ブダペスト
Budapest
ブダペスト都 Budapest főváros
旗 紋章
愛称 : Heart of Europe, Queen of the Danube, Pearl of the Danube, Capital of Freedom, Capital of Spas and Thermal Baths, Capital of Festivals
座標:北緯47度29分33秒 東経19度03分05秒 / 北緯47.49250度 東経19.05139度 / 47.49250; 19.05139 座標 : 北緯47度29分33秒 東経19度03分05秒 / 北緯47.49250度 東経19.05139度 / 47.49250; 19.05139 国
ハンガリー 地域
中央ハンガリー 合併
1873年 11月17日 区
23区 政府 • 種別
首都 (自治体) • 首長
Gergely Karácsony 面積 • 首都
525.2 km2 • 都市
2,538 km2 • 都市圏
7,626 km2 標高
最低(ドナウ川)96 m 最高(ヤーノシュ山)527 m 人口 • 首都
1,752,286人 • 順位
1位(EU 域内9位) • 密度
3,388人/km2 • 都市部
2,997,958[ 4] 人 • 都市圏
3,011,598[ 3] 人 族称
Budapester, budapesti (Hungarian) 等時帯
UTC+1 (CET ) • 夏時間
UTC+2 (CEST ) 郵便番号
1011–1239
エリアコード
1 ISO 3166コード
HU-BU NUTSコード
HU101 HDI (2018)
0.901[ 9] – very high · 1st ウェブサイト
BudapestInfo Official Government Official ユネスコ世界遺産 登録名 Budapest, including the Banks of the Danube , the Buda Castle Quarter and Andrássy Avenue 登録区分 Cultural: ii, iv 参照 400 登録 1987年(第11回委員会 ) 拡張 2002 面積 473.3 ha 緩衝地帯 493.8 ha
ブダペスト /ブダペシュト (ハンガリー語 : Budapest ハンガリー語発音: [ˈbudɒpɛʃt] ( 音声ファイル ) は、ハンガリー の首都 で、同国最大の都市 [ 10] 。他県と同格の自治体 である。
「ブダペスト」という一つの自治体となりドナウ川 の両岸を占めるようになったのは、1873年 11月17日 に西岸のブダ ・オーブダ と東岸のペスト とが合併してからである[ 11] [ 12] 。
概要
ドナウ川 河畔に位置し、ハンガリーの政治、文化、商業、産業、交通の一大中心都市で[ 13] 、東・中央ヨーロッパ (en ) では最も大きな都市の1つ。しばしばハンガリーのプライメイトシティ とも表現される[ 14] 。
ブダペストの市域面積は525平方キロメートル (202.7 sq mi)[ 11] で、2011年 の国勢調査 によるブダペストの人口は174万人[ 15] 、ピークであった1989年 の210万人より減少している[ 16] 。これは、ブダペスト周辺部の郊外化 によるものである[ 17] 。ブダペスト都市圏(通勤圏)の人口は330万人である[ 18] [ 19] 。
ブダペストの歴史の始まりはローマ帝国 のアクインクム としてで、もともとはケルト人 の集落であった[ 20] [ 21] 。アクインクムは古代ローマ の低パンノニア属州 の首府となっている[ 20] 。マジャル人 がブダペスト周辺にやって来たのは[ 22] 9世紀 頃である。最初の集落は1241年 から1242年 にかけてモンゴル の襲来 (en ) により略奪された[ 23] 。15世紀 に[ 24] 町が再建されるとブダペストはルネサンス 期の人文主義者 文化の中心となった[ 25] 。続いてモハーチの戦い が起こり、オスマン帝国 による150年間の支配が続き[ 26] 、18世紀 、19世紀 に新しい時代に入ると町は発展し繁栄する。ブダペストは1873年にドナウ川を挟んだ都市の合併が行われると、世界都市 となる[ 27] 。また、1848年 から1918年 の第一次世界大戦 敗戦まで列強 に含まれたオーストリア=ハンガリー帝国 のウィーン に続く第二の首都であった。1920年 のトリアノン条約 によりハンガリーは国土の72%を失い、ハンガリーの文化や経済をブダペストがすべてを占めるようになった。ブダペストはその大きさや人口で圧倒的に優位に立ち、ハンガリーの他の都市を小さく見せていた[ 28] 。ブダペストはハンガリー革命 (1848年) や1919年 のハンガリー評議会共和国 、1944年 のパンツァーファウスト作戦 、1945年 のブダペスト包囲戦 、1956年 のハンガリー動乱 など数々の歴史的な舞台の場でもあった。
ブダペストはヨーロッパでも最も美しい街の一つで[ 10] [ 29] [ 30] 、ドナウ川河岸を含め世界遺産 が広がりブダ城 やアンドラーシ通り 、英雄広場 はよく知られている。ブダペスト地下鉄1号線 Millenniumi Földalatti Vasút はロンドン地下鉄 に次いで世界で2番目に古い地下鉄 である[ 29] [ 31] 。ブダペストの他のハイライトはセーチェーニ温泉 を含めた80の温泉 で[ 32] 世界でも最大の地下熱水系統がある[ 33] 。世界で3番目に大きなシナゴーグ であるドハーニ街シナゴーグ や国会議事堂 などもブダペストの見所である。ブダペストの観光客数は年間270万人に上り、ロンドン にある民間調査機関ユーロモニターによればブダペストは世界で37番目に旅行者が多い観光地であるとされている[ 34] 。
呼称
ブダペストの名称はドナウ川を挟んだブダとペシュト2つの町の名称を組み合わせたもので、1873年に町が合併され一つになって以来使われている。この際、古いブダを意味するオーブダも一緒に併合された。最初にブダペスト "Buda-Pest " の名が見出されたのは1831年 に自由主義貴族セーチェーニ・イシュトヴァーン が出した "Világ " という本である[ 35] 。ブダ "Buda " やペスト "Pest " の元の意味は不明瞭である。中世 からの年代記によればブダは創建者のブレダ から来ているとされ、この人物はフン族 の支配者アッティラ の兄である。ブダが人名から来ていることは現代の学者も支持している[ 36] 。他の説ではブダはスラヴ語 で水を意味する "вода , voda "から来ているというものもある。これはラテン語 のアクインクムでローマ時代のブダペスト名称で、ローマ人の主立った集落はこの地域にあった[ 37] 。また、ペストの名称についてもいくつかの説があり一つの説は[ 38] "Pest " はパンノニア 属州から来ているとするもので、その時以来あったこの地域のコントラ・アキンクムの森はプトレマイオス によりペッシオン ("Πέσσιον ", iii.7.§2) と言及されていた[ 39] 。他の説ではペストの元はスラヴ語で洞窟を意味する "пещера , peshtera " か炉を意味する "пещ , pesht " で洞窟で火を燃やしていたか、地元の石がまを言及している[ 40] 。古いハンガリーの言葉では似たような単語でかまや洞窟を意味し、古いドイツ語 ではこの地域はオーフェン "Ofen " という名で後にドイツ語でブダ側をオーフェン "Ofen " と言及している。
