1979年の西武ライオンズでは、1979年の西武ライオンズにおける動向をまとめる。
1979年の西武ライオンズは、ライオンズが所沢に移転した1年目のシーズンであり、根本陸夫監督の2年目のシーズンである。
概要
クラウンライターは1977年のドラフト会議で江川卓の指名権を獲得しており、球団買収時点で独占交渉期限が残っていたことから西武は買収直後から江川獲得に攻勢をかけた。しかし、最終的にはいわゆる空白の一日により、江川は巨人に入団した。その後も、西武は積極的なチーム改編を進め、阪神から田淵幸一・古沢憲司(真弓・若菜・竹之内・竹田とトレード)、ロッテから野村克也(自由契約)・山崎裕之(倉持・古賀とトレード)を獲得した。さらに、ドラフト会議で4球団指名の森繁和の獲得に成功、江川事件によりドラフトに参加しなかった巨人がドラフト外での獲得を狙った松沼兄弟(博久・雅之)の獲得にも成功し[2]、チーム編成を一新した[3]。
西武鉄道が親会社となるも、メンバーが寄せ集め状態だったことやキャンプ地としてアメリカ合衆国・フロリダ州ブレイデントンを選んだものの、MLBチームに施設を使われまともに練習も試合もできず、帰国途中にハワイ州でサンディエゴ・パドレスと試合をしただけで開幕4日前に帰国、日本国内でオープン戦を組めなかったことも影響して、チームは開幕から引き分けを挟んだ12連敗を喫し[4]、前期を6位、後期を5位、最下位と低迷した[1][5][6]。開幕12連敗は、1955年のトンボユニオンズと並び(ただし、トンボは引分なし、西武は引分2試合を挟む。)、2022年現在もNPBワースト記録タイ、開幕から14試合未勝利はワースト記録である。この年から松崎しげるが歌う新球団歌「地平を駈ける獅子を見た」が採用された。
チーム成績
レギュラーシーズン
1979年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位
|
4月終了時
|
5月終了時
|
前期成績
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1位
|
近鉄 |
--
|
近鉄 |
--
|
近鉄 |
--
|
2位
|
日本ハム |
3.0
|
阪急 |
7.0
|
阪急 |
1.0
|
3位
|
阪急 |
3.5
|
日本ハム |
7.5
|
日本ハム |
6.0
|
4位
|
ロッテ |
5.0
|
ロッテ |
13.5
|
ロッテ |
14.0
|
5位
|
南海 |
7.5
|
南海 |
15.0
|
南海 |
18.0
|
6位
|
西武 |
11.0
|
西武 |
23.0
|
西武 |
21.0
|
|
後期
順位
|
7月終了時
|
8月終了時
|
後期成績
|
1位
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
2位
|
日本ハム |
3.5
|
ロッテ |
3.5
|
近鉄 |
2.0
|
3位
|
南海
|
日本ハム |
4.5
|
ロッテ |
6.5
|
4位
|
ロッテ |
4.0
|
近鉄 |
7.0
|
日本ハム |
9.0
|
5位
|
近鉄 |
4.5
|
南海 |
7.5
|
西武 |
9.5
|
6位
|
西武 |
5.5
|
西武 |
10.5
|
南海 |
12.0
|
|
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
[1]
できごと
選手・スタッフ
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監督 | |
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コーチ | |
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二軍監督 | |
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二軍コーチ | |
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投手 | |
---|
捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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練習生 | |
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[14]
オールスターゲーム1979
表彰選手
ドラフト
出典
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1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1950年オフに西日本パイレーツと球団合併 |