岩代国(いわしろのくに)は、東北戦争終結直後に陸奥国より分立した、日本の地方区分の国の一つ。東山道に位置する。別称は岩州(がんしゅう)。領域は現在の福島県西半部にあたる。
領域
1869年(明治元年)の制定時の領域は、現在の福島県の下記の区域に相当する。会津の全域と中通りの北部を範囲とし、中通りは東隣の磐城国と分割する形となる。
沿革
養老2年(718年)、陸奥国から石背国と石城国が分割されたが、数年で陸奥国に復された。石背国の範囲はのちの岩代国とほぼ同じだったがやや広く、阿武隈川流域を含んだ。
明治元年12月7日(西暦1869年1月19日)に、陸奥国から岩代国、磐城国、陸前国、陸中国の4国が分立した。
岩代国の領域にあった藩は以下のとおりである。
※以下、陸奥国から分立前に廃止された藩
近代以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、陸奥国のうち後の岩代国内の支配は以下の通り(1,426村・745,262石余)。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。
- 慶応2年6月19日(1866年7月30日)
- 棚倉藩が武蔵川越藩に転封。
- 白河藩が棚倉藩に転封。旧領は幕府領となり、二本松藩が管轄。
- 慶応4年2月1日(1868年2月23日) - 棚倉藩が白河藩に転封(実行されず)。
- 明治元年
- 明治2年
- 明治初年 - 領地替えにより土浦藩領が白河県、新発田藩領が福島県(第1次)の管轄となる。
- 明治3年 - 領地替えにより足守藩領が福島県(第1次)の管轄となる。
- 明治4年
- 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により、全域が福島県(第2次)の管轄となる。
国内の施設
神社
令制国としての一宮ではないが、伊佐須美神社(大沼郡会津美里町)が全国一の宮会により「岩代国新一の宮」として認定されている。
地域
郡
人口
明治5年(1872年)の調査では、人口42万7933人を数えた。
脚注
注釈
- ^ 幕末時点では常陸府中藩領であり、戊辰戦争後に高田藩取締地となったとする資料もあるが、ここでは「旧高旧領取調帳」の記述によった。常陸府中藩は長沼村にも陣屋を置いていたため、長沼藩と呼ばれることもある。
- ^ 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。
- ^ 石岡県であったとする資料もある。
出典
関連項目
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