アントニオ・"トニ"・エリアス・フスティシア(Antonio "Toni" Elias Justicia、1983年3月26日 - )は、スペイン・カタルーニャ州出身のオートバイレーサー。バルセロナ県バージェス(Bages)郡のマンレザ生まれ。身長163cm、体重57kg[1]。
2010年のロードレース世界選手権Moto2クラスチャンピオン。
略歴
エリアスは1998年、ロードレーススペイン選手権125ccクラスにデビュー。翌1999年、現在はダニ・ペドロサの指導者として知られるアルベルト・プーチ監督(当時)の率いるテレフォニカ・モビスター・ジュニアチームから同選手権に参戦し、年間ランキング3位を獲得した。またこの年はロードレース世界選手権125ccクラスに、3戦ワイルドカード枠で出場している。
2000年からロードレース世界選手権125ccクラスにフル参戦を開始(2000年はスペイン選手権とのダブルフルエントリー)。2001年にはシーズン2勝を挙げて年間ランキング3位を記録した。2002年からは250ccクラスにステップアップ、2003年には年間5勝でシリーズ3位となった。
2005年、エリアスはフォルトゥナ・ヤマハチームより同選手権MotoGPクラスにステップアップした。グレシーニ・ホンダに移籍した2006年には、第16戦ポルトガルGPでバレンティーノ・ロッシを接戦の末0.002秒の僅差で破り、クラス初優勝・初表彰台獲得を果たした。
2008年はドゥカティサテライトチームのアリーチェ・チームから参戦。セッティングに苦しむ中で2位と3位を1回ずつ獲得し、シリーズ12位の成績を残した。2009年はグレシーニ・ホンダに戻り、3位表彰台1回を含むシリーズ7位となった。
2010年はMotoGPクラスのシートを確保することができず、グレシーニ・チームが新たに参戦するMoto2クラスにモリワキのマシンで参戦した。エリアスは7勝を挙げてシーズンを席巻、Moto2クラスの初代チャンピオンに輝いた。
2011年シーズンはチーム・LCRからMotoGPクラスに復帰、再びホンダ・RC212Vを駆ることとなった。しかしライディングスタイルに問題を抱え成績は低迷[2]、年間ランキングはクラス自己最低の15位に沈んでしまった。
2012年はMoto2クラスに戻り、250ccクラス時代の古巣であるチーム・アスパーから参戦することとなった[3]。
2017年にAMAスーパーバイク選手権でヨシムラ・スズキのGSX-R1000Rを駆ってスペイン人初のタイトルを獲得した。
2024年現在は引退し、古巣のグレシーニ・レーシングでライダーコーチを行っている[4]
戦績
- 1992年 - レースデビュー
- 1998年 - ロードレーススペイン選手権125ランキング23位
- 1999年 - ロードレーススペイン選手権125ランキング3位(テレフォニカ・モビスター・ジュニア/ホンダ RS125)
ロードレース世界選手権
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
脚注
外部リンク
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AMAスーパーバイク |
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2010年代 | |
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MotoAmerica |
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250 ccクラス |
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Moto2クラス |
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