ヘタフェCF(Getafe Club de Fútbol S.A.D.)は、スペインのマドリード州ヘタフェに本拠地を置くサッカークラブ。プリメーラ・ディビシオンに所属している。
概要
1946年に設立され、1983年に再設立された。2004-05シーズンにプリメーラ・ディビシオン(1部)に初参戦した。2011年4月25日、クラブはドバイにあるロイヤル・エミレーツ・グループに7000万ユーロから9000万ユーロで買収された[1][2]。
ヘタフェにあるコリセウムを本拠地として使用している。このスタジアムは1998年に開場した当時、地元出身(ただし当チームに在籍したことはない)の著名なサッカー選手アルフォンソ・ペレスの名を冠して「コリセウム・アルフォンソ・ペレス」と呼ばれていた。しかしペレスが女子サッカーに対して性差別的な発言をしたことが問題視され、2023年にスタジアム名からペレスの名前が削除されて「コリセウム」に改称された[3][4]。。
コリセウムの完成以前は、ラス・マルガリータス・スポーツ公園(Sports City of Las Margaritas)にあるエスタディオ・デ・ラス・マルガリータスを本拠地として使用していた。
同じマドリード自治州の両名門クラブレアル・マドリード、アトレティコ・マドリードとの関係は比較的良好。そのためレアル・マドリード、アトレティコ・マドリードから若手選手をレンタルで獲得することも多い。またバレンシアCFとも密接な繋がりがあり、ヘタフェCFで実績を挙げたキケ・サンチェス・フローレス監督や2021年にはホセ・ボルダラスがバレンシアCFに引き抜かれたり、バレンシアCFの若手有望選手をレンタルで獲得したりと交流が深い。なお、アンヘル・トーレス会長は熱心なマドリディスタ(レアル・マドリードのファン)である。
歴史
クルブ・ヘタフェ・デポルティーボ
創設
1945年、ヘタフェ在住のエンリケ・コンデス・ガルシア、アウレリオ・ミランダ・オラバリア、アントニオ・コリドール・ロサーノ、マヌエル・セラーノ・ベルガラ、ミゲル・クベロ・フランセスの5人がラ・マルケシーナ(La Marquesina)というバルに集い、ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルの設立を決めた。公式には1946年2月24日に設立され、クルブ・ヘタフェ・デポルティーボと名づけられた[5]。創設当初はゴールポストさえないカンポ・デル・レヒミエント・デ・アルティジェリアというグラウンドでプレーしていたが、すぐにサン・イシドロにある市営サン・イシドロ・スポーツセンターに移った。1956-57シーズン、CPビジャロベレードに勝利してテルセーラ・ディビシオン(当時3部)昇格を決めた。1957-58シーズンにはセグンダ・ディビシオン(2部)昇格に近づいたが、CDアルメリアに敗れて昇格を逃した[6]。1969-70シーズンにはテルセーラ・ディビシオンへの昇格を決め、1970年9月2日に自前のスタジアムの落成試合を行った。フランシスコ・バラ会長が見守る中、ヘタフェは3-1でミチェリンに勝利した。1970-71シーズンはテルセーラ・ディビシオン残留を果たし、6年後にクラブ初のセグンダ・ディビシオン昇格を決めた[7]。
セグンダ・ディビシオン昇格
クルブ・ヘタフェ・デポルティーボは6シーズンの間セグンダ・ディビシオンでプレーし、いくらかの成功を収めたが、6シーズンとも10位以下であった。1978年にはコパ・デル・レイのラウンド16でFCバルセロナと対戦し、ホームで行われたファーストレグではスター選手が揃うFCバルセロナ相手に3-3と引き分けたが、カンプ・ノウで行われたセカンドレグでは0-8と粉砕された。1981-82シーズン終盤には選手への給料が支払われず、自動降格処分が下され、クラブは破産に追い込まれた。この一方で、1976年9月1日にはナショナル・スポーツ・カウンシルに新クラブが設立され、カスティージャ地方連盟に所属した。このクラブはペーニャ・マドリディスタ・ヘタフェ(レアル・マドリードのサポーターによるヘタフェ)として4シーズン、クルブ・デポルティーボ・ペーニャ・ヘタフェとして2シーズンプレーした。1982年7月10日、クルブ・デポルティーボ・ペーニャ・ヘタフェはより古くから存在するクルブ・ヘタフェ・プロメサスと統合し、再びカスティージャ地方連盟に登録した[8]。
