英語帝国主義 (えいごていこくしゅぎ)は、現代社会 における英語 の広範な使用が引き起こしているさまざまな問題を、歴史 的な観点から捉えた概念 である。
歴史的概観
英国の英語帝国主義
12世紀 ごろからイングランドの歴代王家 はブリテン諸島 で、初めはアイルランド島 の西部で、次に1282年 に征服されたウェールズ でも、そして最後にスコットランド で、拡大政策を実行していった。これらの征服はいくつもの挫折を経験したが、最終的には1707年 にイングランド王国 とスコットランド王国 の間で結ばれた合同法 によってその征服は完了した。そうした中、スコットランドはイングランドという強大な隣人と向かい合って何世紀にもわたって生き延びてきた。一方イングランドでは、主にフランスとの戦争 が原因でフランス語 の威信は衰退していった。その結果、1362年 に英語は議会 における唯一の言語であることが宣言された。しかし、実際には徐々に使用されていった。ヘンリー4世 (1367年 - 1413年)は、ノルマン・コンクエスト 以来初の、英語が母語であるイングランドの君主である。結果として、英語は名声を得ることになる。
征服されたウェールズ・アイルランドといったケルト 圏では、行政管理は王の言葉、つまり英語によって行われた。崇高な建物は、王家との関係に影響を受けて英国式になった[ 1] 。しかし、庶民たちは相変わらず自分たちの言語であるウェールズ語 、スコットランド・ゲール語 、アイルランド語 といったケルト語派 系のことばを話した。しかし18世紀 になると、イングランドからの移民、貿易の発達、義務教育 の影響でゲール語の衰退が人々の間で加速していった。都市部は英国風になり、特にイングランド側に面しているところではその傾向が著しかった。英語化 のプロセスの結果、ゲール語が使用される範囲は、力学 的原理の中心から遠く離れた孤立した地域に限定されるようになっていった。地方からの移民、特にスコットランドやウェールズからの移民は、イングランドの工業化 に大きく貢献した。また、アイルランドでは、ジャガイモ飢饉 (1846年 - 1848年)の主な犠牲者は、島西部にいるゲール語を話す貧困者層であった。何百万人ものアイルランド人が死に、160万人の移住者が英語圏にどうにか逃げ込み[要出典 ] 、ゲール語の衰退が急速に進んだ。1921年 のアイルランド共和国の独立宣言の時点で、たった2%のアイルランド人がどうにかアイルランド語を使っていた[ 2] 。その割合は、スコットランドのゲール語とほぼ同じである。今日、ゲール語の話者規模は、幸い20世紀 初頭の規模をかろうじて維持できている状態である[ 3] 。その一方で、ブリテン諸島 にいるケルト人 はほぼ全員が英語を話している[ 4] 。
以上より、ケルト語派 の弱体化に寄与している要因をまとめると、
英国 は産業革命 を経て、世界 の制海権を獲得する。七大陸 にまたがる「太陽の沈まない国 」ことイギリス帝国 (大英帝国)を形成するに至り、英国は間接統治で植民地 経営をするため現地の上流階級 に英語 でエリート教育 を施した。その結果、英国の植民地 が独立すると、そのエリートの末裔である少数特権階級 のグループは、自らの権益を守るため英語絶対優位の社会 を築くようになり、ESL 国家が出現することになる。
ブリティッシュ・カウンシル による「英語教育推進運動」(Phillipson 1992 :137–52) で、世界の英語教育 の欧州型(モノリンガル型)教育モデルが確立し、英文教科書・教員育成・指導理論および方法(応用言語学 )が非西洋地域にまったく適さないにもかかわらず、近代化 ・民主化 を合言葉に英語は西洋 型教育によって推し進められた。
結果
近年、英語 以外の国語 と地域語 の権利 を無視して「英語オンリー」の方へ無理に持っていこうとする勢力に対する非難の声が[ 5] 、以前よりは聞かれるようになった。しかし、英語は「最も役に立つ」言語 だと答える欧州連合 の市民 は 69% もいて[ 6] (Phillipson 2003: 136)、公式多言語使用 [ 7] が特に奨励されていると推定される欧州連合でも、実は口先だけの理想論に留まっている現状が垣間見られる。
国際社会 のほとんどすべての分野(政治 ・学問 ・商業 ・財政 ・航空 [ 8] 、そして軍事 でさえ)で「英語支配」は着実に進行し、完全に多言語使用 をユートピア の類へ追いやって、もはや後戻りができない事態に陥っているといえる。そこまで言わないにしても、少なくとも感じられることは、知的好奇心や必要に駆られて英語 から多くを学ぼうとする人は幾多といる。
日本における議論
