一色恭志
一色 恭志(いっしき ただし、1994年6月5日 - )は京都府与謝郡与謝野町出身の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。豊川高校(愛知県)、青山学院大学経営学部・経営学科卒業。NTT西日本陸上競技部所属。既婚。 経歴中学時代2009年、全日本中学校陸上競技選手権大会の800mに出場したが、準決勝で敗退。 高校時代2010年、宮城県、仙台育英学園高等学校に入学。同期入学には服部弾馬がいる。1年生で第61回全国高校駅伝に2区で出場し区間2位。2011年、2年次にはアンカーを務めて区間賞を獲得[1]。 2012年、愛知県の豊川高校に転校。12月の全国高校駅伝では、初出場の豊川高校4区で出場。第3中継所で既に1位であり、2位と1分15秒差をつけていたが区間賞を獲得する走りで2位との差を1分55秒に広げ、豊川高校の初出場初優勝に貢献した[2]。豊川高校の2学年後輩には、のちに大学でチームメイトとなる小野田勇次がいる。 2013年3月、ブィドゴシュチュ(ポーランド) で行われた第40回世界クロスカントリー選手権に日本代表としてジュニア男子8kmに出場。同時期に豊川高校を卒業。 大学時代2013年4月、青山学院大学に進学し同陸上競技部・男子長距離ブロックに入部。1年生で学生3大駅伝に全て出場。 2015年1月、第91回東京箱根間往復大学駅伝競走では青山学院大学2年生ながらエース区間2区を務め区間3位。往路優勝、総合優勝に貢献した[3]。 2015年3月、ユニバーシアード選考会を兼ねた日本学生ハーフマラソンに出場し、優勝を果たした。同年7月、光州で行われたユニバーシアードでハーフマラソンに出場。1時間4分52秒で銀メダル獲得。青山学院大学の先輩であり同大会で優勝した小椋裕介とワンツーフィニッシュを決め、ハーフマラソン男子団体優勝に導いた[4]。 2016年1月、第92回東京箱根間往復大学駅伝競走では前年に続いてエース区間2区を務め、区間3位。青山学院大学の連覇、完全優勝に貢献した。 2016年2月、初のフルマラソン挑戦となる東京マラソン2016に出場。結果は2時間11分台のゴールタイムで日本人3着・総合11位と健闘。しかし、青山学院大学の後輩で日本人2着・総合10位に入った下田裕太には11秒差で敗れ、インタビューでは「下田に負けたのが悔しい。35Km過ぎてから全く思うように走れなかった」と厳しい表情でコメントしていた[5]。 2016年5月19日、関東インカレ2部10000mで駒大中谷圭佑についで、28分45秒33で2位。5月22日、2部5000mで優勝、13分51秒15。 2016年6月26日、第100回日本陸上選手権で5000mに出場。強豪選手が集う中、13分39秒65のタイムで4位と健闘する。自己ベスト記録も更新した。 2016年11月、第48回全日本大学駅伝対校選手権大会では最長区間の最終8区を務め、6キロ地点で49秒前に出走した早稲田大学の安井雄一を交わして先頭に立ち、初優勝を勝ち取った。 2017年1月、第93回東京箱根間往復大学駅伝競走では前年に続いてエース区間2区を務め、区間3位、2区67分台を3度記録したのは日本大学のダニエル以来、日本人では初めてである。青山学院大学の3連覇、完全優勝、大学駅伝3冠に貢献した。 同年1月、第22回天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会(ひろしま男子駅伝)へ、京都府代表として7区・アンカーを担当。青山学院大の先輩・神野大地(愛知県代表)と下田裕太(静岡県代表)らと、3位争いのデッドヒートを繰り広げたが、ゴール手前で神野のラストスパートについていけず、京都府代表は総合4位・自身区間5位だった[6]。 2017年3月、大学最後の公式レースとなる第72回びわ湖毎日マラソンへ2度目のフルマラソン出場となるも、5Km地点の給水に失敗した影響か、18Km過ぎで先頭集団から脱落。その後25Km付近、意識朦朧状態により倒れ込んでしまい途中棄権し、救急車で病院搬送された[7]。 GMOアスリーツ時代大学卒業後は、既に内定していたGMOインターネットが創設しているGMOアスリーツに入部[8]。 