歴史
古代から19世紀まで
中世のブダ城
最初のブダペスト周辺の集落はケルト人により[ 20] 1世紀 に形成された。その後、ローマ人により占められるようになりローマの集落はアクインクム として106年 に[ 20] 低パンノニア (英語版 ) の[ 20] 中心都市となった。ローマ人は要塞 化された駐屯地に道路や円形劇場 、浴場 、床暖房 を備えた住居などを建設した[ 41] 。829年 の和平条約によりパンノニアはオムルタグ のブルガリアの軍が神聖ローマ帝国皇帝ルートヴィヒ1世 に勝利したことから版図に加えられた。ブダペストでは2つのブルガリアの軍境が生じブダとペストの2つの河岸には要塞があった[ 42] 。アールパード に率いられたハンガリーの人々 は9世紀になって今日のブダペスト周辺に定住し[ 22] [ 43] 、後に本格的にハンガリー王国 が創建された[ 22] 。研究ではおそらくアールパード朝 の初期の居城がブダペストになった場所の近くにあり中央主権的な力であったとされる[ 44] 。
タタール (モンゴル)による侵略が13世紀 に起こり、平原での防御は難しいことが直ぐに判明した[ 11] [ 22] 。ベーラ4世 は街を囲む石の城壁を補強するよう命じ[ 22] 、自らの王宮もブダの丘の一番上に据えた。1361年 にブダはハンガリー王国の首都になった[ 11] ブダの文化的な役割はマーチャーシュ1世 の時代、特に重要であった。ルネサンスは大きな影響を街に与えている[ 11] 。マーチャーシュの図書館であるコルヴィナ文庫 Bibliotheca Corviniana [ 11] はヨーロッパの歴史年代記、哲学 、15世紀 の科学など多数の蔵書があり、バチカン図書館 に次ぐ規模があった[ 11] 。後にハンガリーでは最初の大学がペーチに1367年 に設立され[ 45] 、1395年 に2つ目がオーブダに設立されている[ 45] 。1473年 に最初のハンガリー語で書かれた書物がブダで印刷された[ 46] 。1500年 頃のブダには約5,000人が住んでいたとされる[ 47] 。
オスマンのブダでの収奪は1526年 に起こり、1529年 には包囲され1541年 に完全に侵略された。オスマン帝国領ハンガリー の時代は140年以上にわたって続いた[ 11] 。トルコにより多くの優れた浴場施設が街には造られている[ 22] 。オスマン支配下では多くのキリスト教 徒はイスラム教 に改宗している。それまで多くを占めたキリスト教徒は数千まで減り、1647年 には70人を数えるまで減った[ 47] 。トルコに占領されなかった西側部分はハプスブルク君主国 の王領ハンガリー であった。
失敗に終わったブダ包囲の2年後の1686年 、一新された戦闘が始まりハンガリーの首都に入って行った。この時、欧州各地から集められた倍の勢力の神聖同盟の74,000の兵士や義勇兵、砲手、将校などのキリスト教勢力がブダやその後の数週間でティミショアラ 付近を除いて全ての以前のハンガリーの領土であった地域をトルコから奪い返し再征服した。1699年 、カルロヴィッツ条約 により領土が変わり正式に認められ、1718年 全てのハンガリー王国の領域はトルコ支配から除かれた。街は戦いの間破壊された[ 11] 。ハンガリーはハプスブルク帝国に併合されている[ 11] 。
19世紀、ハンガリー人は独立への闘争[ 11] と近代化が占めていた。ハプスブルクに対する反発が始まり、1848年 にはハンガリー革命 が起こるが1年後に破れている。
オーストリア=ハンガリー帝国により建てられたハンガリー国立歌劇場
1867年 のアウスグライヒ はオーストリア=ハンガリー帝国 の誕生をもたらした。
世界で2番目に地下鉄が建設されたブダペスト
1930年頃のブダ城
ブダペストは二重君主制の一方の首都となった。ブダペストの歴史の中で第一次世界大戦まで続く2番目に大きな街の開発に道を開いたのはこの歩み寄りによる。1873年、ブダとペストは公式に合併し古いブダであるオーブダも合併され新しい大都市ブダペストが誕生した。ペストは国の行政や政治、経済、交易、文化の中枢へと劇的に成長した。民族的にもマジャル人がドイツ人 を追い越したが、これは19世紀半ばにトランシルバニア やハンガリー大平原 からの大規模な流入人口による。1851年 から1910年 にかけマジャル人の割合は35.6%から85.9%に増加し、言語の面でもハンガリー語がドイツ語に代わり主要な言語になった。ユダヤ人人口のピークは1900年 で23.6%を占め[ 48] [ 49] [ 50] 、19世紀から20世紀 の変わり目にはユダヤ人 の大きなコミュニティが隆盛し、ブダペストはしばしば「ユダヤ人のメッカ」と呼ばれた[ 51] 。
20世紀から現代まで
1918年、オーストリア=ハンガリー帝国は戦争により解体され、ハンガリーはハンガリー王国 として独立を宣言した。1920年のトリアノン条約によって最終的にハンガリーは3分の2の領土を失い、マジャル人の人口も3,300万人から1,000万人と領土と同様に失っている[ 52] [ 53] 。
第二次世界大戦 でハンガリーは枢軸陣営として参加したが、 1944年 、離反を図ろうとしてナチス・ドイツ によるパンツァーファウスト作戦 により電撃的に国土を占領される。ナチスの後押しで政権に就いた矢十字党は、公然とユダヤ人の迫害を行い、20-40%に当たる250,000人のブダペスト大都市圏のユダヤ人人口はナチスと矢十字党 による1944年と1945年 初めの時期にホロコースト に遭い命を落とした[ 54] 。 スウェーデン の外交官ラウル・ワレンバーグ はブダペストの数万人のユダヤ人の生命をどうにかして救うためスウェーデンのパスポート を交付し領事の保護下に置く行動を起こした[ 55] 。
ドナウ川河岸の第二次世界大戦のユダヤ人記念物