19世紀 後半に、「欧米 =近代 」史観から単純化して言われてきた「開国 」現象の中で経済圏の拡張に踏み切った日本 は、「国語 」問題に直面した。後の初代文部大臣 になる森有礼 は、1873年 に米国 で出版した著書 Education in Japan [ 9] の中で、単純化した英語を国語として採用する「国語英語化論 」を主張した。森の主張は、馬場辰猪 や米国の言語学者ウィリアム・ドワイト・ホイットニー のような反対論も含めて、様々な反応を巻き起こした [ 11] 。
現代では、国際理解教育 [ 12] の一環で、総合的な学習の時間 [ 13] が設けられていて、「国際 的」な対話 には英語 が必須だなどということで、日本では小学校 から英語を義務付けられる(学習指導要領 改訂版)[ 14] 。また、外国語青年招致事業 (JETプログラム)を通して国際交流の活動も採り入れられている[ 15] 。
また、社会経済上の要請もあって、実用的な語学 が求められるようになり、いわゆる「英会話 」を主流とした対話 能力の育成が期待されていることもある。例えば小渕内閣 は2000年 に「英語の第二公用語化 」を提言し、小泉内閣 下の文部科学省 は2003年 に「英語が使える日本人」の育成のための行動計画の策定について 』を発表した。
中国・香港
中国 では2001年 の9月から英語 の義務教育 化が11歳から9歳に引き下げられた。民間の英語教育 産業の興隆も目覚しい。大学 へ入るときに英語はかなりのウェートを占めている。
中国 の小学校 から高校 までの基礎教育 の段階で、特に中学校 の段階では必修科目としての外国語 は90%以上が英語 になっている。1980年代 後半から1990年代 前半の期間、各段階別に外国語必修科目課程である英語が目標水準に達しているかを評価するため全日制 の一般の大学 で初めて英語の習熟度テストの実施が開始された。
1960年代 半ばは、ソビエト連邦 とのかなり親密な関係 の影響で、主な第一外国語 はロシア語 になったが、1960年 中頃以降、特に1978年 と1983年 に、英語 (外国語 )が大学入試 に他の科目 と同等に取り入れられた。これに伴って、中国 の中等教育 、特に中学校 の外国語教育 で英語が必修になって、高校 の場合は90%以上が英語を必修科目に取り入れた。一般的に全日制 の大学 では、英語が必修科目になっている一方で、他の外国語の授業は選択枠になっている。
大学入試 のおかげで英語 の地位がかなり高くなっており、英語を過剰に教育し大多数の国民の本来の母語である筈の中国語 の能力を軽視しているなどといった批判が近年高まりを見せている。多くの学生が英語の学習に時間を取られ、それが専攻分野の学習に悪影響を及ぼすし、中国文化 離れを促進する、といったものだ。しかしその一方で、英語は「普遍言語 」という地位にあるので、グローバル化 が進む中で英語に秀でた人材の不足は悪い影響をもたらすといった立場もある[要出典 ] 。
事実、香港 の政界や経済界では英語能力の優劣が香港の国際的地位に多大な影響を及ぼすといった危機感が渦巻いている。英語教育 は6歳から義務化されている。en:Hong Kong English も参照。
[ 16]
台湾
台湾 では英語教育 の義務化の対象が9歳から7歳(または、8歳から6歳)に引き下げられた。[ 16]
韓国
韓国 では最近13歳から9歳にまで英語 の義務教育 の対象が下げられた。多くの資金が英語教育に投じられている。英語の早期教育 がナショナル・アイデンティティ の衰退につながるのではないかといった危惧が韓国国内にはある。コングリッシュ も参照。
[ 16]
英語帝国主義論
言語帝国主義 論の特に長所と短所についての論争に相当大きな影響を与えたデンマーク の en:Robert Phillipson [ 17] の Linguistic Imperialism (1992) の出版以来、言語帝国主義論は応用英語学 を専門にする学者の間で多くの注目を集めてきた[ 18] 。また、言語帝国主義は、メディア ・教育 ・学問 などといった分野を包括する文化帝国主義 の文脈 で語られることもある。
Phillipson (1992 :78–108)は、自身の言語帝国主義 論に関する先行研究として、
言語拡大 (e.g., Ansre 1975, Cooper 1982, Kachru 1986)
言語社会学 [ 19] (e.g., Fishman 1972, 1977)
言語計画 (e.g., Neustupny 1983, Pattanayak 1986, Cooper 1988)
