MP40
MP 40(ドイツ語:Maschinenpistole 40 (マシーネンピストーレ・フィーアツィヒ)およびMP 38は、ナチス・ドイツの時代に開発された短機関銃である。第二次世界大戦中、ドイツ国防軍やドイツから供給を受けた枢軸国軍などで広く用いられた。 MP18やトンプソン・サブマシンガンなど従来の短機関銃と比較して、鋼板プレス加工やプラスチックを利用してコストダウンが図られている。このデザインは連合国側の銃器設計思想にも影響を与えた。 開発第一次世界大戦末期にドイツ帝国で採用されたMP18及びMP28は最初期の短機関銃として知られ、戦間期においてもトンプソン・サブマシンガンと並んで世界各地で使用された。 1935年のドイツ再軍備宣言の後、大幅に拡張されたドイツ国防軍は先進的な軍備を整備しはじめるが、歩兵分隊の火力を容易に強化できる手段として短機関銃を重視し、世界各国に先駆けてその全面配備を行った。 MP18/MP28は、第一次世界大戦末期に開発された簡易な構造の決戦兵器だったが、軍は更に生産の容易な短機関銃を求めた。エルマ・ベルケ社は積年の研究から開発した次世代短機関銃をMP36の名称で試作し、その改良型がMP38として採用された。 従来の短機関銃が木製の固定式銃床を持つ小銃の延長上にあるデザインだったのに対して、MP38は鋼板プレスとパイプで製造された折畳み式ストックを持ち、滑り止め用のグリップ回りはベークライトで製造され、マガジンハウジングとマガジンに反動制御用のフォアグリップとしての機能を兼用させるなど、従来の短機関銃とは明らかに一線を画するコンセプトでデザインされていた。ただしマガジンハウジングとグリップの間には細身のレシーバーカバーが装着され、ストックを伸ばした状態で従来型のフォアグリップとして使えるようになっていた。使用する弾薬は、互換性を配慮して、ドイツ軍が拳銃弾として採用していた、9mmパラベラム弾を使用する。 また、リコイル・スプリングを伸縮式のリコイルユニットに収納し、ボルトが後退する際の気体緩衝装置(エア・バッファ)と防塵・防泥カバーを兼ねさせる工夫を追加し、軽量なボルトを用いながら500発/分まで連射速度を抑制する事に成功するとともに、リコイル・スプリングを錆から保護する点でも効果を上げた。射撃モードはフルオート(連発)のみで、セミオート(単発)は設定されていない。 テーパーがかかった銃身の下面には、車輌の手すりなどに銃を委託した射撃、あるいは銃眼を通した射撃の際に、銃身を支えるためのリブが取り付けられている。 この間に、ナチス政権はオーストリア・チェコを併合して対外拡張政策に転じ、これに歩調をあわせてドイツ国防軍も英仏との衝突に備えて急拡張を続けていたため、MP38は更なる生産性の向上とコストダウンが求められた。 これに対応して、切削加工とアルミ合金鋳造による部品製造を廃し、安全装置を改良した省力化モデルが開発され、これがMP40として採用されたほか、様々な変更が加えられた数種類のバリエーションが存在する。 バリエーション
海外でのコピー
第二次世界大戦後ドイツ降伏でMP40の大部分は連合国に接収された。損耗して廃棄処分されたものもあるが、ソ連赤軍ではもともとMP40の人気が高く(ドイツ軍では逆にPPSh-41の人気が高かった)、鹵獲品を好んで赤軍兵士が用いていた事もあり、優秀な短機関銃として親ソビエト諸国・勢力に供給され、その一部は朝鮮戦争や第一次インドシナ戦争などで用いられた。 そうした親ソビエト諸国のひとつで、戦時中はドイツへの兵器供給に従事させられていたチェコスロバキアでは、ドイツ軍向け規格のKar98kやMP40の製造設備を稼動させて完成品や部品を供給していた。 この時期にユダヤ人反ファシスト委員会を通じてチェコから大量の兵器を購入(実態は密輸)していた建国前夜のイスラエルでは、ハガナー(後の国防軍)の主力短機関銃としてMP40が使用された。ユダヤ人を弾圧したナチスとユダヤ人(シオニスト)による国家イスラエルによって用いられるという皮肉な運命を辿ったMP40には、ヘブライ文字で国家鷲章の刻印が消されている事が多く、国産のUZIが行き渡る1960年代初頭までイスラエルの国防を支えた。 ノルウェーでは1980年代まで戦車兵の自衛用装備としてMP40が配備されていたほどで、戦後になってもMP40は人気が高く、今日でも南米やアフリカなど過酷な環境下で広く使用され続けている。 戦後になって撮影されたハリウッド映画(後述)では、入手の簡単なMP40がドイツ兵の装備として良く用いられたため、実際の主力装備だったKar98kや大戦末期に大量配備されていたMP43などよりもMP40の知名度が抜群に高くなり、ナチス時代のドイツ軍を象徴する存在として広く認識されている。 