東からドイツを撃退していたソビエト連邦 が1944年12月24日 から翌年の2月3日 にかけ、ブダペストを攻撃し、ブダペスト包囲戦 が行われた。ブダペストはこの戦闘により大きな損害を被っている。全ての橋はドイツ により破壊され、38,000人の市民がこの戦いにより命を落とした。また、大勢の市民がソ連軍による略奪・虐殺・婦女暴行の対象となった。
1949年 、ハンガリーは共産主義 体制の人民共和国として独立を宣言した。新しい共産主義政府はブダ城のような建物を前支配者のシンボルと考え、1950年代 に宮殿を破壊し全てのインテリアを壊している。1956年にブダペストでは平和的なデモによりハンガリー動乱が起こった。指導者層はデモを終息させようとしたが、大規模なデモは10月23日 に始まった。しかし、ソビエトの戦車 がブダペストに侵攻しデモ参加者を潰しにかかっている。戦いは11月初めまで続き、3,000人以上が死亡している。1960年代 から1980年代 後半までのハンガリーはよく東側諸国 からグヤーシュコミュニズム (英語版 ) (幸せなバラック)と呼ばれ都市の戦時中の被害は最終的に全て修復された。エリザベート橋 の再建は1964年 に完成している。1970年代 初期にはブダペスト地下鉄 の東西方向を結ぶ2号線 の最初の区間が開業し、3号線 が1982年に開業した。1987年 にブダ城とドナウ川沿いの建物を含めてユネスコ の世界遺産 に登録された。2002年 にはブダペスト地下鉄 (Millennium Underground Railway ) や英雄広場、都市公園 (Városliget ) を含めたアンドラーシ通り が世界遺産の登録リストに追加された。1980年代にブダペストの市域人口は210万人に達している。現在では市域人口は減少し、郊外部のペシュト県 への人口集中が進んでいる。
20世紀の最後の10年間の初めの1989年 から1990年 にかけては政治体制が大きく変わり、社会の体制も大きく変化し独裁者の記念物は公共の空間から倒された。新しい政治体制に変わってからの1990年から2010年 までの20年間、ブダペストの市長として街の開発や市政を担ったのはデムスキ・ガーボル (英語版 ) である。
地理
地勢
市域面積は525平方キロメートルでブダペストはハンガリーの中央部に位置し、周辺部はペシュト県 の市街のアグロメレーション(密集地)である。ブダペストは東西南北に25-29kmの範囲でそれぞれ広がり、ドナウ川は市街地の北側から入り込みオーブダ島 とマルギット島 の2つの島を回り込む。チェペル島 はブダペストのドナウ川にある島では最大であるが、市域に含まれるのは北端の部分だけである。ドナウ川は2つの部分に分けられ、ブダペストには川幅が僅か230mの箇所もある。ペストは平坦な地勢の場所にあり、ブダは丘がちな地勢である[ 11] 。ペストの地勢は僅かに東側に上りの傾斜があり市の最も東側の部分の標高はブダのよく知られた小さな丘であるゲッレールト丘 (Gellért) や城の丘と同じ程度である。ブダの丘は石灰岩 や苦灰岩 で主に構成され、水により二次生成物 が作られる。ブダペストで有名なものにはパルヴギ窟 (Pálvölgyi ) やセムルヘギ窟 (Szemlőhegyi ) がある。丘は三畳紀 に形成され、ブダペストで一番高い地点は海抜527mのヤーノシュ山である。一番低い地点はドナウ川の地点で海抜96mである。ブダの丘陵地の森林は環境保護が成されている。
SPOT によるブダペストの衛星写真
気候
ケッペンの気候区分 によると、ブダペストの気候 は温暖湿潤気候 (Cfa)に属する。
北緯47度 に位置するにもかかわらず、北大西洋海流 の影響により、冬季の気温が高い。低緯度である北緯35度 から北緯40度 に位置する飛騨地方 や長野県 、東北地方 内陸部よりも冬季の日平均気温と平均最低気温が高く、降雪 量も少ない。
ブダペストの気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
最高気温記録 °C (°F )
18.1 (64.6)
19.7 (67.5)
25.4 (77.7)
30.2 (86.4)
34.0 (93.2)
39.5 (103.1)
40.7 (105.3)
39.4 (102.9)
35.2 (95.4)
30.8 (87.4)
22.6 (72.7)
19.3 (66.7)
40.7 (105.3)
平均最高気温 °C (°F )
1.2 (34.2)
4.5 (40.1)
10.2 (50.4)
16.3 (61.3)
21.4 (70.5)
24.4 (75.9)
26.5 (79.7)
26.0 (78.8)
22.1 (71.8)
16.1 (61)
8.1 (46.6)
3.1 (37.6)
15.0 (59)
日平均気温 °C (°F )
−1.6 (29.1)
1.1 (34)
5.6 (42.1)
11.1 (52)
15.9 (60.6)
19.0 (66.2)
20.8 (69.4)
20.2 (68.4)
16.4 (61.5)
11.0 (51.8)
4.8 (40.6)
0.4 (32.7)
10.4 (50.7)
平均最低気温 °C (°F )
−4.0 (24.8)
−1.7 (28.9)
1.7 (35.1)
6.3 (43.3)
10.8 (51.4)
13.9 (57)
15.4 (59.7)
14.9 (58.8)
11.5 (52.7)
6.7 (44.1)
2.1 (35.8)
−1.8 (28.8)
6.3 (43.3)
最低気温記録 °C (°F )
−25.6 (−14.1)
−23.4 (−10.1)
−15.1 (4.8)
−4.6 (23.7)
−1.6 (29.1)
3.0 (37.4)
5.9 (42.6)
5.0 (41)
−3.1 (26.4)
−9.5 (14.9)
−16.4 (2.5)
−20.8 (−5.4)
−25.6 (−14.1)
降水量 mm (inch)
38.5 (1.516)
36.7 (1.445)
37.4 (1.472)
47.2 (1.858)
64.5 (2.539)
69.8 (2.748)
50.4 (1.984)
49.5 (1.949)
42.7 (1.681)
46.9 (1.846)
59.9 (2.358)
49.3 (1.941)
592.8 (23.339)
平均降水日数
7
6
6
6
8
8
7
6
5
5
7
7
78
平均月間日照時間
55
84
137
182
230
248
274
255
197
156
67
48
1,933
出典:www.met.hu[ 56]
経済
INGの建物
リヒター投資開発の建物
