サー・アレクサンダー・チャップマン・ファーガソン CBE (Sir Alexander Chapman "Alex" Ferguson CBE 、1941年 12月31日 - )は、スコットランド ・グラスゴー 出身の元サッカー指導者、元サッカー選手 。
概要
サッカー史上最高の監督の1人であり、1986年より27年間プレミアリーグ のマンチェスター・ユナイテッド の監督を務め、13度のリーグ優勝、2度のCL(チャンピオンズリーグ)優勝に導いた[ 1] 。
愛称は「ファギー」。2000年にナイト 位[ 2] を叙勲されたため「サー」の敬称をつけて呼ばれることもある。試合中は気が短く顔を紅潮させて激怒する姿がしばしば見られ「ヘアードライヤー」なる異名もある。顔を近づけて怒鳴るため選手の髪の毛がふわふわと揺れるからである[ 3] 。試合中は常にガムを噛んでいた。
経歴
選手時代
16歳でクイーンズ・パークFCとアマチュア契約を結んだ。アマチュア選手だったため他にも仕事をして生計をたてていた。その後セント・ジョンストンFC に移籍したが完全なレギュラー確保には至らなかった上に、試合中に頬骨、鼻骨を骨折して1カ月間の離脱を強いられ、復帰後の3試合でチームは1-8、0-7、2-9と大敗。この結果、サッカー選手を諦めカナダに行こうとしていた。しかし、強豪レンジャーズFC との試合でハットトリック を決め、チームに大金星をもたらす活躍を見せる。レンジャーズのホームスタジアムであるアイブロックス・スタジアム でレンジャーズ相手にハットトリックを達成したのはファーガソンが初めてであった。その後、ファーガソンはダンファームリン・アスレティックFC とプロ契約を交わし、正式にプロサッカー選手となった。ダンファームリン・アスレティックではスコティッシュ・フットボールリーグ の1部リーグで得点王となっている。レンジャーズFC等でプレーし1974年に引退。現役時代からサッカーのコーチングスクールに通う等、指導者となる準備をしていた。
指導者の道へ
現役引退後、スコットランド3部イーストスターリングシャーFCで指導者としてのキャリアをスタートした。週給40ポンドのパートであったが、当時登録選手がわずか8名で専門のゴールキーパーすら持たなかった「英国最悪のクラブ(ファーガソン自身の言葉)」をわずか117日間でリーグ首位に押し上げると、当時2部リーグに所属していたセント・ミレンFC に引き抜かれ本格的に指導者としての道を歩み始める。セント・ミレンでは1976-77シーズンに2部リーグを優勝し、1部リーグに昇格させた。しかし、1978年に解雇された。
アバディーンFC
アバディーンFC の監督に就任。当時スコットランド国内を席巻していたセルティックFC とレンジャーズFC を抑え、リーグ優勝3回、国内カップ優勝4回、リーグカップ優勝1回の成績を残し、1983年にはUEFAカップウィナーズカップ を優勝した。1983-84シーズンにはダブル を達成したが、スコットランドにおいてはセルティックとレンジャーズの2強以外では、現在までファーガソンが率いたアバディーンが達成したのみである。
スコットランド代表
アバディーンの監督を務めながら、スコットランド代表 のアシスタントコーチも兼任した。ジョック・ステイン 監督と共に1986 FIFAワールドカップ 出場を目指したが、ヨーロッパ予選のプレーオフ出場をかけた試合中にジョック・ステイン監督が倒れ、プレーオフ進出を決めたものの後に死去。代役としてファーガソンが監督となり、ワールドカップ出場をかけたプレーオフを見事に勝利し、本大会出場を決めた。1986 FIFAワールドカップではグループリーグで敗退している。
マンチェスター・ユナイテッド
1986年、当時低迷していたマンチェスター・ユナイテッドFC の監督に就任した。最初の3年間はタイトルを獲得出来ずにいたが、規律を重視したチーム作りでクラブを常勝軍団に育て上げ、1989-90シーズンにFAカップ を優勝し就任してから初のタイトルを獲得。翌シーズンには自身2度目となるUEFAカップウィナーズカップ 優勝を果たし、1992-93シーズンには26年ぶりとなるリーグ 優勝を果たした。1993-94シーズンと1995-96シーズンにはダブル 、1999年にはイングランド初のプレミアリーグ とFAカップ 、UEFAチャンピオンズリーグ を制覇してのトレブル を成し遂げた他、2度のプレミアリーグ3連覇、2008年の2度目のチャンピオンズリーグ優勝等、25年以上の長期にわたりクラブの指揮を執り続け、20以上の主要タイトルを獲得した。