語学教授法 (e.g., Lightbrown 1987, Spolsky 1989)
言語権 (e.g., 世界人権宣言 、国際人権規約 、ヨーロッパ地方言語・少数言語憲章 、en:Universal Declaration of Linguistic Rights )
Wardhaugh (1987) と Calvet (1987) のアプローチ[ 20]
を挙げている。
ロバート・フィリップソンの英語帝国主義論
言語帝国主義 を定義することは、常に困難を伴う。なぜなら、それを定義することは、その人個人の政治 的信条 や、増大する西側諸国 の英語圏 の政治的・経済 的・軍事 的権力 との関係に大抵依拠することになるからだ。例えば、ジェリー・ノールズ はブリタニカ百科事典 の “English language imperialism” の項目で英語帝国主義 を以下のように定義している。
「言語帝国主義は、ある支配 的な言語 への乗り換えで必ず他者 を巻き込む。基本的にその支配言語への乗り換えは、伝統的に軍事力だけでなく、現代世界においては経済力といった権力 の表出であって、支配的文化の面々はたいていその支配言語とともに乗り換えられる。」[ 21]
言語学者のロバート・ヘンリー・ローレンス・フィリップソン は、Phillipson (1992) において、言語帝国主義 を以下のように定義している。
「英語とその他の言語 との間にある構造 的・文化的 不平等 の秩序と連続的再構築 によって擁護され、そしてそれが保たれた支配 」(ibid: 47)
Phillipson (ibid) の持論は、国際語 としての英語の歴史 的拡大に対する強烈な批判と、いかにしてその歴史 的拡大が特にインド ・パキスタン ・ウガンダ ・ジンバブエ などのようなポストコロニアル 的な文脈 だけでなく、大陸ヨーロッパ のような新植民地主義 的な文脈で現在の「英語支配 」が維持し続けられているかを提示している。こうした Phillipson (ibid) の持論は、主に Galtung (1980) の「帝国主義論」や Gramsci (1971) の「社会理論」、特に文化ヘゲモニー の概念に依拠している (Joseph 2006: 52)。
Phillipson (1992) の持論の中心テーマの一つは、今日の世界 において、英語 が優位を保ち続ける一連の複雑な覇権 のプロセスである。Phillipson (ibid: 173-222) は、ブリティッシュ・カウンシル [ 22] が英語を奨励するために使ったレトリック を分析し、そのレトリックの根底にある主要な応用英語学や英語教授法 の言説 を論じている。それらは、
英語 は英語で教えるのが一番良い(単一言語使用 虚偽)
理想的な英語の教師は英語母語話者 だ(母語話者虚偽)
英語は早期に学べば学ぶほどより良い結果が得られる(早期教育 虚偽)
英語を使って学べば学ぶほどより良い結果が得られる(極大受容虚偽)
英語以外の言語を使うごとに、その分英語の能力が落ちる(控除虚偽)
Phillipson (1992 :271–99)によれば、英語 を奨励するブリティッシュ・カウンシル ・国際通貨基金 ・世界銀行 といった組織機関の人たちや、英会話学校 を経営する個々人は、以下に挙げるような立論タイプを使うという。
英語本源論:言語 は神 から与えられたもので、貴重で高貴で興味深いものだ。通例、これらの主張は英語 がそのような特質を持っていて、その他の言語はそうでないと強調する。
英語付帯論:英語はしっかりとした基盤を持っている。熟練した教師や多くの教材がある。また、知識 や術語 といった豊富な無形資源 がある。
英語機能論:世界への架け橋としての英語の有効性を強調する。
そのほかの英語に関する主張は、
Phillipson (ibid: 109-136) は、英語 が母語 でない国では、たいてい英語がエリート の言語 になっていると報告している。国際連合 ・世界銀行 ・欧州中央銀行 などといった有能で影響力のある国際機関 では、英語で発言できることが管理職 に就くための必須条件になっている。そのために、英語圏 の出身者が決定事項を思い通りに動かすことができ、英語が持つ民主主義 的イメージとの明らかな矛盾 が生まれることになる[ 24] 。
批評・批判
熱烈とは言えないが、多くの学者が Phillipson (1992) の主張についての活発な論議に参加してきた。例えば、ウェールズ の en:Alan Davies (disambiguation) (1996) は、Phillipson の亡霊 がエディンバラ大学 の応用言語学部 [ 25] によく出没するのを心に描いている[ 26] 。
