石川 牧子(いしかわ まきこ、1949年11月12日 - )は、日本のアナウンサー(日本テレビ → フリー)、元仙台大学客員教授[1]、拓殖大学客員教授、財団法人日本ゲートボール連合理事[2]。
人物
山形県鶴岡市生まれ[3]。酒田市立第三中学校卒業。山形県立酒田東高等学校2年時に宮城県仙台市へ転居した[4]。東京女子大学短期大学部英語科卒業。
アナウンス部在籍時は報道からスポーツ、バラエティまで幅広く出演し、日本テレビの女性アナウンサーの看板的な存在だった。「元祖どっきりカメラ」、「アメリカ横断ウルトラクイズ」といった看板番組の司会を長きにわたり担当した。
現場からデスク職についてからはキー局では初めての女性アナウンス部長としても話題となったが、前任の舛方勝宏から引き継がれた新人アナウンサーへの厳しい指導は度々日本テレビの特番でも放送された。この指導姿勢は鷹西美佳や豊田順子等の後輩にも引き継がれている。
私生活では30代で顎関節症を患った他、40代からは両親の介護で実家のある仙台と東京を往復する等の苦労を味わった[3]。この体験を基にした著作物も出版(後述)と講演活動も行っている[5]。
2014年6月から日テレイベンツ顧問(非常勤)。医療法人社団RMDCC理事、NPO法人日本マナー・プロトコール協会理事、公益財団法人日本ゲートボール連合理事、日本アビリティーズ協会評議員、東京女子大学評議員も務める[5]。フリーアナウンサー[6]としてはコーラスグループ「FORESTA」コンサートの専属[7]や講演や舞台などでの司会も務める[5]。
略歴
- 1970年 - 東京女子大学短期大学部英語科卒業後に日本テレビ入社。
- 1980年 - アフガニスタン女性難民の取材に西側で初めて成功。
- 1991年 - 『世界陸上東京大会』で、女子10キロの競歩の実況を担当。
- 1996年 - アナウンス部次長。
- 1997年 - アナウンス部長(在京テレビ局では女性初)。
- 2001年6月 - 日本テレビエンタープライズ常務取締役日本テレビアナウンスカレッジ学長。
- 2005年 - 日本テレビエンタープライズ常務取締役日テレ学院長(組織改編による)。
- 2007年 - 日テレイベンツ常務取締役日テレ学院長(組織改編による)。
- 2010年6月22日 - PON!にて久々のテレビ出演。
- 2014年6月 - 日テレイベンツ非常勤顧問に就任(数年後に退任)。フリーアナウンサーとして同月22日の『人生が変わる1分間の深イイ話』、翌月16日のTBSラジオ『赤江珠緒 たまむすび』(14時台「ピークを探せ!」コーナーのゲスト)[8][9][10]に出演。
著作物
出演
特別番組
関連項目
脚注
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司会 | |
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人形声優 |
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特撮コーナー |
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| 行け!ゴッドマン& 行け!グリーンマン 登場怪獣 |
両作に登場 | |
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行け!ゴッドマンのみ登場 | |
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行け!グリーンマンのみ登場 | |
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アニメコーナー |
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のどじまん |
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小学生野球大会 |
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楽曲 | |
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関連項目 | |
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関連人物 | |
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総合司会・出題・海外リポーター |
第1回 - 第14回・今世紀最後・史上最大の敗者復活戦 福留功男1 / 第15回・第16回 福澤朗 / 史上最大の敗者復活戦関西地区予選 小林大作
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国内リポーター |
第1回 - 第11回・今世紀最後・史上最大の敗者復活戦 徳光和夫 / 第12回 - 第16回 渡辺正行
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海外リポーター |
第9回・第10回 日高直人 / 第11回 増田隆生 / 第12回 - 第14回 小倉淳 / 第14回 鈴木健
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コンピューター予想 | |
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総合司会 | |
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関連項目 | |
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関連人物 | |
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総合司会 | |
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メインパーソナリティー | |
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関連項目 | |
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関連人物 | |
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1:第15回も第1問まで担当、2:第1回のみ肩書は「アシスタント」、3:第2夜のみ |