四方田修平
四方田 修平(よもだ しゅうへい、1973年3月14日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現在はJリーグ・横浜FCの監督を務める。 来歴幼少期サッカーを始めたのは横浜市で小学校に入学してからで、千葉県へ引っ越すまで約1年半プレーした[1]。幼稚園時代から小学校2年生の途中までは岡野雅行と同級生として過ごし、同じサッカークラブに所属していた[1]。千葉県へ引っ越した後は、地元にサッカーチームがなかったため野球を始めたが、小学校5年の時から再び部活動でサッカーに復帰した[1]。 高校、大学、日本代表スタッフ習志野市立習志野高等学校を卒業後、順天堂大学へ入学して蹴球部に所属。この頃から将来の指導者を目指し始めた[1]。筑波大学大学院へ進学してコーチ学を学び[2]、1996年から1998年まで筑波大学蹴球部コーチを務めた。筑波大学大学院では田嶋幸三研究室に所属し[3]、論文『サッカーにおけるスライディングタックルに関する研究』を発表[4]。 1996年から1998年までサッカー日本代表チームのスカウティングスタッフも務め、1998年のワールドカップでは岡田武史監督の下、スカウティング担当として日本代表に同行した[5]。 北海道コンサドーレ札幌1999年、コンサドーレ札幌監督に就任した岡田武史の誘いを受け[5]、。2002年からコンサドーレ札幌ユースU-18コーチを務め、2004年に同クラブのユースU-18監督に就任。U-18監督としては、2010年までプリンスリーグ北海道で優勝6回[注 2]。2011年にプレミアリーグ・イースト優勝、2012年に同準優勝。また2005年高円宮杯準優勝、2012年Jユースカップ優勝を導いた。U-18監督として指導した選手のうち、2016年までに32名がプロサッカー選手となった[注 3]。 2015年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得。7月24日にイヴィッツァ・バルバリッチの後任としてコンサドーレ札幌のトップチーム監督への就任が発表された[6]。最終順位は10位。 2016年は好調で、一時は2位と勝ち点10以上をつけた。10月に入りチームの調子が悪くなったが、負ければ自動昇格圏陥落もあり得た11月12日のアウェー千葉戦をアディショナルタイム弾で逆転勝ち。金沢との最終戦を0-0で終え、9年ぶりのJ2優勝と5年ぶりのJ1復帰を果たした。 J1残留を目標に掲げた2017年は、ホームでは勝ち点を積み上げられるものの、アウェイでなかなか勝つことが出来ない状況が続き、更に5月から6月にかけて6連敗を喫して、残留争いに巻き込まれる。しかし、徐々に調子を取り戻し、第30節のFC東京戦でアウェイ戦初勝利を収めると、第32節の清水戦の勝利で、見事J1残留を成し遂げた。第33節・第34節でも勝利し、3連勝で最終順位を11位でシーズンを締めくくった。11月30日に前浦和監督のミハイロ・ペトロヴィッチ氏が翌シーズンの監督に就任することが発表され、四方田の去就について噂されたが、コーチに就任することを受諾[7]。12月2日のシーズン最終戦後に発表した。 2018年1月にヘッドコーチに就任することになった[8]。 横浜FC2021年12月10日、横浜FCの監督に就任した[9]。 2022年シーズン、J2リーグで2位を確保し、J1リーグへの自動昇格を達成。 2023年5月度、月間優秀監督賞を受賞[10]。 所属クラブ・学歴指導歴
監督成績
タイトル監督時代
個人脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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