「常習犯たち<Phillipsonとその一味>を一斉検挙しろ。」この間ずっと、ただ単に応用言語学 を教える振りをしていた人たちだけでなく世界 を接収しようとブリティッシュ・カウンシル とともに真剣に企んでいた人たち<Phillipsonとその一味>も追い出そうと、彼は叫ぶ (ibid: 485)。[ 27]
Davies (ibid: 485) によれば、言語帝国主義 には二つの文化 が宿っていて、「一つは、自責心の文化(「植民地 は二度と生じさせるべきではない」)である。もう一つは、空想的な絶望の文化(「我々がしようとしていることを我々はしていくべきではない」)である。」また、ブラジル の pt:Kanavilli Rajagopalan (1999) は、より一歩進めて Calvet (2006)・言語権研究会 (1999: 95-128)・Phillipson (1992) などが、外国語としての英語を教えている教師たちの間に罪悪感をもたらしたと主張する。
Davies (1996) は、Phillipson (1992) の主張も虚偽 ではないと論証する。「もし被支配者が英語 を採用し、英語を保有し続けたらどうなるだろう。Phillipson (ibid: 8) の立証できない解答は、彼らは彼らのより良い利益 に対して説得せず、説得できず、説得させられるに違いない (Davies 1996: 488)。」それゆえに、発展途上国 が自立的な決定、つまり英語教育 を採用するか否かを自立的に決定する余地があると見なせない点で、Phillipson (1992) の持論は恩着せがましいと議論されてきた。
en:Joseph Bisong (1995) はナイジェリア の文脈 において、いわゆる周辺 に置かれている人々は実用的に英語 を使っていると考えている。彼らは子供 たちを英語が使われている学校 に行かせる。理由は当然子供たちを多言語使用 話者に育てたいからだ。Bisong (ibid) は Phillipson (1992: 127) の持論に関して、予想していた命題 に無理やりふさわしくするために社会言語学 的な証拠を歪曲しようとしたもので、中心 にいる人々からにじみ出てくる言語帝国主義 の犠牲者への解釈だと主張する (Bisong 1995: 125)。そして、もし英語は異質なので根絶すべきであるとするのならば、ナイジェリアそのものも植民地主義 的な構造 と考えられるので解体されるべきであろう、と Bisong (ibid) は主張する。
さらに、英語 そのものが帝国主義 的と仮定することも批判を受け続けてきた。オーストリア の en:Henry Widdowson [ 28] (1998a) は、「英語が独りでに覇権 的制御を行使するという考えには根本的な矛盾 がある。すなわち、もしそれが本当であるならば、そのような統制力に二度と立ち向かうことができなくなってしまうはずだ (ibid: 398) 」と主張した。
さらに、英語の奨励が地域言語 の衰退を必然的に示唆するという考えに対しても、その正当性が疑われてきた。アイルランド の en:Marnie Holborow [ 29] (1993: 359) は、「中心 にある全ての英語の変種 が支配的ではわけではないし、周辺にいる全ての英語話者も等しく差別 されているわけではない」と指摘する[ 30] 。例えば、アイルランド英語 は、被支配的な英語の中心変種と見なされるのだろう。
また、英語学者 は、英語 の覇権 が政治 的陰謀 の結果であるという Phillipson (2007) の考えに異議を唱える (Crystal 2003: 23-4)。英語学 や言語学 の権威と言われるウェールズ の en:David Crystal [ 31] (ibid: xiii) は、英語が国際コミュニケーション の言語 でなければならないと考える一方で、一種の多言語使用 を保つべきだとも考えている。英語圏 出身者は、現在の英語の覇権の維持に賛成する。英語の歴史 の普及に異議を唱えようとする過激派 の態度を言語帝国主義 の概念と結びつけることによって、彼ら自身を正当化しようとする[要出典 ] 。それとは対照的に、穏健 派は普通、英語帝国主義 論に反論する自由主義者 であって、Crystal や Widdowson はこの部類に入るだろう (ibid: 24)。
以上、結論として、Phillipson に続く人たちはその言語 選択を外部から押し付けられたのだと見る一方で、それに対抗する陣営 (e.g. Davies 1997: 248) はその言語選択を個々人によってなされた決定だと見ているといえる[ 32] 。
