チャンダ・ルビン
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チャンダ・ルビン Chanda Rubin |
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チャンダ・ルビン | 基本情報 |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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出身地 |
同・ルイジアナ州ラファイエット |
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生年月日 |
(1976-02-18) 1976年2月18日(48歳) |
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身長 |
168cm |
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体重 |
58kg |
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利き手 |
右 |
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バックハンド |
両手打ち |
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ツアー経歴 |
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デビュー年 |
1991年 |
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引退年 |
2007年 |
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ツアー通算 |
17勝 |
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シングルス |
7勝 |
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ダブルス |
10勝 |
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生涯通算成績 |
626勝415敗 |
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シングルス |
399勝254敗 |
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ダブルス |
227勝161敗 |
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生涯獲得賞金 |
$4,470,180 |
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4大大会最高成績・シングルス |
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全豪 |
ベスト4(1996) |
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全仏 |
ベスト8(1995・2000・03) |
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全英 |
4回戦(2002) |
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全米 |
4回戦(1992・95・2002) |
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4大大会最高成績・ダブルス |
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全豪 |
優勝(1996) |
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全仏 |
ベスト4(2003) |
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全英 |
ベスト4(2002) |
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全米 |
準優勝(1999) |
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優勝回数 |
1(豪1) |
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4大大会最高成績・混合ダブルス |
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全米 |
ベスト4(1995) |
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キャリア自己最高ランキング |
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シングルス |
6位(1996年4月8日) |
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ダブルス |
9位(1996年4月15日) |
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チャンダ・ルビン(Chanda Rubin, 1976年2月18日 - )は、アメリカ・ルイジアナ州ラファイエット出身の女子プロテニス選手。1996年の全豪オープン女子ダブルス優勝者である。黒人選手で、ジェニファー・カプリアティやリンゼイ・ダベンポートと同じ年にあたる。自己最高ランキングはシングルス6位、ダブルス9位。身長168cm、体重58kgと小柄な体格だが、軽やかなフットワークを持ち味とする。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。WTAツアーでシングルス7勝、ダブルス10勝を挙げた。
来歴
1991年8月に15歳でプロ入り。1995年の全仏オープンでベスト8に進出した時、4回戦で日本の杉山愛を 6-2, 1-6, 6-2 で破ったが、準々決勝でアランチャ・サンチェス・ビカリオに 3-6, 1-6 で敗れた。この年、19歳のルビンはWTAアワードの「最も進歩した選手賞」(Most Improved Player of the Year)に選出された。1996年の全豪オープンでルビンは4大大会の自己最高成績を挙げ、モニカ・セレシュとの準決勝まで進出した。この大会でルビンは驚異的な粘り強さを披露し、アランチャ・サンチェス・ビカリオとの準々決勝では 6-4, 2-6, 16-14 で競り勝ち、準決勝では刺傷事件から復帰したばかりのセレシュに 7-6, 1-6, 5-7 のスコアで惜敗した。サンチェス・ビカリオとの準々決勝は、試合時間:3時間33分で当時の全豪オープン女子シングルス史上最長試合であった。(現在の最長試合は2011年のフランチェスカ・スキアボーネが 6-4, 1-6, 16-14 でスベトラーナ・クズネツォワに勝利した試合の4時間44分である。)ルビンとサンチェスは、この大会で女子ダブルスのコンビを組み、決勝でリンゼイ・ダベンポート&メアリー・ジョー・フェルナンデス組を 7-5, 2-6, 6-4 で破って優勝した。ところが、テニス経歴が軌道に乗ったばかりの時にルビンは右手首を骨折し、同年の6月から11月まで試合欠場を余儀なくされた。
右手首の故障から復帰した後、しばらくは低迷期が続いたが、2000年の全仏オープンで5年ぶり2度目の準々決勝進出を果たした。それから、2002年全仏オープンから2003年全豪オープンまで4大会連続の4回戦に進出し、2003年全仏オープンで3年ぶり3度目のベスト8に入る。2003年はツアーで2度の優勝と3度の準優勝を挙げ、上位選手の欠場により女子年間最終戦・WTAツアー選手権にも繰り上がりで出場し、年間最終ランキング9位につけるなどキャリア最高の年を送った。しかし2004年から慢性的な左膝の故障に悩まされ、2005年度はほとんど試合に出場できなかった。2006年の全米オープンには主催者推薦で出場したが、1回戦で第9シードのニコル・バイディソバに敗れている。シングルスでは2006年10月のカナダ・ケベックシティ大会を最後に出場が途絶え、1年後の2007年10月にサンフランシスコで行われたツアー下部のサーキット大会ダブルス部門において、同じアメリカ人選手のアシュリー・ハークルロードと組んで2回戦に進出したのを最後にツアー出場が途絶えている。
ルビンは後進の育成にも積極的に取り組み、2001年から2005年の毎年9月から11月期にわたって、主にジュニア1-2年目の若手が出場する下位グレードの大会を中心に、自分の名前を冠したアメリカ各地を転戦するITFジュニアツアー大会を年4-7大会主宰していた時期があった。これらの大会で優勝したジュニア選手の中から、マリア・シャラポワ(ロシア)やアレクサンドラ・ウォズニアク(カナダ)などのトップ選手たちが育ってきた。
WTAツアー決勝進出結果
シングルス: 19回 (7勝12敗)
大会グレード
|
グランドスラム (0–0)
|
ティア I (0–1)
|
ティア II (3–4)
|
ティア III (3–5)
|
ティア IV & V (1–2)
|
結果
|
No.
