2008年北京オリンピックの開会式2008年北京オリンピックの開会式(2008ねんペキンオリンピックのかいかいしき)は、2008年8月8日午後8時8分8秒(CST)から北京の北京国家体育場(通称:「鳥の巣」)で行われた北京オリンピックの開会式。 日本ではこの開会式の模様をNHK総合テレビジョン及びNHK衛星第1テレビジョンにて生中継し、総合テレビの開会式平均視聴率は37.3%(瞬間最高は48.2%)で、1964年東京(61.2%)、1984年ロサンゼルス(47.9%)、1972年ミュンヘン(40.6%)に次いで歴代4位の高視聴率となった[1]。 実施までの経緯2006年、北京オリンピック組織委員会は2004年アテネオリンピックの閉会式での引き継ぎ式でも総監督[2][3][4]を務めた中国人の張芸謀監督がチーフディレクター、振付師の張紹鋼と陳維亜がアシスタントディレクターに選定した。コスチュームディレクターにはアートディレクターの石岡瑛子が、ヴィジュアルディレクターには中国出身の現代美術家の蔡國強がそれぞれ起用されている。 同年、スティーヴン・スピルバーグ監督やクインシー・ジョーンズらを芸術顧問として選定したが、後にスピルバーグ監督らはダルフール紛争に関する中国政府の姿勢に抗議して芸術顧問を辞任した[5]。 式典概要式典のスタート午後7時56分(CST)、競技場のスクリーンに古代中国の日時計の映像が現れると、照明が落とされた。その後電飾付きの『ほとぎ(缶)』と呼ばれる中国古代の打楽器2008台を用いたカウントダウンが始まった。缶は正方形であり、たたくと取り付けられたセンサーとLEDによって発光するようにできている。それを1004台ずつ碁盤上に並べ演奏者が叩き発光させる。開会1分前になると、1004台の缶からなる二つ長方形が演奏者の演奏による発光によって、まるで電光掲示板のように「60」「50」「40」「30」「20」「10」とカウントダウン。10秒前からは「10、十」「9、九」「8、八」「7、七」とアラビア数字と漢数字併記でカウントダウン。「1、一」が表示された直後に開会を告げる花火が打ち上げられた。その後カウントダウンをした2008人の奏者は、缶を打ちながら「有朋自遠方來不亦樂乎(朋有り遠方より来る。また楽しからずや。「論語」「学而」)」と唱和し、万邦の賓客を歓迎した。 そして「巨人が国家体育場に向かって歩いてくる」という演出で、北京市街の上空に29歩の足跡を象った花火が打ち上げられ(今回が29回目の夏季オリンピックであったことによる。ただし、放送映像は最後の1歩分のみ実写で、残りは事前に制作されたCGによる合成だったことが後日明らかにされた[6])、会場からも多数の花火が打ち上げられた。また、ヘリコプターからの「生中継(LIVE)」として放送されたものは実際には以前に撮影されていたものであった[7]。 このあと、ワイヤーワークで飛天に扮したスタントマンが浮遊する中、競技場の床には輝く五輪マークが出現し、さらにそれが中空に向かって吊り上げられた。 その後、9歳の少女タレントの林妙可(:zh:)の歌唱による中国で著名な愛国歌、歌唱祖国の独唱(実際には歌声は別人の7歳の少女の楊沛宜(:zh:)による口パクであることが後日明らかになった[8])にあわせて中国構成各民族の衣装を着用した子供たち(ただし、大半が他民族の衣装を着用した漢民族の子供であった[9])が中国国旗を掲揚台前に運び、中国人民解放軍の儀仗兵に引き継がれたあと中国国歌演奏・斉唱、中国国旗掲揚が行われた。引き続き、中国の歴史・発明を主要テーマとしたアトラクションが行われた。 アトラクション開会式のアトラクションは3時間以上に及んだが、そのうち「美しいオリンピック」を題材にした演出は後半一時間ほどであり、その大半は中国の悠久の歴史とその中で育まれた「特色ある文化」と「人類史に残る発明」を紹介するアトラクションが豪華絢爛に展開された。 張芸謀監督は、中国の数ある発明のうち「紙」に着目し、これを聖火点灯を含む開会式の軸とした。まず、会場のスクリーンに紙漉きと筆作りの様子の映像を流した後に、競技場に古琴の演奏家と巨大な紙の巻物(実際はLED)が登場。