一般社団法人漫才協会(まんざいきょうかい)は、主に東京で活動する漫才師が加盟する、漫才公演の開催・漫才師の育成・広報を目的とする一般社団法人である。
役員
歴史
- 1935年(昭和10年):「帝都漫才組合」設立。80余組が参加。吉本興業(東京吉本)所属の林家染団治が会長に就任。
- 1940年(昭和15年):戦時経済下の国家統制機関の一部となる。東京の全漫才師の加盟が強制され、同時に「帝都漫才協会」へ改称。会長に大朝家五二郎、副会長兼書記長に千代田松緑が就任。両名とも専従となる。
- 1943年(昭和18年):「大日本漫才協会」の東京支部に改称。支部長は引き続き大朝家五二郎[注釈 1]。
- 1945年(昭和20年):敗戦により消滅。
- 1955年(昭和30年):「漫才研究会」設立。初代会長にリーガル万吉。
- 1956年(昭和31年):漫才コンクール初開催。
- 1964年(昭和39年):漫才協団へ改称。
- 1971年(昭和46年):真打ち制度を導入。
- 2002年(平成14年):漫才新人大賞を開始。
- 2005年(平成17年):旧法のもとで法人格を取得、社団法人漫才協会へと改称。
- 2008年(平成20年)
- 2015年(平成27年):YouTube漫才協会公式アカウントを開設し、オリジナル番組である『madio(漫才協会のマジめなラジオ・マジオ)』を全世界に向けて配信を開始した。しかし、諸事情により実質1年ほどで休止となる。
- 2016年(平成28年):同年の漫才大会で母心、コンパス 、カントリーズ、オキシジェン、新宿カウボーイの5組によるユニット「漫才協会若手五つ星」を結成し、押し出していく方針を発表[2]。公演を定期的に行う[3]計画だったが、約1年の間に4回行ったのみでこの試みは事実上の頓挫。2019年からは母心、オキシジェン、新宿カウボーイの3組による「浅草ニューウェーブ」として再起動を図る[4]。
- 2019年(平成31年):3月、テレビ番組を主体に活動してきたタレントら12組が加入[5]。その後も一定の実績や知名度を有する芸人の加入が相次ぎ、協会の顔ぶれが大きく変容した年となった。
- 2020年(令和2年)
- 8月22日、内海桂子名誉会長(第5代会長)が97歳で死去[6] 。
- 12月1日、浅草東洋館「漫才大行進」12月1日の出演者1名が3日午後に新型コロナウイルス陽性と判明、4日より10日までの同公演が中止となる。
- 毎年恒例の「漫才大会」は新型コロナウイルス感染症予防の観点から浅草演芸ホールに場所を移し、三部総入れ替え制で12月30日に開催[7]。
- 2021年(令和3年)
- 6月16日、漫才協会の外部理事として放送作家の高田文夫が就任[8]。
- 12月19日、1月に協会に加入した錦鯉がM-1グランプリで優勝。同協会員のM-1優勝は初。
- 前年に引き続き「漫才大会」を浅草演芸ホールで三部総入れ替え制で12月30日に開催。
- 2022年(令和4年)
- 3月11日、歌謡コーラスグループの純烈が浅草東洋館の「漫才大行進」定席興行に出演し、歌謡、トーク、漫才協会員を交えたトークを披露。以降も3か月に1回を目安に定席興行に特別出演予定[9][10]。
- 前年に引き続き「漫才大会」を浅草演芸ホールで三部総入れ替え制で12月30日に開催。
- 2023年(令和5年):協会の役員互選が行われ、青空球児会長が退任し名誉会長に、後任の第7代会長に副会長であったナイツの塙がそれぞれ就任[11]。
歴代会長
代数
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芸名
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本名
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任期
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備考
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1
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リーガル万吉
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寄木昇
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1955年 - 1956年
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漫才研究会
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2
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都上英二
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股村太三夫
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1956年 - 1964年
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漫才研究会
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3
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コロムビア・トップ
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下村泰
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1964年 - 1993年
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漫才協団
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4
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リーガル天才
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曽我忠一
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1993年 - 1998年
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漫才協団
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5
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内海桂子
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安藤良子
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1998年 - 2007年
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漫才協団→社団法人漫才協会
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6
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青空球児
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下地康夫
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2007年 - 2023年
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社団法人漫才協会→一般社団法人漫才協会
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7
