スティーヴン・タイラー (Steven Tyler 、本名: スティーヴン・ヴィクター・タラリーコ Steven Victor Tallarico、1948年 3月26日 - )は、ロック バンド 「エアロスミス 」のボーカリスト 。アメリカ ・ニューヨーク 出身。イタリア系アメリカ人 である。イタリアとウクライナ系 ・ポーランド系 ユダヤ人 (当時はロシア )、ドイツ人 とインディアン のチェロキー族 の血筋[ 1] 。大きな口 が特徴。ジョー・ペリー と共にソングライティングを手掛けており、バンドのフロントマンである。女優 のリヴ・タイラー の父。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー 」において第99位[ 2] 。
経歴
エアロスミス以前
ニューヨーク市 マンハッタン で出生。その後ブロンクス を経てヨンカーズに定住。また、タラリコ家はニューハンプシャー州 に別荘を所有していたため、幼少期はニューヨークの都市生活とニューイングランド の自然に囲まれる生活を同時に送っていた[ 3] 。
父はクラシック畑のピアニスト兼音楽教師であり、自然に音楽に親しむ家庭環境にあった。父の奏でるドビュッシー やベートーヴェン を聴いて音楽的感性を養い[ 4] 、エヴァリー・ブラザーズ やビートルズ など一世を風靡していた音楽にも触れた[ 5] 。やがてドラムスに興味を持ち、父のピアノに合わせて演奏することで、ミュージシャンへの第一歩を踏み出す[ 3] 。
10代後半期からバンド活動を始め、レフト・バンク のレコーディングに参加するなどしてキャリアを積み重ねつつあった頃[ 3] 、ジョー・ペリー やトム・ハミルトン と出会い、エアロスミスを結成する。バンドとしての活動の詳細はエアロスミスの項を参照。
エアロスミス以降の独自活動
1989年 、アリス・クーパー のアルバム『トラッシュ 』の収録曲「オンリー・マイ・ハート・トーキン」にゲスト参加。
リンゴ・スター のアルバム『ヴァーティカル・マン〜リンゴズ・リターン 』(1998年)の「Drift Away」は、リンゴとトム・ペティ とアラニス・モリセット がボーカルを取り、スティーヴン・タイラーはドラムス を担当しているが、スティーヴンがボーカルを担当している貴重音源のプロモーション・テイクが存在する。また、同作ではビートルズ のセルフ・カヴァー 「ラヴ・ミー・ドゥ 」で、ハーモニカ を演奏した。
2005年 、サンタナ のアルバム『オール・ザット・アイ・アム 』、ジャズ・トランペット 奏者クリス・ボッティ のアルバム『To Love Again』にゲスト参加している。
2011年 、全米視聴者数No.1の人気オーディション番組『アメリカン・アイドル 』において、シーズン10より審査員となる。
2011年5月25日に、シングル「フィール・ソー・グッド」をリリース。
2016年7月に、初のソロアルバム「サムバディ・フロム・サムウェア(We're All Somebody from Somewhere)」をリリース。
2017年4月には、ソロとして初のライブを日本で開催。
パフォーマンス
アメリカ人であるためか、元々のイギリスのハード・ロックにはないブルース やR&B に対する独特の解釈があり、1stの『野獣生誕 』(Aerosmith)では喉に力を込めた黒っぽさを感じさせる歌い方のせいか、同じくブラックミュージック から強い影響を受けたとされる、ローリング・ストーンズ のミック・ジャガー と容姿ともに比較されることが多かった。しかし、以降の『飛べ!エアロスミス 』(Get Your Wings)、『闇夜のヘヴィ・ロック 』(Toys in the Attic)、『ロックス 』(Rocks)と続くに連れて、ロバート・プラント から影響を受けたとされる高音の鋭いシャウト や、独特なスキャット などを用いるようになり、徐々に独自のスタイルを確立していった。