ブダペストは中央ヨーロッパ の金融の中心でもあり[ 57] 、マスターカード によるエマージング・マーケット (新興国市場)指標によると65都市中3位にランクされている他[ 58] 、エコノミスト・インテリジェンス・ユニット によるクオリティ・オブ・ライフ の指標では中・東ヨーロッパでは最も住むのに適した都市とされている
[ 59] 。フォーブス によればヨーロッパでは7番目に住むのにはのどかな場所とされ[ 60] 、UCityGuidesによれば世界で9番目に美しい街とされている[ 61] 。中・東ヨーロッパでは革新的な100都市の指標で最高のランクをブダペストは付けている[ 62] [ 63] 。
ブダペストには 欧州連合の機関である欧州工科大学院 (EIT) が本拠地を置いている。ブダペストは工業化 により世界都市となった。1910年には人口の45.2%が工場労働者であった。1960年代にはハンガリーはヨーロッパでも最大規模の工業都市の一つで60万人の工場労働者がいた。1920年代 から1970年代 にかけてハンガリーの工業出荷額の半数以上をブダペストが占め、金属加工 のFÉG や織物産業、自動車産業のIkarus Bus などは構造変化前のブダペストの産業の主要な部門を占めた[ 64] 。現在、ブダペストではすべての産業の分野が見られる。ブダペストの現在の主要な部門は通信技術、コンピュータアプリケーション、電機、白熱灯などの照明器具である。製薬業もブダペストにおいては重要で Egis 、Gedeon Richter Ltd. 、Chinoin などハンガリーの企業は知られている。テバファーマスーティカル・インダストリーズ もブダペストに部門を置いている。
工業は比較的郊外に立地しており、中心部はハンガリーテレコムやゼネラル・エレクトリック 、ボーダフォン 、Telenor 、オーストリア のエルステ銀行 、ハンガリーのCIB銀行、 K&H、ウニクレディト 、ブダペスト銀行、INGグループ 、エイゴン 、アリアンツ 、ボルボ 等々、国内外の様々な大手企業が立地している。ブダペストはサービス、金融、コンサルティング、金融取引、商業、不動産など第三次産業の中心地である。取引やロジスティクスはよく発達し、観光や飲食業界も進んでおり市内には数千のレストランやバー、カフェ、パーティー施設が立地する。
観光
国会議事堂 はネオ・ゴシック の建築様式で、聖イシュトヴァーンの王冠 や剣、宝石、王笏など代々ハンガリー王が受け継いで来た戴冠用の品も展示されている。聖イシュトバーン大聖堂 にはイシュトヴァーン1世 の右手が、聖遺物として残されている。ハンガリー料理 やカフェ文化は Gerbeaud Café 、Százéves 、Biarritz 、Arany Szarvas 、世界的に有名な Mátyás Pince などが代表的である。アクインクム博物館 にはローマ時代の遺構が残されており、歴史的な家具が ナジテーテーニ城博物館に残されている。ブダペストには200以上の博物館がある。
ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り は世界遺産に登録されている。王宮の丘には3つの教会と6つの博物館、興味を惹く様々な建物、通りや広場がある。王宮はハンガリーを象徴するもので、13世紀以来戦いの舞台であった。今日では2つの印象的な博物館や国立セーチェーニ図書館 がある。シャンドール宮殿にはハンガリー大統領の執務室や官邸が含まれている。700年の歴史があるマーチャーシュ聖堂 はブダペストでも貴重なものの一つで、その隣にある乗馬の彫像はハンガリーの初代国王で漁夫の砦からは市街地のパノラマを一望することができる。トゥルルの像はハンガリーの神話の守護鳥で王宮地区と12区で見ることができる。
聖イシュトヴァーンの王冠
ブダ王宮
ペスト側で最も重要な見所はアンドラーシ通りでコダーイ・コロンドとオクトゴンの間には多くのショップやフラットな建物が林立している。英雄広場 と通りの間は庭園により分けられている。また、アンドラーシ通りの下には欧州大陸では初の地下鉄が通っておりほとんどの駅は開業当時の姿を保っている。ブダペストにはヨーロッパでは最大規模のシナゴーグがある[ 65] 。ブダペスト市内にはユダヤ人地区のいくつかにそれぞれシナゴーグが置かれている。2010年にブダペストでは世界最大のパノラマ写真が撮られた[ 66] 。
世界遺産
世界遺産登録対象に含まれる主要建造物群は以下の通りである。
その他の名所
温泉
ブダペストに温泉がある理由の一つに古代ローマが最初にこの地域を植民化しドナウ川の直ぐ西側に地域の首府となるアクインクム(現代のブダペスト北部のオーブダ)を創建したことに遡る。ローマ人たちは熱水を利用し、享受しており当時巨大な浴場を建設していた。現代でもその遺構を見ることができる。新しい浴場は1541年 -1686年 のオスマン帝国支配期に入浴と医療的な目的で建設され、今日でも利用されている。ブダペストは「スパの街」という定評を受けており、1920年代 に最初の温泉による訪問客による経済的な恩恵を達成した。1934年 には正式にブダペストは「スパの街」の地位を占めるようになった。今日、温泉はほとんどが年配者によく利用され「マジックバス」と "Cinetrip " を除いて若い人たちは夏に開かれる lidos を好む。キラーイ温泉 (Király ) は1565年 に創建され、現代の建物はほとんどがトルコ支配期に遡り、ドーム状の屋根のプールも含まれる。ルダシュ温泉 は中心部にあり、ゲッレールト丘とドナウ川の狭い場所に位置し、トルコ支配期に遡る建物が目立つ。主な特徴は八角形のプールで、光輝く直径10mのドーム状屋根を8本の柱が支えている。
ゲッレールト温泉とホテルゲッレールトは1918年に建てられかつてはトルコの温泉と中世期の病院がこの地にあった。1927年 に浴場が拡張され、その中には波のプールが含まれ1934年 には発泡風呂が加えられた。新古典主義 の特徴がよく残され、色鮮やかなモザイクや大理石 の柱、ステンドグラス の窓、彫像が含まれる。ルーカチュ温泉 (Lukács ) もまたブダにあり、トルコの温泉を元とし唯一19世紀後半に復活した温泉である。スパと医療施設が設立されている。19世紀末の退廃的な雰囲気 (fin-de-siècle ) が今でも残されている。1950年代以来、芸術家や知識人の中心と見なされている。
セーチェニ温泉はヨーロッパでも最大規模の複合温泉施設の一つで、ペスト側では唯一設けられた古い医療用の温泉である。内部の医療用温泉は1913年 に遡り、屋外のプールは1927年に遡る。雄大な雰囲気があり、すべての場所は明るく巨大なプールはローマ風呂のようで小規模な浴場はギリシャ の風呂文化を思い出させ、サウナ と飛び込み用のプールは伝統的なスカンジナビアの発散する方法を借りてきている。屋外の3つのプールは冬季を含め年間を通して開いている。屋内のプールは10以上に分かれており、医療用に利用できる。