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塙宣之
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塙宣之
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2023年 -
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一般社団法人漫才協会
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主なイベント
- 漫才新人大賞 予選会[注釈 2]
- ばく笑ひぐらし名人会 若手会(毎年4月)
- 大演芸まつり(毎年5月)
- 漫才新人大賞[注釈 3]
- ばく笑ひぐらし名人会(毎年9月)
- 漫才大会(毎年12月30日) - 2019年までは11月に浅草公会堂で行われ、併せて真打ち昇進披露が行われた。この模様は1981年から2015年まで『年忘れ漫才競演』[注釈 4]、2016年は『漫才カーニバル』としてNHK総合テレビで録画放映された。2020年以降は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点もあり、浅草演芸ホールに場所を移して12月30日に三部入れ替え制で開催されている。
- 漫才しゃべくり大行進(吉本興業との合同興行)
- 年忘れ漫才大行進(12月30日) - 2019年で浅草演芸ホールの年末特別興行のひとつとして行われていたが、2020年以降は同日に前述の漫才大会が浅草演芸ホールで行われており、休止中。
- 特撰東京漫才
定席
所属会員
漫才協会ホームページ記載順(2024年9月現在[14])。近年は外部からの新規入会芸人が大幅に増加しているが、同様にベテランを中心とした漫才コンビの解散(相方の死別も含む)からのピン芸人転向例が増加している[注釈 5]。この事から協会では新たな内規を設けており、原則として「相方の死別などの特段の事情がないとピン芸人として協会残留を認めない」「個人的な理由でのコンビ解散は認めない」など、協会在籍者に関する取り決めが厳格化されているという[15]。
外部からの途中入会以外で、若手漫才師が新規に協会員となるためには「芸歴に関係なく、入会5年以内は漫才協会主催の定席公演の進行補助役(当番または手伝いと呼ぶ)を行える者(月3、4回以上)」(入会後は当番を10回程度行った後に、理事の承認が得られ次第、舞台に上がることが可能となる)「入会時に、入会金を支払う意志のある者(コンビで30,000円=1人15,000円)」「反社会的勢力に属していない、または関与していないこと」「応募時の年齢が概ね35歳まで」などの諸条件があり、書類・ネタ動画選考・面接などの審査が行われる[16]。
年会費は2023年9月現在で1人8,000円。現会長の塙宣之の発言によれば以前は10,000円であったが、新型コロナウイルス感染拡大による興行活動の縮小などもあり、支払いが難しい声が寄せられたことから引き下げられたという[17]。
名誉会員
過去の主な所属会員
真打ち経験者は当該記事を参照。※印は『東京漫才の殿堂』に入賞したコンビ。
真打(真打ち)制度
漫才協会では、1971年より落語界と同様に「真打」(「真打ち」)制度を導入している[19]。真打ちは各定席のトリ(主任)を務め、弟子を採ることができる。毎年浅草公会堂で開催される「漫才大会」で「真打ち昇進披露」が行われていた(「漫才大会」が年末に移行したため、11月の浅草東洋館定席興行内でお披露目が行われる[20])[21]。
真打(真打ち)制度は、1970年、当時会長であったコロンビア・トップが提唱したもので、公式には戦前にあった「暗黙のうちに」前座、真打とする見方を復活させるという位置づけであったが、内実はテレビ番組出演時のギャラアップのためのデモンストレーションと若手への励みとするものであった[22]。
真打(真打ち)昇進は、ここ近年は1年につき1組が慣例となっているが、必ずしも毎年真打ち昇進が出る訳ではない。また、松鶴家千代若・千代菊、獅子てんや・瀬戸わんや、内海桂子・好江、星セント・ルイス、おぼん・こぼんなどのように、公式には真打ちに昇進した記録がないコンビも主任(トリ)を務めたり、協会幹部への就任や弟子を採ったりと実質的に真打ちと同等の扱いがされる場合もある。なお、漫才以外の芸人が真打ちに昇進した記録は確認できない。
昇進には協会への在籍が10年以上という内規があるが、ブレイクにより「飛び級」で認められる場合がある(Wコロン、U字工事など)。
2023年に協会の体制が塙会長に交代して以降は、真打(真打ち)昇進前の中堅のコンビ(エルシャラカーニ、X-GUNなど)や漫才以外の芸人(ぴろき、ねづっちなど)が主任を務める機会も増えつつあり、階級に捉われない番組編成が見られる。
2024年のオキシジェンの昇進以降は、協会ホームページなどの表記も「真打ち」から「真打」に改められている[20]。
歴代真打(真打ち)
なお「(現存しない)」との印が付いたユニットは、メンバーの死去・解散などの理由により現存しないユニットである。※印は『東京漫才の殿堂』に入賞したコンビを表す。
代数
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ユニット名
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昇進年
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備考
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01
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あおそらせんやいちや/青空千夜・一夜(現存しない)※
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1971年
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1991年に千夜、1996年に一夜がぞれぞれ死去
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02
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にいやまのりろおとりろお/新山ノリロー・トリロー(現存しない)
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1972年
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1985年解散、2022年にノリローが死去(トリローは没年不詳だが既に物故者)
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03
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あすまきようしきようた/東京二・京太(現存しない)
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1973年
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1985年解散、現在は京太は「東京太・ゆめ子」として活動 京二は漫談のほか、弟子の結城たかしと「J・J京二・たかし」として活動後、2024年に解散し漫才協会を退会
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04
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おおそらみつるひろし/大空みつる・ひろし(現存しない)
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1974年
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05