それが開くと、黒衣のダンサーが華麗に踊りながら紙の上に袖を筆にして「山水江山図」と題する山水画を描いた。 その後孔子の門弟に扮した3000人が現れ竹簡を「冊」にした巻物を広げ「四海之内皆兄弟也」と論語の一節を朗誦し再び全世界の人々の来訪を寿いだ。彼らが去ると、山水画は巻物から引き下がり、巻物があった床が開くと活版印刷の巨大活字群が登場した。活字一文字一文字の中に人が入って上下することで版面は海面のように波うち、その左右に金文、小篆、楷書で「和」の字が表示された。さらに活字群によって万里の長城が築かれると桃の花が開花し、オリンピック精神である「平和」をアピールした。そして最後に活字の上面に相当する部分が開き、活字群を動かしていた人々が顔を出すことによって、機械等で活字群を動かしていたのではなく人力であることを強調した。 続いて、京劇の孫悟空に扮した多数に囲まれて豪華な舞台が登場し、舞台上では操り人形による京劇が演じられたほか、担ぎあげられた山水画の上で絹の伝統衣装をまとった女性が優雅な舞を見せた。この「絹」の登場から「シルクロード」の東西交流を紹介するアトラクションが始まり、巻物のLEDのスクリーンには唐三彩や莫高窟の映像が映し出された後、巨大なオールを持った青年たちが登場した。彼らがオールを立てると、そこには中国のジャンク船のイラストが現れ「海のシルクロード」の紹介へと移った。巻物には青い海と青絵付けの陶磁器(英語で陶磁器はchina)と茶(teaは福建方言。chaは北方方言)の文字が映し出された。そのあと巻物には当時の世界地図が映し出され、一人のひげのない男が登場し、おもむろに高々と羅針盤を掲げた。 このような絢爛たる歴史絵巻が演じられたあと、絵巻の上で崑曲(ユネスコの無形文化遺産)の役者によって唐、宋、元、明、清の各時代の名作のさわりが演じられた。 このあと、現代に題材は移り、中国のピアニストである郎朗とその少女によって白いピアノが連弾されると、会場上空に少女によって凧が飛ばされ、それを動機に「緑のオリンピック(環境五輪)」へとテーマは移った。「天を円。地を方形」と考え「柔よく剛を制す」の理論による自然崇拝の精神のある太極拳の演武が行われると同時に、李白の詩の一節「飛流直下三千尺、疑是銀河落九天(飛流直下すること三千尺、疑うらくは銀河が九天に落つるかと)」が競技場のスクリーンに映された。 アトラクションの最後は会場地下から地球を表した巨大な球体の造形物が出現、青と緑の地球の様子を映したのち赤く輝いた。ワイヤーで吊られたスタントマンたちがその表面を歩いてみせた。さらに競技場を囲むスクリーンには世界中の子供たちの笑顔が映し出されたほか、世界中から集めた子供たちの笑顔の写真(笑顔の写真の多くはMerry Projectが提供。)[10]がプリントされた2008本の傘が開かれた。球体の上部の特設舞台で、急遽代役として出演した劉歓とサラ・ブライトマンが北京オリンピック公式テーマ曲「我和你 (You and me)」をデュエットで歌い、アトラクションは締めくくられた[11]。 選手団入場続いてオリンピック各国代表選手団が入場行進した。この時、アトラクションで製作された巨大山水画は選手が通過するトラック上に置かれた。各国選手団は、山水画の上を通過する直前に五色の砂を足底につけて行進することになっており、モノトーンの「山水画」が入場する選手団に踏まれることで鮮やかに着色されるというフット・ペインティングが行われた。 参加国選手・役員の入場行進は、IOC(国際オリンピック委員会)の規定に従い古代オリンピック発祥の地で1896年に第1回大会を開いたギリシャで始まり、開催国の中国が最後であった。規定上その間の順序は開催国の言語に従うとなっており、国名を中国語(簡体字)表記したときの画数順となった。このため、日本の入場は23番目となった(#入場順と旗手一覧も参照)。シドニー(2000年)、アテネ(2004年)と2大会連続で続いていた韓国と北朝鮮の合同行進は、今回は行われなかった[12]。 この時、日本の代表として出席した福田康夫首相が自国の選手に立って手を振らなかった[13]。