高音に達するとのどを嗄らすかのように振るわせ、叫び声 のような歌い方も特徴である。若い頃よりも声の出が良くなっており、特に「Back in the Saddle」などでのシャウトは40~50代になってからの方が迫力がある。母国のアメリカでは、セックスシンボル および、ロックアイコン として今なお多くのボーカリストから尊敬を集めており、モトリー・クルー のヴィンス・ニール 、ガンズ・アンド・ローゼズ のアクセル・ローズ 、日本 でもB'z の稲葉浩志 など、後のロック・シンガーにも強く影響を与えた。しゃがれた声でシャウトするようなイメージが強い反面、「Angel」などのバラードでは綺麗なハスキーボイスで歌いこなす。その独特の歌唱法から「絶叫悪魔 」(The Demon of Screamin )と称される時も。
派手派手しいステージ衣装とマイク に巻きつけたスカーフ がトレードマーク。初期にはジャックダニエル の酒瓶を持って登場していた。
その他
トキシック・ツインズ
ボストン・レッドソックス のファン。頻繁に観戦に訪れ、2010年の開幕戦では7回表終了後に登場し、「God Bless America」を独唱した[ 6] 。レッドソックスのTシャツを着て歌うこともあり、カート・シリング など選手との親交もある。またNFL のニューイングランド・ペイトリオッツ も応援しており、2012年ペイトリオッツの本拠地ジレット・スタジアム で行われたAFCチャンピオンシップゲーム でアメリカ国歌 斉唱を行っている[ 7] 。
ジョー・ペリー とのコンビは'ザ・トキシック・ツインズ'(The Toxic Twins)と呼ばれる。
少年時代は、ドラムス を演奏していて、ドラマー を志望していた。主に、ザ・ベンチャーズ などを演奏していたようで、現在も、ベンチャーズからの影響を公言しているほどの熱烈なファンである。ベンチャーズのメンバーを東京ドーム でのライブに招待したり、楽屋への表敬訪問を度々行っている。
映画『アルマゲドン 』で有名なハリウッド 女優、リヴ・タイラー の実父である。リヴ本人は、物心付く前に両親が別れていたために、スティーヴンの顔を覚えておらず、成長してエアロスミスのファンとなった頃(9歳の時)に、スティーヴンが自分の実父であることを知り、非常に驚いたという。
1977年にベベビュエルがリヴ・タイラー を身籠るも、トッド・ラングレン がベベビュエルと法的な養子縁組をして父親として出産する。
1978年から1987年まで故シリンダ・フォクシーと結婚してミア・タイラーを儲けた。その後テレサ・バリックとの間に1988年から2006年までの間にタージ・モンロー・タラリーコ、チェルシー・タイラーを儲けるも離婚し現在は独身。
母を2008年に、父親を2011年に亡くしている[ 8] 。
過去に薬物使用していた事を告白しており、「(コカインの原料であるコカの葉の産地として有名な)ペルーにあるコカインの半分は自身が使った」という。[ 9]
日本との関わり
日本通として知られており、たい焼き とポンジュース を愛好する。スティーヴンだけでなくエアロスミス のメンバー全員がたい焼き好きで、日本公演終了後、大量に購入して帰国したことがあったが、誰か(恐らくジョー・ペリー)が機内で全て食べてしまい、それを知ったスティーヴンが大激怒し、バンドが解散の危機に瀕したというエピソードがある。この話を聞いた日本のたい焼き機メーカーが、スティーヴンにたい焼き機をプレゼントした[ 10] 。
「貧乏暇無し 」ということわざ を気に入っており、来日の際には「我々がこの年齢まで活動する理由さ。その通りだろう?」とジョークを飛ばす事がある。
2013年のジャパンツアーファイナルのため来日、大阪を訪れた際には、大阪十三 のドンキホーテを訪店したり、路上ライブを行っていたイーゼル芸術工房 へ飛び入りセッションを行い、翌日の公演にバンドメンバーを招待し、楽屋に招き入れ、話題となった[ 11] 。
2010年、木村拓哉 が主演を務める映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト 』の主題歌「LOVE LIVES」を歌った[ 10] 。木村とは、1998年にカルチャー雑誌「Cut 」の表紙をジョー・ペリーと共に飾っているほか、2012年元旦放送の番組「さんタク 」で明石家さんま と共に対面を果たしている[ 12] 。
2013年、HIKAKIN がコラボしている。
出典
外部リンク
シーズン 司会 審査員 優勝者 準優勝者 著名な出身者 関連項目
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