『プラウダ (真実) 』(Pravda、露語Правда、「真実」の意)は、ジャン=リュック・ゴダール、ジャン=アンリ・ロジェ、ポール・ビュロンら「ジガ・ヴェルトフ集団」の共同監督による、1969年製作のフランス・西ドイツ合作の映画である。チェコスロヴァキア(現チェコ)の首都プラハで3月[1]に撮影した。
概要
「ジガ・ヴェルトフ集団」(1968年 - 1972年)の第三作である。前作『ブリティッシュ・サウンズ』を完成させた1969年3月、ゴダールらはプラハに飛んだ。「プラハの春」と呼ばれた1968年、同6月27日の『二千語宣言』、同8月20日深夜、ソ連による軍事介入とその失敗、1969年1月1日のチェコとスロヴァキアの連邦制による「チェコスロヴァキア社会主義連邦共和国」成立の流れのなかで、同4月に終わりを告げる、まさにその直前のプラハである。
そこで「ジガ・ヴェルトフ集団」は、『ひなぎく』(1966年)を監督した「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」の女性監督ヴェラ・ヒティロヴァを直撃した。ゴダールはヒティロヴァを批判し、「あなたはザナックでありパラマウントではないか」と問う。彼女は答える。「アーサー・ペンとアントニオーニのようなものです」。同席した同じくプラハの映画監督イヴァン・パッセルがゴダールに対し「あなたこそプチブル的だ」と反駁するという一幕もある。パッセルは同年、アメリカに亡命する。その直前のプラハでの貴重な映像である。
クロード・ネジャールは1940年生まれの若手プロデューサーで、ルネ・アリオ監督の長篇第一作『La Vieille dame indigne』(1965年)で25歳にしてプロデューサーになり、フィリップ・ガレル監督の中篇『現像液 Le Révélateur』(1968年)などを経て、本作は4作目となる。その後ルイ・マル監督の『好奇心』(1971年)では製作とともにマルと共同で脚本も手がけた。パッセルは、アメリカ亡命後は英語読みの「アイヴァン・パサー」として、ジョージ・シーガル主演の『生き残るヤツ』(1971年)やピーター・オトゥール主演の『クリエイター』(1985年)などの監督作を手がけ、現在も活躍中である。
「プラウダ Правда」とは、ロシア語で「真実」を意味すると同時にソ連共産党の機関紙の名であり、同集団が名を冠したソ連の映画監督ジガ・ヴェルトフの短篇シリーズ『キノ・プラウダ』(1922年 - 1925年)にも由来している。同集団が追求するドキュメンタリーの手法「シネマ・ヴェリテ」とは「キノ・プラウダ Киноправда」の直訳である。ゴダールと「ジガ・ヴェルトフ集団」は、本作で、アメリカ帝国主義とソ連のスターリニズムとの関係における「真実」を「1969年のプラハ」に見出そうとしたのである。
日本では、フランス映画社の配給と大島渚や佐々木守らの「創造社」(1961年 - 1972年)の共催による「ゴダール・マニフェスト」のシリーズで、1971年11月3日、東京・新宿の「蠍座」で『ブリティッシュ・サウンズ』とともに公開された。チェコでは2001年の「イフラヴァ国際ドキュメンタリー映画祭」で上映されている。
構成
基調は、チェコスロヴァキアの日常生活がモンタージュされ、「ウラジミール」という男と「ローザ」という女のナレーション[2]でその分析が行われる。
- 日常のさまざまなシーンを短い断片的なショットでつないでみせる。
- おなじショットを、学生、カードル、農民、兵士プロレタリア、ソ連などの項目に対応して長めに再現する。映画監督ヴェラ・ヒティロヴァとの対話。経済主義(労働組合主義)、スターリン主義、官僚主義、西欧主義(対義語は汎スラヴ主義)や修正主義の具体的問題点を分析する。
- プラハの中心から郊外へと走る赤い市電のクローズアップなどを提示しながら、間違った「映像」へのマルクス・レーニン主義の「音響」による修正の方法を示す。
- 階級闘争、生産闘争、科学実験の社会的実践と闘争の呼びかけ。
作品データ
カラー作品(16 mm) / 上映時間 58分 / 上映サイズ1:1.37(スタンダード・サイズ)
スタッフ
註
外部リンク
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プロデューサー | |
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監督作品以外の おもなジャン= リュック・ゴダール 出演作品 | |
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