|
決勝日
|
大会
|
サーフェス
|
対戦相手
|
スコア
|
準優勝
|
1.
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1991年11月3日
|
フェニックス
|
ハード
|
サビーネ・アペルマンス
|
5–7, 1–6
|
準優勝
|
2.
|
1994年2月13日
|
シカゴ
|
ハード
|
ナターシャ・ズベレワ
|
3–6, 5–7
|
準優勝
|
3.
|
1995年6月25日
|
イーストボーン
|
ハード
|
ナタリー・トージア
|
6–3, 0–6, 5–7
|
準優勝
|
4.
|
1995年8月13日
|
ロサンゼルス
|
ハード
|
コンチタ・マルティネス
|
6–4, 1–6, 3–6
|
準優勝
|
5.
|
1996年3月30日
|
マイアミ
|
ハード
|
シュテフィ・グラフ
|
1–6, 3–6
|
優勝
|
1.
|
1997年2月9日
|
リンツ
|
ハード (室内)
|
カリナ・ハブスドバ
|
6–4, 6–2
|
準優勝
|
6.
|
1998年11月1日
|
ケベックシティ
|
ハード (室内)
|
タラ・スナイダー
|
6–4, 4–6, 6–7(6)
|
優勝
|
2.
|
1999年1月17日
|
ホバート
|
ハード
|
リタ・グランデ
|
6–2, 6–3
|
準優勝
|
7.
|
1999年11月7日
|
ケベックシティ
|
ハード (室内)
|
ジェニファー・カプリアティ
|
6–4, 1–6, 2–6
|
準優勝
|
8.
|
2000年1月15日
|
ホバート
|
ハード
|
キム・クライシュテルス
|
6–2, 2–6, 2–6
|
優勝
|
3.
|
2000年11月5日
|
ケベックシティ
|
ハード (室内)
|
ジェニファー・カプリアティ
|
6–4, 6–2
|
準優勝
|
9.
|
2002年5月25日
|
マドリード
|
クレー
|
モニカ・セレシュ
|
4–6, 2–6
|
優勝
|
4.
|
2002年6月22日
|
イーストボーン
|
芝
|
アナスタシア・ミスキナ
|
6–1, 6–3
|
優勝
|
5.
|
2002年8月11日
|
ロサンゼルス
|
ハード
|
リンゼイ・ダベンポート
|
5–7, 7–6, 6–3
|
優勝
|
6.
|
2003年5月24日
|
マドリード
|
クレー
|
マリア・サンチェス・ロレンツォ
|
6–4, 5–7, 6–4
|
優勝
|
7.
|
2003年6月21日
|
イーストボーン
|
芝
|
コンチタ・マルティネス
|
6–4, 3–6, 6–4
|
準優勝
|
10.
|
2003年9月14日
|
バリ
|
ハード
|
エレーナ・デメンチェワ
|
2–6, 1–6
|
準優勝
|
11.
|
2003年9月21日
|
上海
|
ハード
|
エレーナ・デメンチェワ
|
3–6, 6–7(6)
|
準優勝
|
12.
|
2003年10月26日
|
ルクセンブルク
|
ハード (室内)
|
キム・クライシュテルス
|
2–6, 5–7
|
ダブルス: 17回 (10勝7敗)
結果
|
No.
