モンパルナスとルヴァロア
『モンパルナスとルヴァロア』(Montparnasse et Levallois)は、1964年(昭和39年)製作、1965年(昭和40年)公開、フランスのオムニバス映画『パリところどころ』の一篇として、ジャン=リュック・ゴダールが監督した短篇映画である。 概要
本作『モンパルナスとルヴァロア』は、ジャン・ジロドゥーの『月曜物語』でのストーリーと、ジャン=ポール・ベルモンドが『女は女である』(1961年)のなかで発言したことをもとに、ゴダールが脚本を書いた[1]。1963年(昭和38年)12月 - 1964年(昭和39年)1月、14区のモンパルナスにある彫刻家フィリップ・イキリの工房と、17区の北西に隣接したパリ郊外オー=ド=セーヌ県のルヴァロワで撮影した[1]。 モニカを演じるジョアンナ・シムカスは、カナダ生まれの女優で、1964年12月29日公開のジャン・オーレル監督の『スタンダールの恋愛論』でデビューしている。撮影は本作のほうが早い。彫刻家ロジェを演じるフィリップ・イキリは、実際にもパリ生まれの彫刻家で、工房を撮影用ロケセットに提供している。本作以降に映画の出演はない。イヴァンを演じるセルジュ・ダヴリは、純粋な俳優で、フランソワ・トリュフォー監督の『ピアニストを撃て』(1960年)や、トリュフォーの共同脚本家として知られるクロード・ド・ジヴレーの監督デビュー作『のらくら兵62』(1960年)、第2作『すごい野郎』(1961年)に顔を出している役者である。 本作のカメラマンは、ダイレクト・シネマの最初の映画とされるロバート・デュー監督の『プライマリー』(1960年)に、リチャード・リーコックとともに撮影監督としてクレジットされているアルバート・メイスルズである。この人脈とのこの時点での接続が、やがて1968年(昭和43年)、D・A・ペネベイカー、リチャード・リーコックとともに製作する『ワン・アメリカン・ムービー』へ結実する。 ゴダールは、「監督」クレジットを「réalisation」等ではなく、「film organisé」(作品組織化[2])とクレジットした[1]。 本作を織り込んだ『パリところどころ』は、1965年5月19日、第18回カンヌ国際映画祭で上映され[1]、同年10月13日にフランスで一般公開された[1]。 スタッフ
キャスト
ストーリーモニカ(ジョアンナ・シムクス)は、モンパルナスに住むロジェ(フィリップ・イキリ)にも、ルヴァロワに住む(イヴァン)にも、両方に速達で手紙を出した。しかし、あて先を逆に送ってしまい、結局、両方から振られてしまう。 関連事項関連書籍
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