また、MP40が実現した"部品のユニット化・プレス加工やプラスチックを利用した大量生産・標準パーツの組み立て製造"といった斬新なアイデアは各国に模倣され、アメリカのM3グリースガンやイギリスのステン短機関銃、ソ連のPPSなどを産んだ。さらに、新種のジャンルとして登場したMKb42/MP43などの製造方法へ発展し、現代軍用銃では主流の設計思想となっている。 弾薬として入手が容易な9mmパラベラム弾を使用している事や、製造後70年近く経った今日でも使用できる頑丈さと性能を兼ね備えていることから、世界各地の紛争地域で使用されている事が報道写真から確認されているほか、米国ではMP40を所有する民間人のコレクターも多い。 日本におけるMP38/MP40第二次世界大戦中にドイツ同盟国だった日本だが、陸軍や海軍(少数ながらMP18やS1-100を輸入して使用)においてMP38/MP40が使用された事は無く、一部の軍人等を除く日本人の多くがMP38/MP40の存在を知るのは戦後になって流入した映画・テレビ映画を通じてである。 大戦中のドイツ軍主装備として認識されていたMP40は、早くからモデルガンとしての製品化が志向され、1967年にはMGC社から本格的な製品(軟鋼板プレス製レシーバと亜鉛合金ダイカストによる切削加工部品の再現)として発表された。 MGC製MP40には、レシーバとマガジンハウジングの固定方法が製造時期によって異なるほか、鋼板の表面仕上げに初期(実物と同じブルー仕上げ)と後期(茄子色仕上げ)の違いがあり、概して初期型の方が評価が高かった。 MGC製MP40に追随して中田商店からTRC(東京レプリカコーポレーション・後にマルシン工業)製のMP40が発売されるが、MGC製と異なり伸縮式リコイルユニットが省略されており、全体のディテール再現性も低く、発売当初から評価は低かった。 これら日本製モデルガンと実物のMP40を比較すると、日本製は全体的なサイズが若干大きい印象(もっさりとしている)を受け、実物の方がすっきりとした小柄な印象である。 また、廃銃として輸入されたMP38をモデルガン化された物が1点存在し、1970年代の雑誌に"100,000,000円"という法外な価格で広告されていた事でも知られている。 モデルガン以外だと、1970年代に製品化されたマスダヤの「シュマイザーMT-36」が挙げられる。これはプラスチック製の弾を連射可能な電動ガンの草分け的な玩具であり、当時は「ダダダ 1秒間に8発 出る出る30発!」をうたい文句にCMが放映されていた。黒と迷彩色のバージョンがあり、外見は折り畳みストックを始めMP40を忠実に模していたが、唯一、弾倉取り付け位置がモーター内蔵の関係で垂直ではなく、ステンガン同様の水平になっていた。 1977年の法改正で軟鋼板プレス製のMGC製MP40は製造・販売が禁止されたが、マルシン製MP40は全体を亜鉛合金で製造して販売が継続された。 しかし、法改正による規制をクリアするためにデザインを一部変更した事もあって評価は更に低下した。 その後、マルシンは全体をABS樹脂と亜鉛合金の組み合わせで新規に製作したMP40を1984年に発表したが、伸縮式リコイルユニットを含めたオリジナルの設計をほぼ再現する事に成功しただけでなく、MGC社や従来のマルシン製に用いられていたデトネータ式(開放発火)ではなく、プラグファイア式ブローバック(密閉発火)を採用して、快調な発火性能を実現した事もあって、それまでの同社製MP40への評価を完全に払拭する製品として、今日でも高い評価を受けている。 同ABS製MP40は、その後のマルシン製エア・コッキング式およびガス使用MP40型ASGの母体ともなっているほか、2006年に放映されたTVドラマ『セーラー服と機関銃』のプロップとしても使用された。 また、中国製電動ガンとしてAGMが末期にMP40をベークライトモデル・通常モデルの両方で発売していた(現在は中国当局の捜査によりメーカーが倒産し絶版状態 ただしStG44に関しては金型を他社が引き継いでいる)。そのほかに現在SRC社がブローバック式(ピストンが連動する)タイプのMP40電動ガンを発売している。 登場作品MP40の登場作品を表示するには右の [表示] をクリックしてください。 MP40はドイツ軍の主力短機関銃であったため、ナチスドイツ軍が登場するほぼ全ての戦争映画に登場しており、戦争映画における“ナチスドイツ兵の使う武器”の象徴的な存在である。作品によってはシルエットの似たスペインのZ-45やユーゴスラビアのM56短機関銃で代用している例もある。 ※作品名は基本的に五十音順。 映画・テレビドラマ
漫画・アニメ
書籍
ゲーム
出典・脚注参考文献
関連項目外部リンク |