批判に対する反論
言語帝国主義 論を支持する主張を擁護する人たちは、言語帝国主義論への反対論はしばしば、現在の英語 の地位を賛美に値する事実だと見るモノリンガルの英語母語話者 によって唱道させられていると主張する[要出典 ] 。
国際連合 や世界保健機関 の元通訳で心理言語学 者でもあるスイス に身を置いていた Claude Piron (1994) は、本当に英語 を駆使するためには、10,000時間の訓練、つまり、6年間に匹敵する作業を要求すると示すことで、Phillipson の報告をいっそう効果的にしている。以上のように、欧州連合 当局の事実上唯一の公用語 である英語の使用は[ 33] 、欧州連合の大多数の非英語話者住民を第二身分の市民 [ 34] に変えるだけでなく、ヨーロッパ とより大きな越境を率いる英語話者階級 の資質の愚鈍さも促進することになるだろう[ 35] 。
それとは対照的に、地域言語 の地位を置き去りにして、世界 で英語 の増大拡大を潜在的に文化的 な価値観 を徐々に衰退させ破壊させる厄介な事態だと見る人たちは、Phillipson の見解に対して格段の受容力があるといえる。
しかし、一般に言語帝国主義 論を批判する人々は、非現実的な願いを明確に述べるのを止めて、たとえ彼ら自身が一つの外国語 しか話せなくても、より多く外国語の学習を頻繁に促すことにしている。オーストラリア の en:Alastair Pennycook [ 36] (1995, 1998, 2001)・スリランカ の en:Suresh Canagarajah [ 37] (1999)・英国 の en:Adrian Holliday [ 38] (2005)・en:Julian Edge [ 39] (2006) らは、「批判的な言語学者」のグループを形成していると考えられることが多い。また、Widdowson (1998b) らの批判的言説分析 についての所見も、
Phillipson (1992 :321)の言語帝国主義論や批判的応用言語学 といったものに当てはまるかもしれない。
間違いなく、彼らが支持する論点の妥当性を拒否することなしには、議論は乱雑で、分析には欠点があると言うことが可能であるはずだ。私の見解は、もし問題が正しいとすれば、次に我々は一貫性のある議論によってそれを支える方法を見つけるべきだ・・・そして、それとは別のやり方ですることは、はっきり言って、その論点に対してひどい仕打ちをすることだと私は主張する。都合のよい分析によってイデオロギー の摘発の手順のために・・・もちろん、右翼 も左翼 もより深いいかなる論点へも取りかかることができる・・・もしあなたが信念と責任を持っていれば、あなたはいつもあなたの魔女 を見つけることになるだろう。(Widdowson 1998b: 150)
充当理論
言語帝国主義 論を拒絶する人の中には、英語 の世界的な拡大の現象 は、世界各地でローカルな目的で英語が使われるという充当の枠組みを示すことでより良く理解できるようになると主張する人もいる[ 40] 。上述で引用したナイジェリア の例 (Bisong 1995) に加えて、以下のような例が挙げられる。
非英語圏のデモ 参加者は、よく世界中のテレビ 視聴者へ向けて彼らの要求を伝えるために英語 で書かれた標識を使う。時にその人たちは、自分たちが掲げている標識に書かれていることを理解していないことさえありうる。
Bobda (1997) は、いかにカメルーン が単一文化的・アングロ・サクソン 中心的な英語教育 の方法から考えを変えてきたか、そして徐々に教材をカメルーンの状況に充当していったかを教えてくれる。取り扱われている非西洋的なトピックの例を挙げれば、アミール の掟、伝統薬や一夫多妻制 などがある (ibid: 225)。 Bobda (ibid: 234) は二文化教育 に賛成論を唱える。つまり、彼はカメルーンと英米の両方の文化を提示したいのである。
Kramsch & Sullivan (1996) は、いかに西洋 式の教育方法論と教科書がヴェトナム の土地文化に合うように充当していったかを述べている。
パキスタン の教科書 Primary Stage English は、西洋人 の耳にはかなり対外強硬主義 的と響きそうな Pakistan My Country ・Our Flag ・Our Great Leader (Malik 1993: 5, 6, 7) のような学課を含んでいる。しかしながら、土着の文化 内で英語教育 、愛国心 とムスリム の信条 との関係を打ち立てることは、英語教育の目的の一つと見て取れる。なぜなら、en:Punjab Textbook Board (PTBB) の議長は、「PTBB はこれらの教科書を通じて生徒にイスラーム 的な価値観 への愛着や、生徒の祖国 のイデオロギー の前線を守るための自覚を植え付けられるように注意している」(Punjab Text Book Board 1997) と率直に述べている[ 41] 。