|
決勝日
|
大会
|
サーフェス
|
パートナー
|
対戦相手
|
スコア
|
優勝
|
1.
|
1993年9月26日
|
東京
|
ハード
|
リサ・レイモンド
|
アマンダ・クッツァー リンダ・ワイルド
|
6–4, 6–1
|
優勝
|
2.
|
1994年1月16日
|
ホバート
|
ハード
|
リンダ・ワイルド
|
ジェニー・バーン レイチェル・マッキラン
|
7–5, 4–6, 7–6
|
準優勝
|
1.
|
1994年11月6日
|
ケベックシティ
|
ハード (室内)
|
リンダ・ワイルド
|
エルナ・ライナッハ ナタリー・トージア
|
4–6, 3–6
|
優勝
|
3.
|
1995年5月14日
|
プラハ
|
クレー
|
リンダ・ワイルド
|
Maria Lindström Maria Strandlund
|
6–7, 6–3, 6–2
|
準優勝
|
2.
|
1995年10月8日
|
チューリッヒ
|
ハード (室内)
|
カロリネ・ビス
|
ニコル・アレント マノン・ボーラグラフ
|
4–6, 6(4)–7, 4–6
|
優勝
|
4.
|
1996年1月28日
|
全豪オープン
|
ハード
|
アランチャ・サンチェス・ビカリオ
|
リンゼイ・ダベンポート メアリー・ジョー・フェルナンデス
|
7–5, 2–6, 6–4
|
優勝
|
5.
|
1996年2月25日
|
オクラホマシティ
|
ハード (室内)
|
ブレンダ・シュルツ=マッカーシー
|
カトリナ・アダムス デビー・グラハム
|
6–4, 6–3
|
優勝
|
6.
|
1996年3月17日
|
インディアンウェルズ
|
ハード
|
ブレンダ・シュルツ=マッカーシー
|
ジュリー・アラール=デキュジス ナタリー・トージア
|
6–1, 6–4
|
優勝
|
7.
|
1996年4月14日
|
アメリアアイランド
|
クレー
|
アランチャ・サンチェス・ビカリオ
|
メレディス・マグラス ラリサ・ネーランド
|
6–1, 6–1
|
準優勝
|
3.
|
1997年9月21日
|
東京
|
ハード
|
ジュリー・アラール=デキュジス
|
モニカ・セレシュ 杉山愛
|
1–6, 0–6
|
準優勝
|
4.
|
1998年10月26日
|
ケベックシティ
|
ハード (室内)
|
サンドリーヌ・テスチュ
|
ロリ・マクニール キンバリー・ポー
|
7–6(3), 5–7, 4–6
|
準優勝
|
5.
|
1999年9月12日
|
全米オープン
|
ハード
|
サンドリーヌ・テスチュ
|
セリーナ・ウィリアムズ ビーナス・ウィリアムズ
|
6–4, 1–6, 4–6
|
優勝
|
8.
|
1999年10月10日
|
フィルダーシュタット
|
ハード (室内)
|
サンドリーヌ・テスチュ
|
ラリサ・ネーランド アランチャ・サンチェス・ビカリオ
|
6–3, 6–4
|
準優勝
|
6.
|
1999年11月14日
|
フィラデルフィア
|
カーペット (室内)
|
サンドリーヌ・テスチュ
|
リサ・レイモンド レネ・スタブス
|
1–6, 6–7(2)
|
優勝
|
9.
|
2000年7月30日
|
スタンフォード
|
ハード
|
サンドリーヌ・テスチュ
|
カーラ・ブラック エミー・フレージャー
|
6–4, 6–4
|
優勝
|
10.
|
2000年10月22日
|
リンツ
|
カーペット (室内)
|
アメリ・モレスモ
|
杉山愛 ナタリー・トージア
|
6–4, 6–4
|
準優勝
|
7.
|
2001年10月28日
|
リンツ
|
カーペット (室内)
|
エルス・カレンズ
|
エレナ・ドキッチ ナディア・ペトロワ
|
1–6, 4–6
|
4大大会シングルス成績
- 略語の説明
W
|
F
|
SF
|
QF
|
#R
|
RR
|
Q#
|
LQ
|
A
|
Z#
|
PO
|
G
|
S
|
B
|
NMS
|
P
|
NH
|
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
外部リンク
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