リッチ・ゲイル Rich Gale
ロイヤルズ時代(1980年) | 基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
ニューハンプシャー州グラフトン郡リトルトン |
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生年月日 |
(1954-01-19) 1954年1月19日(71歳) |
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身長 体重 |
6' 6" =約198.1 cm 225 lb =約102.1 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1975年 MLBドラフト5巡目 |
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初出場 |
MLB / 1978年4月30日 NPB / 1985年4月14日 |
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最終出場 |
MLB / 1984年9月28日 NPB / 1986年10月7日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
|
コーチ歴 |
- ボストン・レッドソックス (1992 - 1993)
| |
リチャード・ブラックウェル・"リッチ"・ゲイル(Richard Blackwell "Rich" Gale , 1954年1月19日 - )は、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州リトルトン出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
1975年のMLBドラフト5巡目でカンザスシティ・ロイヤルズに指名され契約。1978年にメジャー初昇格して先発ローテーションに定着し、14勝を挙げる。1980年には13勝を挙げリーグ優勝に貢献し、ワールドシリーズでも第3戦と第6戦に先発した。1981年シーズン後にサンフランシスコ・ジャイアンツにトレードされ、その後はシンシナティ・レッズ、ボストン・レッドソックスでプレー。
1985年に来日し、阪神タイガースに入団。これはこの年監督に復帰した吉田義男が1980年のワールドシリーズの投球を直接目にし、印象に残っていたことが遠因であった。吉田の友人であるロイヤルズ監督ジム・フライを通して、交渉し獲得する事が出来た[1]。吉田によると「体は大きいが神経質な投手」だったという[2]。シーズン中盤には投球モーションの大きい点を突いた足を使った攻撃に悩まされて白星から遠ざかり、ブルペン入り(=リリーフ)を申し出たが、吉田は「先発で契約したからはずさない」と使い続けた[2]。この年は打線が爆発したこともあって立ち直り、防御率4.30ながら13勝8敗の好成績を収める。日本シリーズでも2勝を挙げ、日本一を決めた第6戦は完投勝利。球団史上初の日本シリーズ胴上げ投手となった。
1986年は、前年の打線の爆発がなくなり防御率は4.56、5勝10敗に落ち込み、オフに自由契約となり退団。同年に開幕投手を巡り吉田と対立。吉田は開幕カードの対大洋3連戦を池田親興・工藤一彦・ゲイルと決めていたが、ゲイルは「なぜ前年の優勝に貢献した自分が第3戦なのだ」と反論した。これに対し吉田は調整の遅れや既に他球団に投球を読まれているためだと説明している。このように起用法や遠征先での待遇にことあるごとに注文を出し、吉田を「ゲイルは1年目で切っておくべきだった」と後悔させている[3]。
1992年から1993年までボストン・レッドソックスの投手コーチを務めた。2006年にはフロリダ・マーリンズ傘下のAA級カロライナの投手コーチを務め、2007年から2008年までは同じくマーリンズ傘下(当時)のAAA級アルバカーキの投手コーチを務めた。2010年からはミルウォーキー・ブルワーズ傘下のAAA級ナッシュビルの投手コーチを務めている。
2019年時点でもゲイルの元には熱心な阪神ファンから手紙が届くという[4]。
2023年に、自身の在籍当時以来38年ぶりに阪神が日本シリーズを制覇した際にはスポーツメディア『ジ・アスレチック』にコメントを寄せ、1985年の日本シリーズに勝利してランディ・バースとともに帰阪する時に乗った飛行機では乗客の多くを占めた阪神ファンが涙しており、「私たちは普段、人々のそのような感情を目にすることはなかった」と回想した[5]。
プレースタイル
日本でのオープン戦の初登板となった1985年3月の対阪急戦(西宮球場)でマウンド上で頻繁に手に息を吹きかける仕草を見た審判は「スピットボール」ではないかと注意している。本人は「寒いから手を暖めているだけ」と否定している。上記の出来事から、ゲイルの変化球は「スピットボール」ではないかとう疑いを一部で持たれた。公式戦開幕後、対巨人戦でゲイルからヒットを打った中畑清が、一塁手のランディ・バースに「あの球はなんだい?」と話した。それに、バースは「スピットボール」と答え、その仕草までしてみせた。ただし真相はバースが中畑をからかった悪戯だった。
打撃に関しては、1985年にデビュー戦で4打席4三振、75打席で50三振を喫するなど打てない投手の見本であり、翌1986年4月19日の対中日戦(ナゴヤ球場)では1試合5三振の日本タイ記録を樹立するなど打撃には全く期待できないゲイルであるが、5月28日には甲子園で来日初ホームランを当時話題の高卒ルーキー桑田真澄(巨人)から放ち周囲を驚かせた(1986年はシーズン2本塁打を放っている。2号は6月27日の神宮のヤクルト戦で尾花高夫から)。メジャーリーグでもジャイアンツ時代の1982年、レッズ時代の1983年にそれぞれ1本ずつ本塁打を記録している。
日本時代は休日早朝を練習に当て、午後は家族サービスの時間にしていた[6]。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
1978
|
KC
|
31 |
30 |
9 |
3 |
1 |
14 |
8 |
0 |
-- |
.636 |
821 |
192.1 |
171 |
10 |
100 |
3 |
3 |
88 |
5 |
0 |
78 |
66 |
3.09 |
1.41
|
1979
|
34 |
31 |
2 |
1 |
0 |
9 |
10 |
0 |
-- |
.474 |
830 |
181.2 |
197 |
19 |
99 |
4 |
4 |
103 |
5 |
0 |
131 |
114 |
5.65 |
1.63
|
1980
|
32 |
28 |
6 |
1 |
0 |
13 |
9 |
1 |
-- |
.591 |
799 |
190.2 |
169 |
16 |
78 |
2 |
2 |
97 |
6 |
0 |
90 |
83 |
3.92 |
1.30
|
1981
|
19 |
15 |
2 |
0 |
0 |
6 |
6 |
0 |
-- |
.500 |
440 |
101.2 |
107 |
14 |
38 |
0 |
2 |
47 |
0 |
0 |
63 |
61 |
5.40 |
1.43
|
1982
|
SF
|
33 |
29 |
2 |
0 |
0 |
7 |
14 |
0 |
-- |
.333 |
765 |
170.1 |
193 |
9 |
81 |
11 |
5 |
102 |
5 |
0 |
91 |
80 |
4.23 |
1.61
|
1983
|
CIN
|
33 |
7 |
0 |
0 |
0 |
4 |
6 |
1 |
-- |
.400 |
408 |
89.2 |
103 |
8 |
43 |
8 |
1 |
53 |
3 |
1 |
64 |
58 |
5.82 |
1.63
|
1984
|
BOS
|
13 |
4 |
0 |
0 |
0 |
2 |
3 |
0 |
-- |
.400 |
200 |
43.2 |
57 |
6 |
18 |
0 |
1 |
28 |
0 |
0 |
27 |
27 |
5.56 |
1.72
|
1985
|
阪神
|
33 |