以上のような英語 の国際化 も、英語の母語話者 に新しい可能性をもたらすかもしれない。McCabe は以下のような文章を練り上げた。
・・・二つの世紀にわたって、我々が、新規の市場 ・・・の熱烈な追跡の中で我らの言語 と我らの慣習 を輸出してきたという事実から見れば、我々は今、我らの言語と慣習は我々の元に戻されたのだが、他者 [ 42] が使えるそれらは変わってしまったので・・・だから、我らの言語と文化 は新しい可能性、新たな矛盾 を発見するのだと分かる (1985: 45)。
英語帝国主義論への問い
Phillipson (2006: 359) は、以下のような問いを投げかけてくれる。
英語化 [ 43] は、グローバリゼーション とアメリカニゼーション から自立しているように見えるか。それを評価するために世界英語 [ 44] に関する文献をひねって考えてもよい。
流暢な英語使用者に特権 を与えることを避ける国際コミュニケーション で不平等 を打ち消せる方法があるか。
多言語使用者 が成功するのに対して、単一言語使用話者が将来失敗するかもしれないならば、均衡した言語能力 [ 45] を目指すことは、有効で現実的な教育的で社会的な目標であるか。
ヨーロッパ で生じている状況が、例えばアメリカ大陸 ・アフリカ ・アジア のような他の文脈 で経験されるかどうか考えなさい。
全ての言語 がまさにそうであるように、グローバリゼーションが本質的に良くもなく凶悪でもないならば、バランスのよい言語の生態系 [ 46] を維持するために採用されなければいけない言語政策 とは何か。
英語 が現在のグローバリゼーションの段階で演ずる役割を表すのための「言語帝国主義 」より好い用語が思いつくか。
Ferguson (2006 :202–3) は、以下のような問いを投げかけてくれる。
以下の点を熟慮した上で、あなたが特によく知っている国 の中で、英語 の役割を考慮したい国を特定しなさい。
教育制度 の中での英語 の位置づけ(何年生で、英語は学校 のカリキュラム に導入されるか。英語は、初等教育 ・中等教育 ・高等教育 のいずれのレベルで教授言語 になるか。就学 人口のどのくらいの割合が英語を勉強しているか。)
公共機関 (例えば、行政 当局・報道機関 ・メディア )とビジネス での英語 の位置づけ
一般大衆の英語 に対する態度と、新聞 ・雑誌 ・放送メディア などにおける英語にまつわる言説 。
上の質問で特定した国を事例にあなたの意見に照らしながら、以下についてコメントしなさい。
社会 において英語 が他の言語 に与える影響。英語は、他の言語に対して脅威であるか。例えば、いくらかの他の言語によって放出されるかもしれない一流の機能[ 47] を占めることによって、英語は他の言語の活力を衰えさせるか。
社会 におけて英語 が与える不平等 の影響。英語がその国の社会的不平等 に寄与し、悪化させると思うか。もしそう思うならば、どのようにしてそれが成し遂げられるか。
社会 の文化的 な営みに与える英語 の影響。英語は、地域 文化と慣習 を弱体化することに寄与するか。あなたはそれをアメリカニゼーションのベクトル [要曖昧さ回避 ] だと考えるか。
「現在、いかなる国民国家 でも、国際語 としての英語 をその国の言語政策 の中で考慮しなければならない (Spolsky 2004: 91)。」それでは、どの程度国民国家のレベルで言語計画 ・言語政策は英語 の拡大を制御、もしくは逆らえるのか。民主主義 国家 の国立学校 で英語教育 を止めることが政治 的に可能であると思うか。
発展途上国 において、英国 や米国 の政府機関 または非政府組織 (NGO) が英語教育 を好意で援助 する正当な理由が果たしてあるだろうか。もしそのような理由が存在すると感じるならば、それらは何か。そして、もしあるとすれば、そのような援助供給のために、どのような政治 判断の基準を設けなければならないか。
注釈
^ en:Architecture of the United Kingdom を参照。
^ (英語)Ethnologue report for Ireland が参考になるかもしれない。
^ (英語)Ethnologue report for language code:gle
