アレクサンダー・ロッシ
アレクサンダー・マイケル・ロッシ(Alexander Michael Rossi, 1991年9月25日 - )は、イタリア系アメリカ人のレーシングドライバー。マスメディアによっては「アレキサンダー・ロッシ」と表記する場合もある。2016年、インディアナポリス500マイルレース優勝。 経歴スキップ・バーバーアメリカ・カリフォルニア州オーバーンで生まれる。2005年、IKF(International Kart Federation)の100ccヤマハクラスにおいて、グランドナショナルチャンピオンとなる。 同時期に、スキップ・バーバー・レーシングスクールで腕を磨く。2006年には、同校の全米選手権(Skip Barber National Championship)で総合3位となる。西部地区の選手権ではタイトルを獲得する。 フォーミュラ・BMW2007年、フォーミュラ・BMWのアメリカシリーズに参戦。チーム・アペックス・レーシングから出走し、3度の優勝をする活躍を見せ総合3位となる。 2008年は、ユーロインターナショナルへ移籍する。この年は前年以上の活躍を見せ、15戦中10回の優勝を飾り全米チャンピオンとなる。12月に行われる各シリーズのチャンピオンを集めての「ワールドシリーズ」に出場。見事に優勝を果たし2008年度のフォーミュラ・BMW世界チャンピオンに輝く。その後、ヨーロッパチャンピオンのエステバン・グティエレスと共にF1のテストドライブをする機会が与えられた[1]。 インターナショナル・フォーミュラ・マスター2009年からは、活動の場をヨーロッパに移す。ハイテック・レーシングからインターナショナル・フォーミュラ・マスターに参戦した。第3戦からはISR・レーシングへ移籍してシーズンを戦った。ルーキーイヤーながらも3つのレースで勝利を収め、総合4位という好成績でシーズンを終えた。 GP32010年、ARTグランプリよりGP3に参戦。チームメイトはエステバン・グティエレスとペドロ・ヌネス(Pedro Nunes)。シーズンを通して上位争いに絡むレースを繰り広げ、2度の優勝を含む総合4位となる。グティエレスは、この年のGP3タイトルを獲得した。 ワールドシリーズ・バイ・ルノーGP3のシーズン終了後、ロッシはフォーミュラ・ルノー3.5へ参戦する。イタリアF3チャンピオンでブラジル人ドライバーのシーザー・ラモス(César Ramos)と共に、フォーテック・モータースポーツから出走した。シーズンを通して2勝上げ、ロバート・ウィケンズ、ジャン=エリック・ベルニュに次ぐ総合3位という好成績で初年度を終える。 翌年は、アーデン・ケータハム(Arden Caterham)に移籍する。レッドブルから支援を受けているルイス・ウィリアムソンとタッグを組んで参戦した。表彰台圏内でのフィニッシュは3位の1回のみと苦戦し、総合順位も11位に後退した。 GP2ロッシのGP2シリーズ初参戦は、2009年-2010年のGP2アジアシリーズへの出場が始まりである。開幕戦はオーシャン・レーシング・テクノロジーから、第2戦以降はチーム・メリタスへ移籍し出走した。開幕戦の第1レースでは、予選13位からスタートし周回数を重ねるごとに順位を上げ表彰台まであと一歩と迫る4位でフィニッシュする走りを見せた。シーズンを通し入賞4回の総合9位で終える。 本戦への出場は2013年が初となる。EQ8 ケータハム・レーシング(EQ8 Caterham Racing)でレギュラードライバーだったマー・チンホワに変わり第2戦バーレーンからデビューし、いきなり第1レースで3位表彰台を獲得する。最終戦ヤス・マリーナの第1レースではアメリカ人ドライバー初の優勝を達成した。シリーズ順位は9位。 2014年は、シーズン中盤である第5戦シルバーストン終了後に、カンポス・レーシングのレギュラードライバーである佐藤公哉とトレード移籍した。しかし移籍後2戦で離脱したため、年間では21位と成績を落とした。 