統計
1870-2008年のブダペストの人口推移 赤線はブダペスト都市圏、緑線はブダペスト市域、青線はブダペスト郊外域
人口推移 年 人口 ±% 1873 296,867 — 1880 370,767 +24.9% 1890 506,384 +36.6% 1900 733,358 +44.8% 1910 880,371 +20.0% 1920 928,996 +5.5% 1930 1,006,184 +8.3% 1941 1,164,963 +15.8% 1945 832,800 −28.5% 1947 1,073,444 +28.9% 1873–1949(旧ブダペスト市域)
人口推移 年 人口 ±% 1950 1,629,000 — 1956 1,848,000 +13.4% 1958 1,764,000 −4.5% 1960 1,804,606 +2.3% 1970 2,001,083 +10.9% 1980 2,059,226 +2.9% 1990 2,016,681 −2.1% 2001 1,777,921 −11.8% 2005 1,695,814 −4.6% 2011 1,737,000 +2.4% 1950-現在まで (周辺自治体と合併後のブダペスト市域、大ブダペスト (英語版 ) )
民族
民族
人口
%割合
マジャル人
1,631,043
91.2
ドイツ人
18,097
1
ロマ
14,019
~0.8
スロバキア人
4,929
~0.3
その他
16,762
~0.9
無回答、不明
3,071
5.2
合計[ 68]
1,777,921
100
[ 69]
ハンガリー中央統計局(KSH)の報告では、ブダペストの人口に占めるロマの割合は1990年の2%から2009年 には4.6%に増加している。これは中産階級のハンガリー人が郊外に転居したことによる[ 17] [ 70] 。ハンガリーの人口に占める外国人の割合は2009年には1.7%のみで、そのうち43%はブダペストに居住し市域人口の4.4%を占めている。ハンガリーに住む3分の2近くの外国人は40歳以下で、ハンガリーに居住しているこの年代の主な目的は雇用である。
宗教
宗派
人口
%割合
キリスト教
1,128,502
63.5
カトリック教会
808,460
45.5
カルヴァン主義
224,169
12.6
ルーテル教会
46,449
2.6
東方カトリック教会
28,901
1.6
その他
20,523
1.2
キリスト教以外
15,439
~0.9
ユダヤ教
9,468
~0.5
その他
5,971
~0.3
宗派なし
347,209
19.5
不明、無記入
286,584
16.1
合計
1,777,921
100
[ 71]
行政区画
ブダペストの行政区画
ブダペストはローマ数字が振られた23の行政区に分けられている。ブダペストはいずれの県にも属さない県と同格の自治体である。正式名称 Budapest főváros (ブダペスト首都)から「ブダペスト都」とも訳せる。
交通
ブダペストの市内公共交通機関は、BKV (ブダペスト交通公社)によって一元的に運行されている。ロンドンに次ぎ世界で2番目に営業を開始した地下鉄であるブダペスト地下鉄 や、ブダペスト市電 、トロリーバス を運行している。4号線および6号線のトラムは、トラム路線として世界一の利用者数で、54mの車両編成は世界最長でもある。旅行者向けの乗車券であるブダペストカードを購入した場合、有効期間(24時間から120時間まで数種類)内であれば、地下鉄・市電・トロリーバスに加えて、バス・郊外電車線を含めた市内公共交通が乗り放題となり、博物館・美術館・温泉などの割引特典も付く。
ハンガリー国鉄 (MÁV) は、市内の主要3駅からハンガリー国内や欧州各地に列車を走らせている。
郊外電車は、HÉV により運行されている。他には、ブダペスト子供鉄道 、王宮に上るケーブルカー (funicular) なども有名である。
ドナウ川を利用しブラチスラヴァ 経由でウイーン 行きの国際航路もMAHART Passnave により運行されている。船着場から市の中心部へは徒歩10分ほど。
文化
ハンガリー国立オペラハウス
ハンガリー科学アカデミー
パンノニア平原 の伝統的な踊りはヨーロッパのダンス文化の中でも類のないもので、バルカン半島と西ヨーロッパ地域の間の独特な境目をなしている。いくつかの正統派のハンガリーの民族舞踊がブダペストで公演されている。ブダペストは世界でも数少ない高校で民族舞踊の授業が行われている都市である。市内には837の様々な歴史的な建造物があり、それらのほとんどはヨーロッパの芸術的な様式を象徴している。クラシカルで類のないハンガリアンアールヌーボーの建築物が占めている。
ブダペストには223の博物館や美術館があり、ハンガリーの歴史や芸術、科学だけでなく世界や欧州の文化や科学の記憶となっている。ハンガリー国立博物館 、ハンガリー国立美術館 、ブダペスト西洋美術館 、ブダペスト歴史博物館、メメント・パーク 、ブダペスト応用美術館 は代表的なものである。また、ブダペストには40以上の劇場や7つのコンサートホール、オペラハウスがある。野外の催し物も多くあり、夏には文化的な催しとしてコンサートや豊富な講演がよく歴史的な建物で行われる。大きな劇場として、ハンガリー国立歌劇場 やハンガリー国立劇場 (英語版 ) などがある。ブダペストの多くの図書館には他にない独特なコレクションを収蔵しており、国立セーチェーニ図書館 は印刷された書籍が登場する以前の歴史的な遺構を保っている。メトロポリタンサボーアービン図書館 (英語版 ) はブダペスト市民の一般教養に重要な役割を果たしている。他の図書館にはハンガリー科学アカデミー図書館、議会図書館、国立外国文学図書館などがある。
シゲトフェスティバル (英語版 ) はハンガリーでは最大の野外祭典でロックコンサートやDJショーが行われヨーロッパ中でも同様に有名である。春や秋の祭典、ブダペストワイン祭などもよく知られた催しである。ブダペストを訪れた観光客は無料の地図や自分の興味がある情報をBTDMが運営するインフォポイントで得ることができる[ 72] 。
ブダペストを舞台にした作品
1906年に出された小説『ポール・ストリート・ボーイズ (英語版 ) 』、1937年の『Journey by Moonlight (en ) 』、1957年の『The Bridge at Andau (en ) 』、2005年の『ヒストリアン 』などの舞台になっている。映画では『暗い日曜日 』、『太陽の雫 』、『お気に召す儘 』、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル 』が知られている。ブダペストは映画製作に対する税還付制度があるほか、美しい街並みだけでなく、ブダペスト民族博物館 、リスト・フェレンツ国際空港 の閉鎖ターミナル、元証券取引所だったハンガリー・テレビ 社屋といった独特の建造物や優れた撮影スタジオも多数あることから撮影場所として好まれ、『レッドブル 』、『ブレードランナー 2049 』、『エビータ 』、『裏切りのサーカス 』、『インフェルノ 』、『スペクトル 』、『ターミネーター:ニュー・フェイト 』といった数多くの映画の撮影地となっている[ 73] 。