ヘタフェ・クルブ・デ・フトボル
再設立
1982年に合併したクラブを基にし、1983年7月8日、ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルが公式に設立された[8]。1983-84シーズンの地域リーグに登録してチームが始動し、4シーズン連続で昇格を決めて1987年にはセグンダ・ディビシオンB(3部)に到達した。1993-94シーズンにはセグンダ・ディビシオンで2位となってセグンダ・ディビシオンに昇格したが、2シーズンとも下位に低迷してセグンダ・ディビシオンBに舞い戻った[9]。1997年にはテルセーラ・ディビシオン降格の危機が訪れたが、昇降格プレーオフでSDウエスカに勝利して降格を免れた。1998年1月1日にはコリセウム・アルフォンソ・ペレスが落成した[10]。1990年代後半から2000年代前半にはセグンダ・ディビシオンとセグンダ・ディビシオンBを行き来するエレベータークラブであったが、2003-04シーズンはシーズンの大半を順位表の最上位で過ごした。CDテネリフェに勝利することでプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格が決まる最終節はセルヒオ・パチョンの5得点で5-3と勝利し、クラブ初のトップリーグ昇格を決めた[11]。レアル・マドリード、アトレティコ・マドリード、ラーヨ・バジェカーノに次いで、プリメーラ・ディビシオンに在籍するマドリード自治州内4番目のクラブとなり、マドリード市外のクラブとしては初のプリメーラ所属クラブとなった[12]。
プリメーラ・ディビシオン昇格
トップリーグに挑戦するにあたってキケ・サンチェス・フローレス監督を招聘したが、2004-05シーズンは順位表の下位に沈む低調な出だしだった。ホームではRCDエスパニョール、アスレティック・ビルバオ、バレンシアCF、レアル・マドリードなどに勝利したが[13]、アウェーではアスレティック・ビルバオから挙げた1勝に終わった[14]。最終的には13位でシーズンを終え、昇格組3クラブの中で唯一残留を果たした。2005年夏にはキケ・フローレス監督をバレンシアCFに引き抜かれたため、レバンテUD監督を解任されたベルント・シュスター監督を起用した[15]。2005-06シーズンはシュスター監督の目指したダイナミックで縦に早いサッカーがはまり、一時的にリーグ首位に立った[16]。その後徐々に順位を落としたが、最終的には9位と健闘した[17]。
国内や欧州カップ戦での躍進
2006 FIFAワールドカップのスペイン代表メンバーにマリアーノ・ペルニアが選ばれ、ヘタフェCF在籍選手初のスペイン代表選手となった[18][19]。2006-07シーズンのリーグ戦では再び9位となった[20]。38試合でリーグ最少の33失点に抑え、12試合を完封したGKロベルト・アボンダンシェリはサモラ賞(最少失点率)を受賞した。2005-06シーズン以前はコパ・デル・レイで準々決勝に達したことさえなかったが、2006-07シーズンの同大会では準決勝でFCバルセロナを破って決勝に進出した。カンプ・ノウで行われたファーストレグは2-5で敗れたが[21]、コリセウム・アルフォンソ・ペレスでのセカンドレグに4-0で勝利し[22]、2試合合計6-5で劇的な逆転勝利を遂げた。エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われた決勝ではセビージャFCに0-1で敗れ、初の主要タイトル獲得を逃した[23]。セビージャFCはすでにUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得していたため、ヘタフェCFがUEFAカップの出場権を獲得した。2007年夏にはベルント・シュスター監督がレアル・マドリードに去り[24]、後任にはミカエル・ラウドルップ監督が就任した[25]。ラウドルップ監督に率いられたクラブは14位でプリメーラ・ディビシオン残留を決めた。同シーズンのUEFAカップではグループリーグをわずか1敗の首位で通過し、その後も勝ち上がって準々決勝に進出した[26]。準々決勝は4度のヨーロッパ王者の経験があるバイエルン・ミュンヘンとの対戦となり、アウェーでのファーストレグはロスタイムにコスミン・コントラが同点弾を挙げて1-1で終えた[27]。