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あしたしゆんこひろし/あした順子・ひろし(現存しない)
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1976年
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2015年にひろしが死去、順子は事実上引退状態に(名誉会員として漫才協会に籍は残す)
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06
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かすかさんきゆうてるよ/ 春日三球・照代(現存しない)※
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1977年
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1987年照代死去、三球は芳賀みちるとコンビ結成、さらに解散後は漫談で活動していたが、2023年に死去
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07
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あおそらきゆうしこうし/ 青空球児・好児
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1979年
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08
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たふるえいす/ Wエース(現存しない)※
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1980年
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2003年に丘エース、2004年に谷エースがそれぞれ死去
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09
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しようわのいるこいる/ 昭和のいる・こいる(現存しない)
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1984年
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のいるが病気療養のため活動休止、こいるのみ漫談で活動していたが、2021年にこいるが死去
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10
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にいやまえつやひてや/ 新山えつや・ひでや(現存しない)
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1985年
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えつやが病気療養のため活動休止、「新山ひでや・やすこ」として活動していたが、2019年にひでやが死去
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11
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たふるもあもあ/ Wモアモア(現存しない)
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1986年
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2020年解散、2022年に東城しんが死去、現在は東城けんのみ漫談で活動
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12
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おおせゆめしうたし/ 大瀬ゆめじ・うたじ(現存しない)
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1988年
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2013年解散、「大瀬ゆめじ」「うたじ」としてそれぞれ漫談で活動していたが、2023年にゆめじ、2024年にうたじが死去
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13
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あすまきようまるきようへい/ 東京丸・京平(現存しない)
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1989年
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2021年に京丸が死去、現在は京平のみ漫談で活動
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14
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たかみねわさいようさい/ 高峰和才・洋才(現存しない)
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1990年
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2011年解散、和才のみ漫談で活動していたが、2022年に和才が死去
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15
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あおそらこうたふくた/ 春風こうた・ふくた(現存しない)
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1991年
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2021年にこうたが死去、現在ふくたのみ漫談で活動
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16
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あおそらいつほさんほ/ 青空一歩・三歩
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1995年
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17
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せえらあす/ セーラーズ
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1996年
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初の女性コンビの真打、現在は漫才協会退会
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18
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おおそらゆうへいかほり/ 大空遊平・かほり(現存しない)
