ツール・ド・フランス 2007(フランス語: Tour de France 2007)は、2007年7月7日から7月29日まで全21ステージで行われた94回目のツール・ド・フランス。
コース概要
2006年10月26日にパリのパレ・デ・コングレ・ド・パリで全コースが発表された。今大会は7月7日にイギリス・ロンドンのトラファルガー広場をスタート地点とし、途中ベルギーを経由し、時計回り(第16ステージを除く)で29日にシャンゼリゼ通りをゴールとする全21ステージ・3.553.9kmで行われた。参加チームはUCIプロツアー参加チーム(ユニベットを除く19チーム[1])に主催者推薦枠で出場するプロフェッショナルコンチネンタルチームの2チーム(アグリチュベル、バルロワールド)を加えた21チームであった。
ツール・ド・フランスのコースがドーバー海峡を越えてイギリスを経由するのは1974年(プリマスを経由)と1994年(2つのステージをドーバー~ブライトンとポーツマスで実施)以来3度目で、ロンドンを経由するのは初。なお、イギリスで行われるプロローグと第1ステージのコースは、全コース発表に先立ち2006年2月9日にロンドンで行われており、その席でロンドン市長のケン・リヴィングストンは、7月7日にプロローグを行うことがロンドン同時爆破事件(2005年7月7日に発生)の被害者を追悼し、ロンドンがテロに屈しない姿勢を世界にアピールするものだと述べている。
一部コースはUCIプロツアーのパリ〜ルーベのコースも使用される。後半には21日と28日に個人タイムトライアル、山岳ステージは6回設けた。
ドーピング問題
ツール開催時の状況
前年の大会で主力選手がプロローグ直前に戦線離脱し、総合トップだった選手にドーピング検査の陽性反応が出て混乱した経緯をふまえ、事前のメディカルチェックでは出場予定選手の全員がドーピング検査に合格したことを受けてスタートした。
しかし7月25日、第13、15ステージを制したアレクサンドル・ヴィノクロフが血液ドーピングの疑い(A検体で陽性の反応)があることを理由に所属するアスタナ・チームが翌日以降のレースを棄権(レースを主催するASOの意向によるものであり、事実上の追放措置。ヴィノクロフは疑惑を否定している[2])、さらにその翌日にはクリスティアン・モレーニにテストステロンの反応が見られたことから所属するコフィディスチームも棄権した(同様に事実上の追放措置。モレーニは薬物使用を認めている)。
2チームが相次いで棄権するという時点ですでに異常事態といえるが、第16ステージを制し、総合優勝をほぼ手中に収めていたミカエル・ラスムッセンがドーピング検査回避の疑いで所属するラボバンクチームから解雇され[3]レースから撤退。第17ステージにしてマイヨ・ジョーヌを着用する選手が姿を消す[4]という前代未聞の事態を引き起こしている。
その一方でジロ・デ・イタリア中のドーピング検査の結果により出走を回避せざるを得なかったアレサンドロ・ペタッキが一転してレースの期間中に出場停止措置を取り消される[5]など、前年同様の(あるいは前年を上回る)大混乱となった。また、レース終了後にも、総合17位で完走したイバン・マヨの検体からエリスロポエチンの陽性反応が出たことを所属チームのサウニエル・デュバル・プロディールが明らかにするなど、レース後も混乱を引きずることとなった。
7月31日、ドイツ警察当局が、総合優勝のコンタドールがドーピングに関与していたことを示す文書を入手したと発表した[6][7]が、ドーピングに協力していたスポーツドクターの診察を過去に受けたことがあることを示しているのみで決定的証拠とはいえず、ゴシップ好きのメディアがセンセーショナルに報じたのみであった。
ドーピング問題に対する論評
こうした状況については、市川雅敏、栗村修がいずれもJ SPORTSでの解説において、UCIプロツアーを巡るUCI(国際自転車競技連合)とASOの主導権争い[8]の存在を指摘。また栗村はこのような内輪もめが結果として「ロードレース=ドーピング」というメディアの論調を招いているのではないかともコメントし、今中大介もまたロードレースがドーピング問題で魔女狩りの対象にされている可能性を問題視した。
一方、ASOのオーナーであるパトリス・クラークはラスムッセン失格の後、UCIには反ドーピング運動において自転車界の先頭に立つ資格が無いと非難。またレースディレクターのクリスチャン・プリュドムはUCIとの決別を明言し、UCIにはツール・ド・フランスからドーピングを本気で排除する気がないと非難した。
その後も続くドーピング禍
しかしながら、翌2008年のツール・ド・フランスにおいて、エリスロポエチン(EPO)の進化形(第三世代EPO)とも言われるCERA(持続性エリスロポエチン受容体活性化剤=Continuous Erythropoietin Receptor Activator)陽性となった選手が続出。しかもその結果、リカルド・リッコ、レオナルド・ピエポリの2人に陽性反応が見られたサウニエル・ドゥバル=スコットが、第12ステージを前に選手全員を棄権させる手段に講じざるを得なくなるという事件にまたしても発展してしまった。
日程と結果
今大会の最終成績
総合成績
ポイント賞
山岳賞
新人賞
チーム成績
UCIプロツアーランク
※ツール・ド・フランス終了時点。
個人
脚注
- ^ ユニベットを除外した経緯についてはUCIプロツアーの当該項を参照のこと。
- ^ その後B検体でも陽性反応となり、ヴィノクロフのドーピングは制度上は一旦確定した。しかし、本来はB検体での陽性反応をもって初めてドーピング認定となるはずがA検体での陽性の時点で棄権を余儀なくされたという状況に疑問を呈するものもいる。
- ^ チームへの所在地報告を怠ったりあるいは虚偽の報告を行ったため。これについてはチームおよびUCIの規則違反にはなるがドーピング検査での反応があったわけではないため出走は可能であった。解雇にあってはスポンサーの意向が働いたとされている。
- ^ a b ルール上はラスムッセンに次ぐ順位であったアルベルト・コンタドールの手に渡ることになったが、このような経緯もあり、加えて出走取り消しがスタート直前に決定されたため、コンタドールは第17ステージではマイヨ・ジョーヌを着用しなかった。
- ^ この問題はその後再燃し、2008年のジロ・デ・イタリア直前に再び出場停止処分を受けた。
- ^ SANSPO.COM 2007年8月1日付速報記事
- ^ German drugs expert points finger at Contador - tourdefrance - Sport - オーストラリアの新聞Sydney Morning Herald電子版の記事
- ^ 具体的には、UCIが主要選手のドーピングの有無を把握した上でその情報の公表時期を恣意的に操作し、ASOの大会運営に嫌がらせをしているのではないかという見方。なお、UCIとASO(を含めたグランツール主催者)との主導権争いについてはグランツールとの主導権争いも参照のこと。
- ^ a b 当初1位だったヴィノクロフの成績はドーピング問題により剥奪された。
- ^ a b ドーピングにより成績剥奪。詳しくは該当選手の項目を参照のこと。
関連項目
外部リンク