2011年5月、12度目のプレミアリーグ 優勝を果たした。この結果、マンチェスター・ユナイテッドはフットボールリーグ 時代の7度の優勝と合わせてイングランド のリーグ戦での優勝回数が19回となり、リーグ優勝18回だったリヴァプールFC を抜いて史上最多となった[ 4] 。2013年4月、2シーズンぶり13度目のプレミアリーグ優勝を果たすとともに、フットボールリーグからの優勝回数が通算20回となった。
2013年5月8日、2012-13シーズン での退任と監督業からの引退を発表した[ 5] 。
人物
戦術やサッカースタイルよりも規律を重んじ、選手育成やチームの基礎固めに手腕を発揮する。攻守共にシンプルで柔軟なサッカーを好んでいる。若手の育成に定評があり、「ファーギーズ・フレッジリングス」(アレックス・ファーガソンの雛鳥)と呼ばれたライアン・ギグス 、ガリー・ネヴィル 、ポール・スコールズ 、デビッド・ベッカム など代表レベルの選手を多く育ててきた。戦術としてはターンオーバー を積極的に用い、相手のレベルによっては先発11人を全員入れ替えることすらある。
発言がストレートなため、自ら育てたデビッド・ベッカム 、絶対的エースであったルート・ファン・ニステルローイ をレアル・マドリード へ追いやり、ライバルチームであるアーセナルFC のアーセン・ベンゲル 監督やチェルシーFC の監督のジョゼ・モウリーニョ としばしば舌戦を繰り広げた。しかしながら、モウリーニョがチェルシーを解任された(2007年9月)際には「彼がイングランドを去ったのは、イングランドサッカー界にとって大きな損失だ。彼を超えるチェルシーの監督は現れないだろう」と語った[ 6] [ 7] 。
エピソード
オールド・トラッフォード でのファーガソン
2004年に放送された「Father and Son」というBBCのドキュメンタリーの中で、代理人である息子のジェイソンが自らが担当する選手が移籍市場において有利となるよう父の影響力を不当に行使しているとの批判が行われた。ファーガソンはこれを息子に対する人格攻撃であるとして強く反発した。以後「Match of the Day」などBBCが製作するサッカー番組でのインタビューを一切受け付けないようになり、試合後のインタビューはアシスタントコーチが担当することになった。2010-11シーズンからリーグの規約で監督の試合後インタビューが義務付けられたが、ファーガソンはこれに応ぜずクラブは罰金を支払った。2011年8月25日にファーガソンはBBCの重役と会合し、ボイコットを終わらせるとの共同コメントが発表された[ 8] 。
2007年9月、ロンドン市内の駅で暴漢に襲われ足に軽いケガを負った[ 9] 。
2011年11月、マンチェスター・ユナイテッドFCの本拠地であるオールド・トラッフォード のノーススタンドが「サー・アレックス・ファーガソン・スタンド」と命名された。彼の監督生活25周年を記念し、これまでの功績を称え命名されたものである。
戦術
基本は4‐4‐2と4‐4‐1‐1のシステムを使用していたが、相手チームや選手のコンディションをみて4‐3‐3と4‐2‐3‐1もオプションとして使用。また、ターンオーバー を積極的に採用してエース級の選手でもコンディションが悪ければメンバーを入れ替えた [要出典 ] 。
監督成績
クラブ
就任
退任
記録
試合
勝
分
負
得点
失点
得失点
勝率 %
イースト・スターリングシャーFC
1974年6月1日
1974年10月20日
7001170000000000000♠ 17
7001100000000000000♠ 10
7000300000000000000♠ 3
7000400000000000000♠ 4
7001360000000000000♠ 36
7001270000000000000♠ 27
+9
0 7001588200000000000♠ 58.82
セント・ミレン
1974年10月21日
1978年5月31日
7002151000000000000♠ 151
7001630000000000000♠ 63
7001390000000000000♠ 39
7001490000000000000♠ 49
7002252000000000000♠ 252