教育
ブダペストはハンガリーの学術の中心で多くの大学や教育機関が立地する。代表的なものの中には以下のような機関が含まれる。
スポーツ
ヴァーロシュリゲットとマルギット島 は都市の中で緑地が広がる申し分のない場所である。ヴァーロシュリゲットでは冬には大きな人造湖が凍結しスケートが楽しめ人造湖上のリンクとしては世界最大規模である。マルギット島は幅広いスポーツを楽しむことができ、サイクリングや水泳、テニスなどがある。アルフレッド・ハイオシュスイミングセンターでは2006年と2010年にヨーロッパ水泳選手権 が開催された。2011年にはアイスホッケー世界選手権 が2012年には欧州クロスカントリーチャンピオンシップも開催された。UEFA EURO 2020 が開催された多目的スタジアムプスカシュ・アレーナ は、ブダペスト出身のサッカー選手でレアル・マドリードでもプレーしたプシュカーシュ・フェレンツ に因んで命名された。ブダペストにはバンディ もある。2007年には女子のワールドチャンピオンシップも開催され[ 74] 、2004年にはバンディ世界チャンピオンシップBグループも行われている[ 75] 。ブダペスト郊外のハンガロリンク ではフォーミュラ1 のハンガリーグランプリ が1986年以来開催されている。2023年には世界陸上競技選手権大会 が開催された。
ブダペスト出身の人物
国際関係
姉妹都市
ブダペストは以下の都市と姉妹都市の関係にある[ 76] [ 77] [ 78] 。
協力都市
ギャラリー
国会議事堂
マーチャーシュ聖堂
セーチェーニ鎖橋
英雄広場
聖イシュトバーン大聖堂
聖エルジェーベト教会
漁夫の砦
ゲッレールトの丘
美術館
三位一体広場
ゲッレールトの丘から望むブダペストの夜景
脚注
^ “The Municipality of Budapest (official) ” (11 September 2014). 11 September 2014 閲覧。
^ "Budapest" . Encyclopædia Britannica . 11 September 2014. 2014年9月11日閲覧 。
^ “Metropolitan Area Populations ”. Eurostat (21 October 2019). 18 November 2019 閲覧。
^ “Functional Urban Areas – Population on 1 January by age groups and sex – 2019 ”. Eurostat (2020年). 18 November 2019 閲覧。
^ “Best view in Budapest from the city's highest hilltop ”. stay.com – Budapest (11 September 2014). 23 June 2010時点のオリジナル よりアーカイブ。11 September 2014 閲覧。
^ “Gazetteer of Hungary, Hungarian Central Statistical Office, 2012 ”. 2 October 2013 閲覧。
^ “Budapest City Review ”. Euromonitor International (December 2017). 8 May 2014 閲覧。
^ “Population by type of settlement – annually ”. Hungarian Central Statistical Office (12 April 2016). 12 April 2016 閲覧。
^ https://globaldatalab.org/shdi/shdi/HUN/?interpolation=0&extrapolation=0&nearest_real=0&years=2018
^ a b Bachmann, Helena (2002年3月18日). “Beauty and the Feast” . Time . http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,901020325-218419,00.html 2008年5月22日 閲覧。
^ a b c d e f g h i j k l Török, András. "Budapest" . Encarta . 2009年10月31日時点のオリジナル よりアーカイブ。2008年4月6日閲覧 。
^ Molnar, A Concise History of Hungary, Chronology pp. 15.
^ "Budapest" . Encyclopædia Britannica . Encyclopædia Britannica, Inc. 2008. 2008年1月30日閲覧 。
^ Tuna Tasan-Kok: Budapest, Istanbul and Warsaw: Institutional and spatial change, p.41
^ “2011 Hungarian Census ”. Hungary Central Statistical Office (2012年3月27日). 2012年3月27日 閲覧。
^ “Interactive population pyramids of Budapest (1980-2010) ”. Hungary Central Statistical Office . 2011年5月10日 閲覧。
^ a b “Dövényi Zoltán-Kovács Zoltán: A szuburbanizáció térbeni-társadalmi jellemzői Budapest környékén (Spatial and societal parameters of the suburbanization in Budapest) ”. Földrajzi Értesítő (Geographical Report) . 2011年8月29日 閲覧。
^ History of the Budapest Commuter Association (English)) Archived 2008年10月14日, at the Wayback Machine .
