大毘盧遮那成仏神変加持経『大毘盧遮那成仏神変加持経』(だいびるしゃなじょうぶつじんべんかじきょう[注 1])、略して『大毘盧遮那経』(だいびるしゃなきょう)、あるいは『大日経』(だいにちきょう)は、大乗仏教における密教経典である[1]。八世紀に、善無畏・一行の共訳による漢訳、およびシーレーンドラボーディとペルツェクの共訳であるチベット語訳が相次いで成立したが、梵文原典は現存しない[1]。『金剛頂経』とともに真言密教における根本経典の一つとされる[2] 。 成立時期7世紀半の前後約30年間という栂尾祥雲1933年発表の説が一般に承認されている[3][1]。500年ごろにはすでに成立していたという説もあるが定説とはなっていない[1]。 構成漢訳『大日経』は、全7巻36品であるが、この内最初の第1巻から第6巻の31品が中核で、第7巻5品は供養儀軌で善無畏が別に入手した梵本を訳して付加したものと見られている[4]。 第1巻
第2巻
第3巻
第4巻
第5巻
第6巻
第7巻
内容内容は、真言宗のいわゆる事相 (行法) と教相 (教理) に相当する2つの部分から成り立つが、前者である胎蔵曼荼羅(の原形)の作法や真言、密教の儀式を説く事相の部分が大部分を占める。 仏部・金剛部・蓮華部の三部分類や、胎蔵界五仏の構成などについても説かれる。 また、この部分の記述は具体的であるが、師匠からの直接の伝法がなければ、真実は理解できないとされている[5]。
教相(教理)に相当するのは冒頭の「入真言門住心品」だけといってよく、ここで密教の理論的根拠が説かれている[6]。構成は、毘盧遮那如来と金剛手(秘密派の主たるもの)の対話によって真言門を説き明かしていくという、初期大乗経典のスタイルを踏襲している。 要諦は、金剛手の問いに対し、毘盧遮那如来が一切智智[7]を解き明かすことにあり、菩提心とは何かを説くところにある。
テキスト漢訳インドから唐にやってきた善無畏(Śubhakarasiṃha、637-735)と唐の学僧である一行によって724年[16]、あるいは725年に漢訳された[1]。大正大蔵経版と流布本には細かな違いが存在する。また、台密で用いられる注釈書である『大日経義釈』に引用される訳文は前者二つともまったく異なっている。全36品。 チベット語訳750年-760年、あるいは九世紀初め[16]にシーレーンドラボーディ(Śīlendrabodhi)とペルツェク(dPal brTsegs)によってチベット語に翻訳された[1]。漢訳とは章分けと順序などが異なっている。全29品。漢訳における「供養品」は、一本の『rnam-par-snang-mdzad-chen-po mngon-par-byang-chub-par-gtogs-pa'i mchod-pa'i cho-ga』(大毘盧遮那現等覚所属供養儀軌[注 6])という名前の儀軌仏典として別訳されているため含まれていない。むしろ漢訳が経典と儀軌をまとめて一本としたという説もある。 梵文断片原本となるサンスクリット原典はいまだ発見されていないが、引用により断片的なものは残っている。有名な「菩提心為因、大悲為根、 方便為究竟」句に対応する「tad etat sarvajñānāṃ karuṇāmūlaṃ bodhicittahetukam upāyaparyavasānam iti/」が知られる[17]。 日本語訳・注釈書
脚注注釈
出典
参考文献
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