^ (英語)Ethnologue report for United Kingdom
^ Phillipson, Robert (2006) Europe du tout-anglais: À qui la faute?: Communication équitable: Entretien avec Robert Phillipson, propos receuillis par Etsuo Myoshi, président de la societé Swany au Japon in Le Figaro (12 May 2006)
^ (英語)EUROPA - Education and Training - Languages in Europe
^ 例えば、国家レベルにおいては、カナダ [1] ・スイス [2] などが公式に多言語使用を認めている。超国家レベルにおいては、国際連合 [3] や欧州連合 [4] が有名。
^ Jones (2003) を参照。
^ 『森有礼 全集』第3巻 (1972) 宣文堂書店 pp.213-267;いわゆる「日本語廃止論 」を論じている部分は、pp.265-267;李妍淑 1996 より孫引き。EUの公用語 も参考になる。
^ 国語外国語化論の再考 森有礼の「国語英語化論」と志賀直哉の「国語フランス語化論」について を参照。また、原テクストは志賀直哉 (1974)「国語問題」『志賀直哉全集第7巻』岩波書店 pp.339-40を参照のこと。
^ English language teaching in Japan , Globalization or the World in English: Is Japan Ready to Face the Waves? - International Multilingual Research Journal
^ IngentaConnect What Level of English Proficiency Do Elementary School Teachers Need to Attain to Teach EFL? Case Studies from Korea, Taiwan, and Japan
^ 小学校外国語活動サイト-文部科学省
^ 平成14年度高等学校等における国際交流等の状況(概要)[7]-文部科学省 を参照。
^ a b c (英語)IngentaConnect The Impact of English as a Global Language on Educational Policies and Practices in the Asia-Pacific Region
^ CBS - Copenhagen Business School | Robert Phillipson 〜〜日本語に翻訳されているPhillipsonの論文(共著を含む)は、言語権研究会 (1999: 95-128) と三浦・糟谷 (2000: 95-110)。
^ 例えば、Blackwell Publishing (1993) Symposium on Linguistic Imperialism World Englishes 12 (3) , pp.335-373や、Amazon.com: Linguistic Imperialism (Oxford Applied Linguistics): Robert Phillipson: Books や、Amazon.com: Linguistic Imperialism: Books などが参考になる。
^ en:Sociology of language
^ Phillipson (1990) を参照。
^ ENGLISH LANGUAGE IMPERIALISM -- Britannica Online Encyclopedia を参照。
^ en:British Council , 英国の公的な国際文化交流機関:ブリティッシュ・カウンシル
^ en:modernity 〜〜例えば、Chouliaraki, Lilie & Norman Fairclough (2000) Discourse in Late Modernity: Rethinking Critical Discourse Analysis Edinburgh University Press ISBN 978-0748610822を参照。
