カルロス・ラバード(Carlos Alberto Lavado Jones、1956年5月25日 - )は、ベネズエラ出身の元オートバイ・ロードレースライダー。1983年及び1986年ロードレース世界選手権250ccチャンピオン。ヤマハ、ジレラを渡り歩いた250ccの職人ライダー。
略歴
グランプリデビューは1978年のベネズエラGP。地元で行われたこのレースの250ccクラスにスポット参戦して2位になったラバードは、翌1979年のベネズエラGP350ccクラスでは早くもグランプリ初優勝を飾った[1]。
1980年からはグランプリにフル参戦を開始。250ccクラスと350ccクラスに参戦するが、当時の両クラスはカワサキワークスが圧倒的な強さを誇っており、市販マシンのTZで戦うラバードは苦戦を強いられた。しかし350ccクラスが廃止となり250ccクラスに専念するようになった1983年、カワサキのワークス活動撤退とチャンピオンのアントン・マンクが500ccクラスにステップアップしたことで、ラバードに大きなチャンスが巡ってきた。この年のラバードは4勝を含む6回の表彰台に加え、全11戦中リタイヤはフランスGPの1回だけで他の全てのレースで入賞するという安定した速さを発揮し、初タイトルを獲得した[1]。ベネズエラ人のワールドチャンピオンは1975年350ccクラスのジョニー・チェコット以来であった。
ホンダとヤマハが250ccクラスにも本格的にワークスマシンを投入してきた1986年には、ヤマハのYZR250を駆って2度目のチャンピオンに輝いた[1]。この年は全11戦中優勝が6戦、2位が2戦、それ以外の3戦は転倒リタイヤと、1983年とは対照的に「優勝か転倒か」という極端なシーズンとなった。
1987年以降は怪我に泣かされ、チャンピオン争いに加わることはできなかった。グランプリ参戦は1978年から1992年までの15シーズンに及んだ。通算19勝[1]。
スタイル
異常なまでの集中力でスタートからレースを支配し、そのまま逃げ切るスタイルを身上とする。とくに押しがけ時代であった1986年までは元来始動性が悪いはずのヤマハ・YZR250を神懸り的なロケットスタートで常にスタートから独走させ圧倒的な勝利を収めて見せた。しかしかつてはフレディ・スペンサーを追いかけ、その中で並々ならない早さを身につけたとされている。元来は追いこみ型のライダーであった。
戦績
ロードレース世界選手権
1969年から1987年までのポイントシステム
順位
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1
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2
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3
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4
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5
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6
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7
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8
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9
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10
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ポイント
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15
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12
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10
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8
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6
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5
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4
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3
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2
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1
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1988年から1992年までのポイントシステム
順位
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1
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2
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3
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4
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5
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6
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7
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8
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9
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10
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11
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12
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13
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14
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15
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ポイント
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20
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17
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15
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13
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11
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10
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9
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8
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7
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6
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5
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4
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3
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2
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1
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- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
脚注
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250 ccクラス |
1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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Moto2クラス |
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