確認団体確認団体(かくにんだんたい)とは、日本の公職選挙法に定められた所定の要件を満たすことにより、選挙運動期間中に特定の政治活動を行うことを認められた、政党その他の政治団体のことをいう。 概要市区町村議会議員選挙(政令指定都市議会議員選挙を除く)・町村長選挙以外の公職選挙における選挙運動期間中に、当該選挙区内で政党その他の政治団体が、政談演説会・街頭政談演説を開催し、ポスター・立札・看板等を掲示し、ビラを頒布し、自動車・拡声機を使用して宣伝を行うことは原則として禁止されており[1]、違反した場合は刑罰の対象となる[2]。 この例外として、所属候補者を一定数擁立したうえで確認書の交付を受けた政党・政治団体に対してのみ、一定の制約の下で、以上のような政治活動を行うことを認める制度が設けられている。これが確認団体制度である。なお公職選挙法・同施行令・同施行規則のいずれにも「確認団体」という名称は用いられていないが、上記確認書の交付を受けた政党・政治団体のことを一般に「確認団体」と呼ぶことから、制度自体も「確認団体制度」と呼ぶことが多い。 現在、確認団体制度の対象となっているのは参議院議員選挙・都道府県議会議員選挙・政令指定都市議会議員選挙[3]・都道府県知事選挙・市長及び特別区長選挙の5つである。後述するように、衆議院議員選挙については政党・政治団体による政治活動の原則禁止を維持したまま確認団体制度を廃止し、代わりに「候補者届出政党」による選挙運動を幅広く認める制度を導入している。 確認団体となるための要件選挙の種類によって異なる必要な数の所属候補者・支援候補者を擁立した上で、参議院議員選挙については総務大臣に[4]、その他の選挙については選挙管理委員会に[5]申請を行い、確認書の交付を受ける必要がある。
なお衆議院議員総選挙において確認団体制度が設けられていた時代は「全国を通じて所属候補者25名以上」が要件とされていた。 確認団体が行える政治活動特に区別されていない場合は、通常選挙・一般選挙と、その再選挙・補欠選挙・増員選挙で行える政治活動の範囲・上限は同じである。
複数の選挙が並行する場合の扱い複数の選挙に関する選挙区・選挙運動期間が重なる場合、一つの選挙について確認団体となっていなくても、他の選挙について確認団体となっていれば、そちらの資格に基づく範囲で前述した政治活動を行うことが認められる[7]。 例えば新自由クラブは1980年の第12回参院選で確認団体とならなかったが、同日選挙となった第36回総選挙について確認団体となっていたため、その資格に基づいて選挙運動期間中に政治活動を行うことができた。 確認団体制度の歴史1952年の公職選挙法改正[8]に伴い、衆議院議員総選挙について導入されたのが始まりである。さらに1954年の改正[9]で参議院議員通常選挙・衆参両院の再選挙と補欠選挙・都道府県知事選挙・市長選挙が、1970年の改正[10]で都道府県議会議員選挙・政令指定都市議会議員選挙が、それぞれ制度の対象に加わった。 その後、1994年の改正[11]により衆院選での確認団体制度は廃止された。これは小選挙区比例代表並立制の導入に際して小選挙区における「候補者届出政党」の選挙運動が広範に認められるようになったためとされる。ただし概要の項で述べた政党その他の政治団体による政治活動の原則禁止が解除されたわけではなく、また「候補者届出政党」となれるのは政党要件を満たした政党に限られる[12]ため、政党要件を満たさないミニ政党・新党にとっては、25名以上の所属候補者を擁立しさえすれば実績に関わらず政治活動ができた確認団体制度より不利な制度となっている。この点について最高裁は憲法第14条に反するとまでは言えないとしている[13]が、複数の反対意見が付されるなど、違憲説も根強く見られる。 衆議院議員総選挙における確認団体確認団体制度の下で行われた衆議院議員総選挙は1952年の第25回総選挙から1993年の第40回総選挙までである。前述の通り「全国を通じて所属候補者25名以上」を擁立することが確認団体となる要件だった。 この候補者数のハードルは参議院議員通常選挙のそれより高く、全国で百数十に分かれた選挙区に25名以上の公認候補者を擁立し、選挙戦を展開できるのは、組織力のある五大政党(自民党・社会党・公明党・共産党・民社党)とその直系政党にほぼ限られていた。なお五大政党が総選挙において確認団体たる地位を失ったことは一度もない。 それ以外の政党・政治団体が確認団体となることは珍しく、五大政党以外では第34回総選挙から第36回総選挙まで確認団体として総選挙を闘った新自由クラブ、確認団体制度の下で行われた最後の総選挙である第40回総選挙に確認団体として参戦した新生党・日本新党が目立つ程度である。1978年の結成以来一貫して衆議院に議席を持っていた社会民主連合は一度も総選挙で確認団体になったことがなく、また新生党・日本新党と同じ保守系新党の新党さきがけは確認団体とならずに第40回総選挙を闘った。その他、いくつかのミニ政党が確認団体となることもあったが、基本的に参議院議員通常選挙と比べて確認団体の数は少ないままに推移した。 以下、各総選挙における確認団体の一覧を掲載する。並びは獲得議席数順(同数の場合は得票数順)である。
参議院議員通常選挙における確認団体確認団体制度の下で行われた最初の参議院議員通常選挙は1956年の第4回参院選である。制度導入以来「全国を通じて所属候補者10名以上」という要件に変動はないが、1982年の公職選挙法改正[14]で全国区制から比例代表制へと移行した際に「名簿届出政党等であること」(すなわち比例区に所属候補者を擁立していること)が新たな要件として追加されている。 この候補者数のハードルは衆議院議員総選挙のそれより低かったものの、全国区制が採用されていた頃は確認団体の数もそれほど多くなく、総選挙と同じような顔ぶれが続いていた。しかし比例代表制への移行に伴い団体数は一挙に激増、ピークとなった1989年の第15回参院選では実に41もの政党・政治団体が確認団体としての認定を受けるに至った。その後は供託金の引き上げや参院選比例区における新聞広告費の実費負担制度導入[15]などによってミニ政党の出馬は減少傾向にあり、近年は確認団体の数も落ち着きつつある。 比例区は政党・政治団体を結成しないと出馬することすらできず、しかも一定の議員数・実績(所属国会議員5名以上または直近の国政選挙において得票率2%、ただし1994年の法改正[15]まで得票率要件は4%)を有する政党は所属候補者1名でも比例区に名簿を出せるのに対し、議員数・実績のないミニ政党は全国を通じて所属候補者10名以上を擁立しないと名簿を出せない制度となっている[16]。そのため比例区への出馬を希望する無所属候補やミニ政党の候補は、10名以上の候補者を揃えて名簿届出政党となり、その際に併せて確認団体となるのが一般的である。 以下、各通常選挙における確認団体の一覧を掲載する。並びは獲得議席数順(同数の場合は全国区・比例区得票数順)である。 全国区制時代
比例代表制時代
脚注
関連項目 |