33 |
4 |
2 |
0 |
13 |
8 |
0 |
-- |
.619 |
829 |
190.2 |
187 |
23 |
84 |
0 |
0 |
126 |
4 |
0 |
99 |
91 |
4.30 |
1.42
|
1986
|
27 |
27 |
2 |
1 |
0 |
5 |
10 |
0 |
-- |
.333 |
706 |
161.2 |
182 |
16 |
50 |
4 |
3 |
102 |
3 |
0 |
91 |
82 |
4.56 |
1.44
|
MLB:7年
|
195 |
144 |
21 |
5 |
1 |
55 |
56 |
2 |
-- |
.495 |
4263 |
970.0 |
997 |
82 |
457 |
28 |
18 |
518 |
24 |
1 |
544 |
489 |
4.54 |
1.50
|
NPB:2年
|
60 |
60 |
6 |
3 |
0 |
18 |
18 |
0 |
-- |
.500 |
1535 |
352.1 |
369 |
39 |
134 |
4 |
3 |
228 |
7 |
0 |
190 |
173 |
4.42 |
1.43
|
記録
- NPB
表彰
背番号
- 38 (1978年 - 1981年)
- 32 (1982年 - 1983年)
- 30 (1984年)
- 45 (1985年 - 1986年)
- 35 (1992年 - 1993年)
脚注
関連項目
外部リンク
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 |
- 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰
- 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正
- 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義
- 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清
- 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊
- 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二
- 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実
- 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己
- 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治
- 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸
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1990年代 |
- 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤
- 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎
- 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也
- 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也
- 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦
- 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾
- 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー
- 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛
- 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広
- 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司
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2000年代 |
- 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成
- 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満
- 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之
- 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎
- 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信
- 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁
- 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲
- 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博
- 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広
- 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一
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2010年代 |
- 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平
- 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩
- 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー
- 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也
- 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太
- 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太
- 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔
- 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大
- 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃
- 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩
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2020年代 |
- 2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐
- 2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎
- 2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆
- 2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸
- 2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ
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