^ Phillipson, Robert 1996. The UN agenda for development: The role of language. In Vers un agenda linguistique: regard futuriste sur les nations unies, Towards a language agenda: futurist outlook on the United Nations , [ed.] Sylvie Léger, Ottawa: Canadian Centre for Linguistic Rights, University of Ottawa, 399-422.
^ (英語)Edinburgh University, Linguistics and English Language - Home page
^ Phillipson (1992: 174-6) を参照。
^ <>内は訳者による注
^ (英語)Widdowson
^ (英語)Staff Details - Ms. Marnie Holborow
^ Bisong (1995: 124) も参照。
^ (英語)Crystal Reference: About David Crystal, Chair of Crystal Reference 〜〜CrystalとPhillipsonの誌上討論は、Seidlhofer (2003: 33-75) を参照。
^ Bisong (1995) への返答は、Phillipson (1996) を参照。Davies (1996) への返答は、Phillipson (1997) を、それに対するコメントは Davies (1997) を参照。Phillipson (1992) に対するコメントは、Amazon.com: Customer Reviews: Linguistic Imperialism (Oxford Applied Linguistics) やCOFFEE - Reviews を参照。
^ 欧州中央銀行 の中心業務はほぼ英語 で行われている (Phillipson 2003: 146)。
^ en: Second-class citizen 〜〜Emecheta, Buchi (1994) Second Class Citizen Heinemann ISBN 978-0435909918
^ Phillipson, Robert (1993) Language and identity, national and transnational. In Watching Europe: A Media and Cultural Studies Reader , ed. Ute Bechdorf et al, Tübingen: Tübinger Vereinigung für Volkskunde e.v., and Amsterdam Cultural Studies Foundation, 185-196 (Annual Publication of the European Network for Media and Cultural Studies, volume 2 & 3); also available on the electronic network XS2CS@ACSi.nl (Access to Cultural Studies, University of Amsterdam).
^ (英語)Alastair Pennycook: UTS: Faculty of Education
^ (英語)Suresh Canagarajah, Department of English, Baruch College
^ (英語)Professor Adrian Holliday - Department of English and Language Studies - Canterbury Christ Church University
^ (英語)Staff (The University of Manchester) 〜〜(英語)English in a new age of empire | TEFL | EducationGuardian.co.uk
^ 例えば、Spichtinger (2000) を参照。
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参考文献
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また、森高千里 のシングル「勉強の歌 」にも「英語だけでも真面目にやっておけば 今頃は私もカッコいい国際人」という歌詞が登場する(作詞は本人)。
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関連項目
外部リンク
日本語
英語