松平 忠誨(まつだいら ただのり)は、江戸時代後期の大名。摂津国尼崎藩の第5代藩主。桜井松平家14代当主。官位は従五位下・遠江守。
略歴
享和3年(1803年)7月14日[1][4]、4代藩主・松平忠宝の次男として誕生[1]。兄は早世しており[5]、尼崎藩の世嗣となった。文化10年(1813年)4月14日[3]、父の隠居を受けて、11歳で家督を継いだ[1][4]。
文政12年(1829年)8月27日[1][3]、尼崎において死去した[3][6]。享年27[1]。なおこの年4月14日には隠居の忠宝も没している[4]。
忠誨は婚姻しておらず[4]、世嗣となるべき子も無かった[7]。忠誨には弟の忠顕がいたが、忠顕は心の病を患っていたという[6]。このため、10月2日に忠誨の叔父(3代藩主忠告の末子)にあたる忠栄(26歳)が跡を継いだ[7]。
系譜
脚注
注釈
出典
外部リンク
桜井松平氏 尼崎藩5代藩主 (1813年 - 1829年) |
---|
建部家 | |
---|
戸田家 | |
---|
青山家 | |
---|
桜井松平家 | |
---|