2017年12月、第48回防府読売マラソンへ社会人入り後初のフルマラソンに挑戦。30Km付近までペースメーカーが先導する優勝争いの集団に加わっていたが、その後優勝した公務員ランナー・川内優輝らのロングスパートについていけず終盤はスローダウン。結果は2時間15分台の8位に留まった[9]。 2018年2月、自身4度目となる東京マラソン2018・フルの部に出場。終始ペースが大きく乱れることなく、40Km手前では青学大駅伝部の1年先輩だった神野大地(コニカミノルタ)を追い抜き、2時間09分台の好タイムでフィニッシュ。自己ベスト記録を約2分更新し、かつ一色自身初めて(また、青学大駅伝部OBとしても史上初)のサブ10(2時間10分未満)を達成した。しかしながら総合順位13位・日本男子でも8着と、今大会は設楽悠太(Honda)が2時間6分11秒のゴールタイムで、男子マラソン日本記録を16年ぶり更新など全体的にハイレベルな争いとなり、マラソングランドチャンピオンシップ(2020年東京オリンピック選考会)出場権獲得は成らなかった。 2018年10月、自身海外初挑戦のフランクフルトマラソン(ドイツ)で、MGC出場権(ワイルドカード・男子2大会2時間11分以内)を目指したが、結局2時間14分台の総合17位に終わった。 翌2019年3月、2年連続で東京マラソン2019にエントリー。序盤から先頭から離れて第2集団に待機していたが、レース後半に入ると冷雨と向い風による影響でペースダウン。総合10位(日本人6着)でゴールするも、記録は2時間12分21秒とワイルドカードとしてのMGC出場条件は僅か4秒届かず(2時間12分17秒以内)、ゴール後は完全に力尽き倒れ込み、無念の表情を浮かべていた[10][11]。 MGCへのラストチャンスを賭けて、東京から2か月弱のインターバルながら同年4月のハンブルクマラソン2019に出走。2時間11分台の記録でフィニッシュし、ようやくワイルドカードの基準を満たしてMGC出場権を獲得。これで青学大OBとしては合計4人(ほか橋本崚・藤川拓也・神野大地)と成り、原晋監督は一色に労いの言葉を送っていた[12][13]。 だがその後、腸脛靭帯炎を発症し猛練習を積む事が出来ず、2019年9月15日開催のMGC本番レースは調整不足により欠場を表明[14]、東京五輪の男子マラソン日本代表出場は絶望的となった[15]。 2020年1月の第25回天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会へ、3年ぶりに京都府代表の7区・アンカーを務め、6区からの中継所では暫定3位でたすきを受けた。だが、スタート直後からスピードに乗れず、後続のランナーに次々と追い抜かれてしまい、京都府代表は総合13位・自身区間41位の不本意な結果に終わった[16][17]。 2020年3月の東京マラソン2020へ3年連続で出走。日本記録並みのハイペースな第2集団についていったが、20Km付近で脱落。それでも後半は大きくペースダウンすること無く上手くまとめて、マラソン自己記録を2分4秒更新する、2時間7分39秒の総合15位(日本人9着)に入った[18]。なお、同大会では男子マラソン日本記録保持者の大迫傑(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)が2時間5分29秒のゴールタイムで、大迫自らが持つマラソン日本記録を21秒更新となった[19]。 2年振りのフルマラソン出場だった、2022年2月の第10回大阪マラソン(第77回びわ湖毎日マラソンと統合)では通算3回目のサブテンとなる2時間09分32秒でゴールするも、男子総合は11位に留まった[20]。 NTT西日本時代2023年3月末にGMOアスリーツを退部し、2023年4月にNTT西日本陸上競技部に移籍した[21]。 人物・エピソード
主な戦績(マラソン以外)2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2019年
2020年
大学駅伝成績
マラソン全成績
自己記録
脚注
外部リンク
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