^ Settlements of the Budapest Commuter Area (Hungarian) Archived 2006年11月25日, at the Wayback Machine .
^ a b c d e "Aquincum" . Encyclopædia Britannica . Encyclopædia Britannica, Inc. 2008. 2008年5月22日閲覧 。
^ Sugar, Peter F.; Péter Hanák, Tibor Frank (1990). “Hungary before the Hungarian Conquest” . A History of Hungary . Indiana University Press . p. 3. ISBN 0-253-20867-X . https://books.google.co.jp/books?id=SKwmGQCT0MAC&printsec=frontcover&redir_esc=y&hl=ja 2008年5月19日 閲覧。
^ a b c d e f “Budapest ”. Travel Channel . 2008年10月9日時点のオリジナル よりアーカイブ。2008年5月22日 閲覧。
^ “Budapest ”. 1911 Encyclopædia Britannica Eleventh Edition . 2008年1月30日 閲覧。
^ Casmir, Fred L. (1995). “Hungarian culture in communication” . Communication in Eastern Europe: The Role of History, Culture, and media in contemporary conflicts . Lawrence Erlbaum Associates. p. 122. ISBN 0-8058-1625-9 . https://books.google.com/?id=be2UW6NyposC&pg=PA115 2008年5月21日 閲覧。
^ Drake, Miriam A. (2003). "Eastern Europe, England and Spain" . Encyclopedia of Library and Information Science . CRC Press . p. 2498. ISBN 0-8247-2080-6 . 2008年5月22日閲覧 。
^ Molnar, A Concise History of Hungary, Chronology pp. 15
^ Beaverstock, J. V.; R. J. Smith, P. J. Taylor (1999). A Roster of World Cities . ラフバラー大学 . http://www.lboro.ac.uk/gawc/rb/rb5.html 2008年5月22日 閲覧。 .
^ http://www.history.com/topics/hungary
^ a b “Nomination of the banks of the Danube and the district of the Buda Castle ”. International Council on Monuments and Sites . 2008年1月31日 閲覧。
^ Lyman, Rick (2006年10月3日). “Budapest Is Stealing Some of Prague’s Spotlight” . The New York Times . http://travel.nytimes.com/2006/09/03/travel/03journey.html 2008年1月29日 閲覧。
^ “World Heritage Committee Inscribes 9 New Sites on the World Heritage List ”. Unesco World Heritage Centre . 2008年1月31日 閲覧。
^ “Hungary's, Budapest's and Balaton's Guide: Budapest's spas: Gellért, Király, Rác, Ru..'l'; l;lldas, Széchenyi, Lukács]”. Guideviaggi.net. 2008年9月28日時点のオリジナル よりアーカイブ。2009年7月7日 閲覧。
^ Published: 10:25AM Wednesday November 19, 2008 (2008年11月19日). “Big underground thermal lake unveiled in Budapest, Hungary | WORLD News ”. Tvnz.co.nz. 2009年11月27日時点のオリジナル よりアーカイブ。2009年7月7日 閲覧。
^ “Euromonitor International’s top city destinations ranking ”. Euromonitor . 2011年2月23日 閲覧。
^ Bácskai Vera: Széchenyi tervei Pest-Buda felemelésére és szépítésére Archived 2009年6月15日, at the Wayback Machine .
^ Kiss Lajos: Földrajzi nevek etimológiai szótára. Budapest: Akadémiai. 1978. 131–132.
^ Györffy György, Pest-Buda kialakulása: Budapest története a honfoglalástól az Árpád-kor végi székvárossá alakulásig, Budapest, Akadémiai, 1997, 242.
^ Gudmund Schütte, Ptolemy's Maps of Northern Europe (The Royal Danish Geographical Society: Copenhagen, 1917). p. 101
^ William Smith (ed.), A Dictionary of Greek and Roman Geography (London : I.B. Tauris, 2006) [Facsim. of ed. published: London : John Murray, 1872.]
^ Adrian Room (2006). Placenames of the World . McFarland & Company . p. 70. https://books.google.co.jp/books?id=M1JIPAN-eJ4C&redir_esc=y&hl=ja
^ Sugar, Peter F. (1990). “Hungary before the Hungarian Conquest” . A History of Hungary . Indiana University Press. p. 5. ISBN 978-0-253-20867-5 . https://books.google.co.jp/books?id=SKwmGQCT0MAC&pg=PR9&dq=The+Romans+roads,+amphitheaters+Aquincum+%C3%93buda&redir_esc=y&hl=ja 2008年6月3日 閲覧。
^ B. Dimitrov, Bulgarians- Civilizers of the slavs, p.48
^ Molnar, A Concise History of Hungary, Chronology pp. 12
^ Molnar, A Concise History of Hungary, p. 14
^ a b Sugar, Peter F. (1990). “The Angevine State” . A History of Hungary . Indiana University Press. p. 48. ISBN 978-0-253-20867-5 . https://books.google.co.jp/books?id=SKwmGQCT0MAC&pg=PR9&dq=Hungarian+university+1395+Buda&redir_esc=y&hl=ja 2008年6月3日 閲覧。
^ Mona, Ilona (1974). “Hungarian Music Publication 1774–1867”. Studia Musicologica Academiae Scientiarum Hungaricae (Akadémiai Kiadó) 16 (1/4): 261–275. doi :10.2307/901850 . JSTOR 901850 .
^ a b Southeastern Europe under Ottoman rule, 1354-1804, Peter F. Sugar, page 88
^ Budapest statisztikai évkönyve 1943 (Statistical Yearbook of Budapest, 1943), p. 33, Hungarian Central Statistical Office
^ Budapest székes főváros Statisztikai és Közigazgatási Évkönyve 1921-1924 (Statistical Yearbook of Budapest, 1921-1924), p. 38, Hungarian Central Statistical Office
^ Budapest statisztikai évkönyve 1944-1946 (Statistical Yearbook of Budapest, 1944-1946), p. 12, Hungarian Central Statistical Office
^ Encyclopædia Britannica 1911, Budapest article
^ Macartney, C.A. (1937). Hungary and her successors - The Treaty of Trianon and Its Consequences 1919–1937 . Oxford University Press
^ Bernstein, Richard (2003年8月9日). “East on the Danube: Hungary's Tragic Century” . The New York Times . https://www.nytimes.com/2003/08/09/world/east-on-the-danube-hungary-s-tragic-century.html 2008年3月15日 閲覧。
^ “Budapest ”. United States Holocaust Memorial Museum . 2007年7月18日 閲覧。
^ "Raoul Wallenberg ". Jewish Virtual Library .