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1997年
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2015年解散、その後遊平は結城たかしと組んで「ふるさとコンビ」として活動していたが、現在は漫談で活動
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19
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すすかせにやんこきんきよ/ すず風にゃん子・金魚
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2003年
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女性コンビ真打2組目
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20
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えくみ/ 笑組
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2005年
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21
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ひつくほおいす/ ビックボーイズ
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2006年
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22
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ないつ/ ナイツ
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2010年
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23
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ろけつとたん/ ロケット団
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2011年
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24
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たふるころん/ Wコロン(現存しない)
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2012年
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2015年解散、現在はねづっちは漫談で活動、木曽さんちゅうは塩田忠道と組んで「ケンメリ」として漫才で活動
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25
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みやたようしよう/ 宮田陽・昇
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2013年
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26
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ほんきいとんく/ ホンキートンク
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2014年
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2019年7月末で利は脱退、その後「天草ヤスミ」に改名し漫談のほか、ポケと組んで「ポケヤスミ」として漫才で活動 (落語協会は「天草ヤスミ」個人名義、漫才協会は「ポケヤスミ」として在籍) 弾は遊次とコンビを結成し「ホンキートンク」として再び活動
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27
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ほんきいとんく/ ニックス
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2016年
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女性コンビ真打3組目
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28
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ゆうしこうしく/ U字工事
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2017年
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29
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おきししえん/ オキシジェン
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2024年
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東京漫才の殿堂
東京漫才の発展に貢献した漫才師をたたえるため、漫才協会が制定した制度。過去11組制定されているが、2012年を最後に選定が行われていない。
書籍
脚注
注釈
- ^ 関西支部長は初代浅田家日佐丸。
- ^ 毎年4月→3月→2月に浅草東洋館・荒川区日暮里サニーホール・東京芸術センター 天空劇場(北千住)のいずれかで実施(協会所属外の芸人の参加を認めていた時期は、別途「オープン参加予選」も実施)されていたが、2024年は2月に予選・決勝を同日に荒川区日暮里サニーホールで開催した[12]。
- ^ 例年7月→5月に国立演芸場での開催であったが、2020年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響から、同年11月に浅草東洋館での開催となり、2024年は前年10月をもって国立演芸場が改修工事で閉場となったため、2月に荒川区日暮里サニーホールでの開催となった。
- ^ 2004年までは79分、2005年以降は58分。長く12月30日か31日の放送だったが2008年より12月23日の放送に。
- ^ 特に2020年以降は顕著になっており、Wモアモア(東城しんの病気療養。解散後に死去)、東京丸・京平(京丸の死去)、春風こうた・ふくた(こうたの死去)、ホームラン(勘太郎の死去)、ふるさとコンビ(大空遊平の列車接触事故による療養)、J・J京二・たかし(東京二の事実上引退)などが挙げられる。
- ^ ただし、芸協公式サイトのプロフィールは未掲載(2023年4月現在)。
- ^ a b 落語芸術協会仙台事務所所属。
- ^ 「舎弟」から改名。
- ^ 「感動タイガー」から改名。
- ^ ヤスミは元ホンキートンクの利(天草ヤスミとしても活動)。ヤスミのみ「天草ヤスミ」名義で落語協会に所属している。
- ^ 前身の「シリアルパパ」時代に漫才協団に加入していた。その後、現名義ではボーイズ・バラエティ協会を経て2023年8月に再入会した。
- ^ ナイツがパーソナリティを務める「ザ・ラジオショー」内で参加を表明した。
- ^ 喜助は元ミーナ、久保田は元バジトウフー。
- ^ えざおが2023年9月21日に死去した。
出典
外部リンク