第12方面軍(だいじゅうにほうめんぐん)は、日本陸軍の方面軍のひとつ。
大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)の戦局は日を追うにつれて悪化し、大日本帝國は国家滅亡の瀬戸際に立たされた。
1945年(昭和20年)1月、大本営は連合国軍の日本本土上陸(陸軍省コードネーム決号作戦、米軍コードネームダウンフォール作戦)が現実のものとなる場合に備え、帝国陸海軍作戦計画大綱を策定した。これにもとづき本土および朝鮮半島の兵備増強のため1月22日、軍令陸甲第13号により6つの方面軍司令部[* 1]および8つの軍管区司令部[* 2]の臨時編成が下令され、編成完結後に紀元節である2月11日午前0時を待って統帥(指揮権)を発動した[1][2]。
上述した6つの方面軍の中で、従来の東部軍を廃し創設されたのが第12方面軍である[3]。その作戦地域は東京都、神奈川・埼玉・千葉・茨城・栃木・群馬・山梨・長野・新潟の各県全域と、静岡県の富士川以東であった[4]。同じ担当地域の軍政業務と管区防衛等のためには新しく東部軍管区司令部が編成され、第12方面軍司令部と併置される。「本土決戦」が現実化した際に軍事作戦を遂行する方面軍司令部と、同地域の軍政を管掌する軍管区司令部に分離することで各任務への専念が促進され効率化になるという計画であった。しかし司令部の編制において、方面軍司令部と軍管区司令部の関係を緊密にするために第12方面軍司令官と東部軍管区司令官は相互兼務であり、参謀長、参謀副長、司令部人員の一部も同様に兼務であった[5]。
編成当初の第12方面軍は防衛総司令部管下の内地防衛軍[* 3]戦闘序列に組み込まれていたが、同年4月15日に内地防衛軍を廃して創設された第1総軍の隷下へ編入された[6]。