周目のS字コーナー1つ目で転倒。さらにその周ピットロード入り口で2度目の転倒をする。その後、猛烈な追い上げを見せ9位で完走を果たした[12]。 全日本選手権の最終戦鈴鹿(2レース制・東コース)ではウェットコンディションでおこなわれたレース2で優勝、結局このシーズンは出場した3レース中2勝を収めてシリーズランキング10位を記録した[13]。 2010年2010年シーズンは、全日本JSB1000クラスにTSRチームから全戦参戦できることとなった[14]。秋吉は得意の鈴鹿でおこなわれた3レース全てで勝利を挙げるなどの活躍を見せ、自身初のシリーズチャンピオンに輝いた[15]。 鈴鹿8耐にはジョナサン・レイとペアを組んで出場[16]、序盤にストップ・アンド・ゴーのペナルティやレイの転倒によって下位に沈むが、その後両ライダーが好タイムを連発し、最終的には3位表彰台に立つ活躍を見せた[17]。 またロードレース世界選手権第5戦イギリスGPでの転倒により椎骨骨折の重傷を負った青山博一の代役として、インターウェッテン・ホンダチームから第6戦ダッチTT、第7戦カタルーニャGPの2戦に出場[18]。両レースともポイント圏内で完走を果たした。 この年の7月、浜松市に結婚相談所「浜松婚活サロン Me-You」がオープン。秋吉はその店のオーナーを務めることとなり、オートバイレーサーとしては異色の婚活ビジネス進出を果たした[19]。 2013年全日本JSB1000クラスで開幕2連勝をあげるも、第4戦筑波で転倒、左大腿骨骨折の怪我をする。シーズン中盤および鈴鹿8耐を欠場するも、岡山戦で復帰。そこで金曜フリー走行でトップタイムを出しながらも予選で転倒。鎖骨骨折をしてしまう。1ヶ月後の最終戦鈴鹿で復帰し、2分6秒台のタイムをマークするなどの活躍を見せた。 2014年全日本JSB1000クラスの第1戦鈴鹿にスポット参戦。中盤まで1位で走行するも、途中でハイサイドを喫し、中須賀克行、高橋巧に抜かれ3位。 鈴鹿8耐では、スターティングライダーとして雨の中、圧倒的なペースで1位を独走。ジョナサン・レイとともに順調に周回を重ねる。しかし108周目に130Rでスリップダウンにより激しく転倒した。左太ももをいためたが、ピットまで戻ってきた。チームはマシンを修復しザネッティとレイで完走した。 2015年TSRを去り、au&teluru KoharaRTに移籍して全日本にフル参戦。HRCからワークスマシンを貸与されていたTSR時代と違い、戦闘力の劣るキットバイクでの参戦となったが、雨のSUGOセミ耐久では予選で一時トップタイムをマークするなど、ベテランらしさを見せた。 主なレース戦績日本国内選手権
鈴鹿8時間耐久ロードレース
ロードレース世界選手権(凡例)
脚注
外部リンクInformation related to 秋吉耕佑 |