2015年には、レーシング・エンジニアリングへ移籍する[2]。チームメイトは、2013年のイギリスF3チャンピオンであるジョーダン・キング。3年目のシーズンで開花しストフェル・バンドーンに続く年間2位に入り、アメリカ人GP2最多勝利記録となる3勝をマーク。 スコット・スピード(2005年シリーズ3位・決勝最高2位)に次ぐ2人目のGP2シリーズに参戦したアメリカ人ドライバー。前述の通り、スピードのそれを上回りGP2では多くのアメリカ人記録を保持している。 F1ロッシは、ホセ・マリア・ロペスとジョナサン・サマートンと共に2010年に新規参戦する予定であったUS F1チームのドライバー候補の一人であった。チームが参戦を断念する前にはテストドライバーとしての契約もしていた。2009年のシーズン終了後、ヘレス・サーキットにおいてF1の若手ドライバーのテストとして2009年型であるBMWザウバー・F1.09に乗りテストドライブを行っている。これは、2008年にフォーミュラ・BMWのワールドタイトルを獲得した為である。このテストで発行されたFIAのスーパーライセンスを所持する現在唯一のアメリカ人がロッシである。 ケータハム在籍期
2012年3月9日、リザーブドライバーであるギド・ヴァン・デル・ガルデに続きケータハムF1チームにテストドライバーとして契約した事を発表する[3]。2012年第5戦スペインGPの金曜フリー走行において、ヘイキ・コバライネンのシャシーに乗りセッション初走行を行った。F1へのアメリカ人の出場は2007年第10戦ヨーロッパGPに出走していたスコット・スピード以来5年ぶりのことであった。 2014年7月16日、ロッシはケータハムF1チームから離脱した事を発表する[4]。これに先立つ同月の初めには、チーム代表であるトニー・フェルナンデスがスイスと中東の投資家へケータハムチームを売却した事を発表していた[5]。7月24日、ロッシはマルシャF1チームと新たに契約を結び、残りのシーズンのリザーブドライバーとして加入すると発表した[6]。 マノー・マルシャ在籍期
2015年は前述の通りGP2シリーズに参戦しているが、第13戦シンガポールGPからマノー・マルシャF1チームのロベルト・メリに代わりレースドライバーに起用された。チャンピオン争いをしているGP2の参戦を優先するため、残り7戦のうちGP2の併催がない5戦(シンガポールGP、日本GP、アメリカGP、メキシコGP、ブラジルGP)に参戦する[7]。その他の2戦(ロシアGP、アブダビGP)はメリが出走する事になった。2007年ヨーロッパGPのスピード以来、実に8年ぶりとなるアメリカ人F1ドライバーとなる。参戦した5レースでは同僚のウィル・スティーブンスに対し4勝1敗とリードし、また母国開催のアメリカGPではメリと並ぶ決勝でのチーム最高成績である12位を記録するなど活躍を見せる。 インディカー・シリーズ2016年はマノーのレギュラー争いに敗れ、リザーブドライバーとして契約をしながらインディカーに参戦、アンドレッティ・オートスポーツとブライアン・ハータ・オートスポーツのジョイントチームからレギュラー参戦することになった。インディ500では終盤燃料を保たせ、最後のピットインから36周を走るギャンブルに打ち勝ち[注 1]2001年のエリオ・カストロネベス以来となるルーキーでの勝利[8]を挙げた。 レース戦績略歴
GP2アジアシリーズ
GP3シリーズ
フォーミュラ・ルノー3.5 シリーズ
F1
GP2シリーズ
アメリカン・オープンホイール・レーシングインディカー・シリーズ
インディ500
スポーツカーFIA 世界耐久選手権
(key) ル・マン24時間レース
ウェザーテック・スポーツカー選手権
デイトナ24時間レース
バサースト1000
脚注注釈
出典
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