植木 (鎌倉市)
植木(うえき)は、神奈川県鎌倉市の大字。旧鎌倉郡植木村。住居表示未実施区域[5]。 地理鎌倉市北西部(玉縄地域)に位置する。北辺を城廻、南辺を岡本、東辺を玉縄と接し、西辺は藤沢市渡内及び村岡東に接している。 地価住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、植木字植谷戸156番3の地点で14万3000円/m2となっている[6]。 歴史古くは玉縄村の一部だったようだが、元禄年間(1688年~1704年)に独立した村となった。 後北条氏が支配していた時期の植木は、玉縄城の城下に位置する事、藤沢~鎌倉間を結ぶ往還が植木内を走っていた事、龍寶寺など後北条氏ゆかりの寺院などがある事、天正年間(1573年~1592年)には大筒を鋳造可能な鍛冶屋が存在した事[7]などから、既に町が形成されていたものと推定されている。 後北条氏滅亡後は一時徳川氏の直轄領をへて、玉縄藩領となる。玉縄藩廃藩後は再び天領となるが、1711年(正徳元年)には新井白石に与えられる。同年来日した朝鮮通信使が鎌倉近辺を訪問した際、村内の龍寶寺が宿舎として使われた。 1882年(明治15年)に玉縄小学校が龍寶寺境内に移転[8]する。 1889年(明治22年)に玉縄村と再び合併し植木は大字になった。 地名の由来後北条氏によって玉縄城が築城された際に城を防衛するために多数の樹木を植林した事に由来すると伝わる。植木という地名が現存する史書によって初めて確認できるのは1589年(天正17年)に後北条氏が発給した朱印状[7]である。 文化財遺跡・旧跡
文化財世帯数と人口2023年(令和5年)9月1日現在(鎌倉市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年7月時点)[16][17]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[18]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
交通道路バス施設
その他日本郵便脚注
参考文献
関連項目
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