福田首相は開会式前も選手村で、「せいぜい頑張ってください」と激励の発言をしており[14]、これと併せて「立って手を振らなかったのはうち(日本)の総理大臣と北朝鮮の代表だけだった」「(せいぜい、というのは)総理大臣がかける言葉と違うと思う」と批判の声も上がった[13]。 開会宣言と聖火台への点灯選手入場の後、「選手団のフットペインティング」によって完成された山水画を絨毯とした演壇に劉淇北京オリンピック組織委員会会長と、ジャック・ロゲIOC会長が立ち挨拶した。 劉淇会長は「中国でのオリンピック開催は100年ごしの夢でした」と1908年の中国の英字新聞「天津青年」のコラムに言及した(コラムには「中国は列国に伍してオリンピックに参加したい。そして中国でオリンピックを開催したい」と書かれていた。)。ロゲIOC会長は挨拶のあと、胡錦濤国家主席(総書記)に開会を宣言することを要請、これを受け胡主席による開会宣言が行われた。 続いて五輪旗が、中国のオリンピックメダリスト[要出典]やエベレストに初めて登頂した中国人女性などによって運ばれると、人民解放軍儀仗兵によって掲揚され、子供たちによるギリシャ語でのオリンピック賛歌の演奏、選手・審判宣誓などが行われた。選手宣誓は張怡寧、審判宣誓は黃力平が行った。 最後に聖火ランナー8名によるリレーと点火が行われた。8月9日午前0時(CST)過ぎ、ロサンゼルス五輪体操男子個人総合メダリストで最終聖火ランナーの李寧が現れ、ワイヤーで上昇した後、会場最上部の壁面に沿って聖火台へ向かう形で1周した際それまでの聖火リレーの様子と聖火のトーチなどにあしらわれた「祥雲」の文様が李寧を追う形で壁面スクリーンに映し出され、あたかも最終ランナーが鳥の巣の上にぐるりと巻物を広げていく演出がなされた。 その巻物の端に当たるように見せた紙をくるりと巻貝のように巻いた形の聖火台がスポットライトによって姿を現わすと、李寧がその下部に設置された点火ポイントから導火線状の筒を通して聖火を点灯した。同時に北京市内各所で花火が打ち上げられ、約5時間に渡る開会式は終了した。 天候操作開会式当日、会場に向かって雨雲が接近しつつあったため、夕刻以降に中国当局はヨウ化銀を含んだ小型ロケット1104発を市内21カ所から発射し、会場上空に雨雲が到達する前に郊外で人工降雨を起こし雨雲を消滅させた[15][16]。 入場順と旗手一覧入場順はギリシャと中国を除き中国語の標準漢字(簡体字)による各国国名の最初の漢字の画数の順番である[17]。最初の漢字の画数が同一の場合は中国における漢字部首の配列順による。なお、中華人民共和国は「中华人民共和国」ではなく「中国」表記であった。 →「外国地名および国名の漢字表記一覧」も参照
各国首脳の出席100人を超える国家元首・首相・各国要人が開会式に出席した[18][19]。開会式に出席した国家元首の数はオリンピック史上最多となる[20][21][22]。 出席した国家元首・首相・各地域首長の一覧
これらの他に、皇太子・外務大臣・与党総裁などが出席した国も多く、イギリスのトニー・ブレア[26]やドイツのゲルハルト・シュレーダー[27]のような首相経験者も出席した。 開会式リハーサル映像流出問題開催まであと10日となった2008年7月29日、韓国のSBSテレビが北京五輪のメイン会場である北京国家体育場で実施された開会式のリハーサルの模様を特ダネとして放映、国家体育場前にいたキャスターが聖火台への点火場面を説明するなどし、本来は10人程度しか知らない聖火台の形まで漏れることとなった[28]。この映像は、7月30日にはYouTubeにもアップロードされ、最高機密でもある開会式の様子を放映したことから、一部の中国サイトでは韓国が強烈に非難された。 SBSテレビは、7月31日に組織委に正式に謝罪するとともにウェブサイトに掲載した関連映像も削除したと弁明した[29]。 この一連の映像漏洩により、北京オリンピックの放送を主管する北京オリンピック放送有限公司(BOB)は8月6日、SBSに対する制裁として開会式中はスタジアム内への自社テレビカメラ持ち込みを禁止する措置を取った。 脚注
関連項目
外部リンク
|