上鶴間本町
上鶴間本町(かみつるまほんちょう)は、神奈川県相模原市南区の町名。現行行政地名は上鶴間本町一丁目から九丁目。住居表示実施済区域[5]。 地理元の大字上鶴間の一部であり、2004年(平成16年)の住居表示実施によって成立した。この住居表示により現在「大字上鶴間」を称するのは在日米軍相模原住宅地区の区域のみとなっている。 相模原市の東南端に位置し、境川と国道16号に挟まれた区域を占める。境川に沿って延びる段丘崖を挟み南側は相模原台地上の平坦面が広がっている。古くからの集落は段丘崖の周辺に分布し、いくつかの集落に分かれている。境川沿いの低地は水田として利用されてきたが、かつて境川は激しく蛇行しており周辺は洪水に悩まされてきた。 1970年代以降、これに対する河川改修が行われ流路の直線化と拡幅がなされたが、蛇行した旧流路に基づく都県境はそのまま残され、対岸の東京都町田市との間に相互に川向うの飛び地を持つこととなった。相模原市と町田市との間で境界を現流路に合わせて飛び地を解消するための協議が進められているが、2010年3月末現在でも部分的な実現にとどまる。 相模原台地上は水を得ることが困難なために農地としての利用が遅れたが、幕末から明治以降の開墾を経て畑が広がるようになった。養蚕が盛んであった明治から昭和初期にかけては多くが桑畑として利用されたが、養蚕の衰退後は主に野菜の栽培が行われている。一丁目から四丁目、六丁目にかけて国道16号に並行し「旧道」と呼ばれている神奈川往還が通過し、一丁目付近は路村としての景観を有する。 三丁目の一部は境川の北側まで及び東日本旅客鉄道(JR東日本)横浜線町田駅(旧・原町田駅)に至近な位置にあることから商業地区となっている。俗に「田んぼ」と呼ばれ風俗店が多く出店していることで知られていたが、2000年代に入って警察の取り締まりが強化されたことからその数は以前よりも大幅に減少している。 町田駅と小田急相模大野駅の間にあって全体の市街地化は比較的に緩慢であったが、1970年代後半以降は急速な宅地化が進行中であり、境川沿いの水田はほぼ姿を消した。相模原台地上でも宅地等への転用が進んでおり、農地はその面積を大幅に減らしている。1990年代以降は町田駅や相模大野駅に近い区域でのマンションの新築が目立っている。 河川
地価住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、上鶴間本町2-36-31の地点で28万9000円/m2、上鶴間本町4-18-10の地点で30万円/m2、上鶴間本町8-23-2の地点で15万8000円/m2となっている[6]。 歴史地名の由来一説に昔、鶴が飛来したという「鶴舞の里」に由来するとされる。 沿革
世帯数と人口2020年(令和2年)10月1日現在(国勢調査)の世帯数と人口(総務省調べ)は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2018年2月時点)[10]
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[11]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
交通鉄道当区域内を小田急電鉄小田原線が通過するが区域内に駅はない。同線の相模大野駅が一丁目および四丁目の近くにある。三丁目の一部は東日本旅客鉄道(JR東日本)横浜線町田駅に接し、同駅南口西側階段下の広場周辺は当区域に含まれる。二丁目、三丁目は小田急線の町田駅にも近い。 道路・橋梁
施設
その他日本郵便関連項目出典
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