^ “Monthly Averages for Budapest, Hungary (based on data from 1901–2010) ”. Hungarian Meteorological Service . 2010年6月4日 閲覧。 [リンク切れ ]
^ “Doing Business : Budapest, the soul of Central Europe ”. International Herald Tribune (2004年8月4日). 2008年1月29日 閲覧。
^ “New MasterCard Research Ranks 65 Cities in Emerging Markets Poised to Drive Long-Term Global Economic Growth | MasterCard ”. MasterCard.com (2008年10月22日). 2009年7月7日 閲覧。
^ “Gazdaság: EIU: Budapest, London és New York között a legjobban élhető városok listáján ”. HVG.hu (1970年1月1日). 2011年9月15日 閲覧。
^ Beckett, Edward; Olson, Parmy. “In Pictures: Europe's Most Idyllic Places To Live” . Forbes . http://www.forbes.com/2008/11/18/europe-homes-dollar-forbeslife-cx_po_1118realestate_slide_5.html
^ http://www.ucityguides.com/cities/top-10-most-beautiful-cities.html
^ “Innovation Cities™ Top 100 Index » Innovation Cities Index & Program – City data training events from 2THINKNOW for USA Canada America Europe Asia Mid-East Australia ”. Innovation-cities.com (2010年9月1日). 2011年9月15日 閲覧。
^ “CEE City Ranking puts capitals under the spotlight | Local and regional publications | Publications | Home | Strategy Consultants ”. 2011年9月15日 閲覧。
^ Gábor Preisich: Budapest városépítésének története, Műszaki Könyvkiadó, Budapest, 1998, ISBN 963-16-1467-0 , p. 13, p. 77
^ Kulish, Nicholas (2007年12月30日). “Out of Darkness, New Life” . The New York Times . http://travel.nytimes.com/2007/12/30/travel/30dayout.html?scp=1&sq=largest+synagogue+in+Europe&st=nyt 2008年3月12日 閲覧。
^ “The largest photo on Earth - created by 360world.eu ”. 70 Billion Pixels Budapest. 2011年9月15日 閲覧。
^ Budapest Whale (Bálna)-CET Building Budapest by Locals
^ Note: Summary population and percent is more than the "total" due to dual self-determination.
^ “Population by nationalities ”. Hungarian Central Statistical Office (2001年). 2008年5月30日 閲覧。
^ “Budapest's population is increasing (Növekszik Budapest népessége) ”. Index.hu (2010年). 2010年3月30日 閲覧。
^ “Population by religions, denominations ”. Hungarian Central Statistical Office (2001年). 2008年5月30日 閲覧。
^ http://budapestinfo.hu/home_en.html
^ Why This City Is the Hollywood of Europe Architectural Digest, Conde Naste, December 6, 2017
^ 2007 Woman Bandy World Championships (2011年7月21日時点のアーカイブ )
^ “アーカイブされたコピー ”. 2015年9月23日時点のオリジナル よりアーカイブ。2016年11月25日 閲覧。
^ “Sister City - Budapest ”. Official website of New York City . 2008年4月21日時点のオリジナル よりアーカイブ。2008年5月14日 閲覧。
^ “Sister cities of Budapest ” (Hungarian). Official Website of Budapest . 2005年3月9日時点のオリジナル よりアーカイブ。2008年1月31日 閲覧。
^ “Who knows less about Budapest? A quiz with mayor candidates ” (Hungarian). Index . 2008年1月31日 閲覧。
^ “Sister Cities ”. Beijing Municipal Government. 2009年6月23日 閲覧。
^ “Intercity and International Cooperation of the City of Zagreb ”. © 2006–2009 City of Zagreb. 2009年6月23日 閲覧。
^ “Berlin's international city relations ”. Berlin Mayor's Office. 2008年8月22日時点のオリジナル よりアーカイブ。2009年7月1日 閲覧。
^ Anjaiah, Veeramalla (2009年7月13日). “Hungarian envoy builds new links with RI” (英語). The Jakarta Post. オリジナル の2009年7月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090719190738/http://www.thejakartapost.com/news/2009/07/13/hungarian-envoy-builds-new-links-with-ri.html 2019年1月4日 閲覧。
^ “Tel Aviv sister cities ” (Hebrew). Tel Aviv-Yafo Municipality. 2009年2月14日時点のオリジナル よりアーカイブ。2009年7月1日 閲覧。
^ “Hízelgő a magyar fővárosnak: Firenze testvérvárosának fogadta ” (Hungarian). Népszabadság . Ringier (2008年5月17日). 2008年5月30日 閲覧。
^ “Miasta partnerskie Warszawy ”. um.warszawa.pl . Biuro Promocji Miasta (2005年5月4日). 2007年10月11日時点のオリジナル よりアーカイブ。2008年8月29日 閲覧。
^ “Partnership towns of the City of Košice ” (Slovak). © 2007-2009 City of Košice Magistrát mesta Košice, Tr. SNP 48/A, 040 11 Košice. 2009年8月17日時点のオリジナル よりアーカイブ。2009年7月12日 閲覧。
^ Daejeon.kr (2005年4月9日時点のアーカイブ )
^ http://www.city-adm.lviv.ua/index/cities-partners
^ “Fort Worth Sister Cities ”. fwsistercities.org . 17 February 2010 閲覧。
^ “NYC's Sister Cities ”. Sister City Program of the City of New York (2006年). 2008年9月1日 閲覧。
^ “Kraków otwarty na świat ”. www.krakow.pl. 2009年7月19日 閲覧。
関連文献
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ブダペスト に関連する
メディア および
カテゴリ があります。
公式
日本政府
観光
その他
初期加盟国 第一次拡張 (1973) 第二次拡張 (1981) 第三次拡張 (1986) 第四次拡張 (1995) 第五次拡張 (2004) 第六次拡張 (2007) 第七次拡張 (2013)