1999年の日本ハムファイターズ(1999ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1999年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
この年の日本ハムファイターズは、上田利治監督の5年目のシーズンである。
概要
上田監督5年目のチームは、退団したジェリー・ブルックスに代わってマイカ・フランクリンを獲得、ナイジェル・ウィルソンが4月以降ケガで離脱すると、その穴埋めとしてシャーマン・オバンドーが加入するなど外国人が打線の中心になった。春先は2連続完封を含む3試合連続完投勝利を挙げた金村暁、フランクリンが投打で4月の月間MVPを受賞するなど好調だったが、その金村や抑えを任せていたエリック・シュールストロムが怪我で戦線離脱するなど、故障者が続出。開幕投手も務めた岩本ツトムや関根裕之は自己最多の勝利を記録し、新人の建山義紀も6勝をマークしたものの、今関勝や芝草宇宙は不振に苦しんだ。打線では両外国人が長打力を発揮、この年一塁のポジションを獲得した小笠原道大の台頭があったものの、それ以外の選手は好不調の波が激しく、6月には最下位に転落。8月以降は同じく投壊の近鉄を抜いて5位に浮上したものの、結局2年ぶりのBクラスに終わった。シーズン終了後、責任を取って上田監督は勇退。後任には1994年まで日本ハムに在籍していた大島康徳が監督として6年ぶりにチームに復帰することになった。
チーム成績
レギュラーシーズン
[2]
1999年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
|
7月終了時
|
8月終了時
|
最終成績
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1位
|
近鉄 |
--
|
ダイエー |
--
|
ダイエー |
--
|
ダイエー |
--
|
ダイエー |
--
|
ダイエー |
--
|
2位
|
ダイエー |
0.5
|
日本ハム |
0.0
|
ロッテ |
2.5
|
西武 |
4.5
|
西武 |
4.5
|
西武 |
4.0
|
3位
|
日本ハム |
1.0
|
ロッテ |
1.5
|
西武 |
6.5
|
ロッテ |
7.0
|
オリックス |
11.0
|
オリックス |
10.5
|
4位
|
ロッテ |
1.5
|
西武
|
オリックス |
6.5
|
オリックス |
6.5
|
ロッテ |
12.0
|
ロッテ |
15.5
|
5位
|
西武 |
3.0
|
近鉄 |
2.5
|
近鉄 |
8.0
|
近鉄 |
8.0
|
日本ハム |
14.5
|
日本ハム |
18.5
|
6位
|
オリックス
|
オリックス |
3.5
|
日本ハム |
9.5
|
日本ハム |
13.0
|
近鉄 |
17.5
|
近鉄 |
23.5
|
オールスターゲーム1999
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
関連項目
出典
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |