菅野孝憲
菅野 孝憲(すげの たかのり、1984年5月3日 - )は、埼玉県富士見市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・北海道コンサドーレ札幌所属。ポジションはゴールキーパー(GK)[3]。元日本代表。 来歴東京ヴェルディ1969のアカデミーの出身で、埼玉県富士見市の自宅から練習場のヴェルディグラウンドまで片道2時間以上かけて通った[4]。当時の菅野について、ジュニアユースでの同期である玉乃淳は「中学3年生まで失点したのを見たことない」と語るほどだった[4]。身体能力・メンタリティは抜群で、東京Vの育成担当スタッフは全員一致でトップに昇格させるべきと推薦したが、身長が低いことを理由に[5][6]、当時のゼネラルマネジャーの判断によって昇格できず横浜FCに入団[4]。横浜FCのGKコーチである田北雄気は入団当時の菅野についてキャッチングはすでにプロレベルだったと語っている[4]。加入後は長年守護神を務めた水原大樹から1年目でレギュラーを奪うと、2006年はチームで唯一48試合(全49試合中)にフル出場し、防御率0.67という成績(リーグトップ)を残して、チームのJ2優勝とJ1への昇格に貢献した。 自身初のJ1でプレーする2007年、2年連続チームで唯一全34試合にフル出場。チームはリーグ最下位でJ2降格したものの、ゲームキャプテンを務める試合も多くあった。Jリーグオールスターサッカーへの出場を果たし、2007年の新人王にも輝いた[7]。 2007年オフに柏レイソルへ移籍。5月2日のジェフユナイテッド市原・千葉戦で柏でのリーグ戦初出場を果たすと、好セーブを連発し、チームの勝利に貢献した。その試合以来、正GKの座を南雄太から奪取。これ以降、絶対的な守護神としてゴールマウスに立ち塞がった。 また、2009年には日本代表に選出されて、2月4日のフィンランド代表(キリンチャレンジカップ)などでベンチメンバーに入った[2]。 2009年にJ2降格を経験するも1年でJ1に昇格。2011年には初のリーグ制覇とともにJリーグ史上初となる「J1復帰1年目でのリーグ優勝 」という快挙を達成した。その後も2012年には天皇杯を37年ぶりに制覇、2013年にはJリーグカップを14年ぶりに制覇するなど、不動の守護神として主要タイトルの獲得に貢献した。 その後も不動の守護神として活躍していたが、2014年9月21日の第24節浦和レッズ戦にて前半に遅延行為で警告を貰うと、後半には1対1となった興梠慎三をペナルティーエリア内で倒してしまい累積警告によって退場となった。この試合以降、交代出場した桐畑和繁にポジションを奪われ試合への出場機会はなかった。 2015年はレギュラーに返り咲くも、中村航輔のアビスパ福岡へのレンタル移籍からの復帰に伴い、2016年にJ2・京都サンガF.C.に完全移籍[8][9]。 しかし17年終盤に清水圭介にポジションを奪われ、控えに降格した。 2018年、北海道コンサドーレ札幌に期限付き移籍。2019年も期限付き移籍期間を延長し札幌に残留した。しかしこの2年はク・ソンユンが第1GKとして健在したため第2GKとしての立場だった。 2020年に完全移籍で札幌に加入。するとク・ソンユンが兵役のため、韓国へ移籍すると第2節からレギュラーに定着。シーズン途中は特別指定選手である中野小次郎にポジションを奪われるも、奪い返しシーズン通してリーグ戦28試合に出場するなどと札幌加入後最多出場を果たした。 2021年は札幌加入後初の開幕スタメンに抜擢された。シーズン序盤にチームの敗北が続いたことから中野が数試合出場するも、中野も神戸相手に4失点したこともあり、再びポジションを奪取。中盤戦以降は勝ち星も増え、安定したプレイでゴールマウスを守っている。 人物・特徴身長は登録上179cmであるが、かつて柏で指揮していた石崎信弘も「175cmもないんじゃないか?」と発言している。記者からも同様の指摘がなされており[10][11]、175cmと報道したメディアも存在する[11]。そのためか、テレビや新聞などではたびたび「背の低いゴールキーパー」、「小さな巨人」[6][10] と呼ばれている。紹介文では、よく「179cmというGKとして決して高くない・・・」と書かれている[12]。 このように、GKとしては小柄な方だが、瞬発力を活かした俊敏な反応によるセービングが持ち味であり、数々の記録を持つ。2009年に日本代表に初招集された際に、当時の監督であった岡田武史から、「シュートへの反応の速さ」と「フィールドプレーヤー並みのキックの正確さがある」ことを特徴に挙げられていた[13]。 前述のように、身長が低いことを理由にトップチームへの昇格を見送られたこともあったが、本人は「小さいと言われれば、大きいヤツよりも高く飛び、早く動き、強くなり、すべての面で上回ればいい」[5]、「小さい人がどんどんハイボールを捕れば面白いし、身長を悔やんだことはない。落下地点に最短距離で入れば、競り負けない」[11] と発言している。 体重の登録は75kgであるが、シーズンごとに体重を変え、どの体重が自分にとって最適であるかデータを取っている。2007年シーズンは71kgで通したが、ジャンプするときにある程度体重がないと勢いがつかないということで、2008年シーズンは74kgで試していた。身体能力は抜群で、相手との1対1の場面も勇敢に飛び出す。 ヴェルディユース時代、当時ユース監督だった都並敏史に対しても臆することなく意見したメンタリティの持ち主[4]。時間稼ぎで相手チームや相手サポーターを焦らせ、ブーイングを浴びたりカードを貰ったりすることもしばしばあるが、本人は「気持ちいい」と気にしていない。 記録
所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
その他の国際公式戦
個人タイトル
代表歴脚注
関連項目外部リンク
|