7002207000000000000♠ 207
+45
0 7001417200000000000♠ 41.72
アバディーン
1978年6月1日
1986年11月5日
7002453000000000000♠ 453
7002268000000000000♠ 268
7002105000000000000♠ 105
7001800000000000000♠ 80
7002898000000000000♠ 898
7002364000000000000♠ 364
+534
0 7001591600000000000♠ 59.16
スコットランド
1985年9月10日
1986年6月13日
7001100000000000000♠ 10
7000300000000000000♠ 3
7000400000000000000♠ 4
7000300000000000000♠ 3
7000800000000000000♠ 8
7000500000000000000♠ 5
+3
0 7001300000000000000♠ 30.00
マンチェスター・ユナイテッド
1986年11月6日
2013年5月19日
7003150000000000000♠ 1,500
7002895000000000000♠ 895
7002338000000000000♠ 338
7002267000000000000♠ 267
7003276900000000000♠ 2,769
7003136500000000000♠ 1,365
+1404
0 7001596700000000000♠ 59.67
通算
7003213100000000000♠ 2,131
7003123900000000000♠ 1,239
7002489000000000000♠ 489
7002403000000000000♠ 403
7003396300000000000♠ 3,963
7003196800000000000♠ 1,968
+1995
0 7001581400000000000♠ 58.14
タイトル
指導者時代
クラブ
セント・ミレン
アバディーンFC
マンチェスター・ユナイテッド
プレミアリーグ :13回 (1992-93, 1993-94, 1995-96, 1996-97, 1998-99, 1999-00, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2010-11, 2012-13)
FAカップ :5回 (1989-90, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04)
フットボールリーグカップ :4回 (1991-92, 2005-06, 2008-09, 2009-10)
FAコミュニティ・シールド :10回 (1990, 1993, 1994, 1996, 1997, 2003, 2007, 2008, 2010, 2011)
UEFAチャンピオンズリーグ :2回 (1998-99, 2007-08)
UEFAカップウィナーズカップ :1回 (1990-91)
UEFAスーパーカップ :1回 (1991)
トヨタカップ :1回 (1999)
FIFAクラブワールドカップ :1回 (2008)
※1998-99シーズンはリーグ優勝、FAカップ優勝、チャンピオンズリーグ優勝の3冠 を達成。
個人
プレミアリーグ月間最優秀監督 :27回(1993年8月,1994年10月,1996年2月,1996年3月,1997年2月,1997年10月,1999年1月,1999年4月,1999年8月,2000年3月,2000年4月,2001年2月,2003年4月,2003年12月,2005年2月,2006年3月,2006年8月,2006年10月,2007年2月,2008年1月,2008年3月,2009年1月,2009年4月,2009年9月,2011年1月,2011年8月,2012年10月)※2018年12月現在、最多受賞
プレミアリーグ年間最優秀監督 : 11回(1993-94, 1995-96, 1996-97, 1998-99, 1999-00, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2010-11, 2012-13)
プレミアリーグ殿堂 : 2023年
脚注
関連情報
著書
関連書籍