ホームでのセカンドレグでは開始6分にルベン・デ・ラ・レーが退場処分を受けたが、前半終了間際にコントラが先制点を挙げた。しかし、試合終了間際の89分にフランク・リベリーが同点弾を決め、試合は延長戦にもつれ込んだ。延長の早い段階にハビエル・カスケーロと途中出場のブラウリオ・ノブレガが得点して3-1とリードしたが、バイエルンはルカ・トーニの2得点で3-3と追いついた。2試合合計4-4の同点であったが、アウェーゴールルールが適用されてバイエルンの勝ち上がりが決まった[28]。同シーズンのコパ・デル・レイでは2シーズン連続で決勝に進出したが、エスタディオ・ビセンテ・カルデロンで行われたバレンシアCF戦に1-3で敗れてまたもや準優勝に終わった[29]。
2008年夏には、MFルベン・デ・ラ・レーが抜けた穴に元U-21ドイツ代表のMFオイゲン・ポランスキを加え、その他にもコパ・リベルタドーレス優勝に貢献したMFホフレ・ゲロン、レアル・マドリードからFWロベルト・ソルダードなどを加えて戦力の維持に努め、新監督には結果重視の守備的なサッカーに定評のあるビクトル・ムニョス監督を選んだ。しかし、GKオスカル・ウスタリがシーズン前に靭帯を損傷して長期離脱し、GKロベルト・アボンダンシェリが冬の移籍期間にボカ・ジュニアーズに復帰するなど、守備面からほころびを見せたチームはシーズン中に2度の4連敗を喫するなど不安定な成績に終始し、2009年4月にV・ムニョス監督が解任された。残り5試合を託されたミチェル監督は2006-07シーズンまでのボール保持を重視したスタイルに転換して2勝2分1敗で乗り切り、セグンダ・ディビシオン(2部)に降格したレアル・ベティスと同勝ち点の17位でプリメーラ・ディビシオン(1部)残留に成功した。
シーズン終了後にMFエステバン・グラネロやFWイケチュク・ウチェら攻撃の主力が抜けたものの、DFマネやMFペドロ・レオンなど即戦力の実力者を獲得した。関係が良好なレアル・マドリードからはGKジョルディ・コディーナ、DFミゲル・トーレス、MFダニエル・パレホの3選手をすべて完全移籍で獲得した。十分な準備期間を与えられたミチェル監督はプレシーズンの11試合を8勝3分(22得点8失点)の負けなしで終えた。2009-10シーズンはソルダードが16得点を記録するなど攻撃サッカーで旋風を巻き起こし、6位でUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2010年夏にはソルダードやペドロ・レオンなどの主力選手が抜け、UEFAヨーロッパリーグではグループリーグ敗退に終わった。2010-11シーズンのリーグ戦では後半戦に調子を落とし、34節終了時には降格圏内の18位まで沈んだが、最終的には16位で辛うじて残留を決めた。2015-16シーズン、リーグを19位で終え、12年ぶりの二部降格となった。
1部復帰後
降格1年で1部に復帰となった2017-18シーズンは、昨年からの続投となるホセ・ボルダラス監督のもと、相手のミスに乗じて攻めるリアクションサッカーを展開した。その甲斐あって、昇格1年目にして5年ぶりの1部トップ10入りを実現させた。2018-19シーズンはリーグ開幕戦こそレアル・マドリードに0-2と敗れるも、その後は安定したパフォーマンスを見せた。DFではジェネ・ダコナムやヴィトリーノ・アントゥネス、MFはネマニャ・マクシモヴィッチやウルグアイ人のマウロ・アランバリ、そしてFW陣では共にリーグ14ゴールの37歳のホルヘ・モリーナと3月にスペイン代表デビューを果たしたハイメ・マタらの活躍によって、CL出場権を逃したもののリーグ5位でフィニッシュし、EL出場権を獲得し大成功と言える1年となった。
2019-20シーズン、このシーズンもハードワークを主体にしたプレーで序盤戦から勝ち点を積み上げ、コロナ中断前の3月にはリーグ戦で4位の位置に付けていた。しかし、中断明け以降から徐々に調子を崩し、最終的にはリーグ8位でフィニッシュした。最終節のレバンテUD戦では、勝てば2シーズン連続のEL出場権獲得だったが、0-1と敗戦し、EL出場権は獲得できなかった。しかし、このシーズンのELではベスト16に進出。コロナの影響で一発勝負となったインテル戦に0-2で敗戦するも[30]、ベスト32ではアヤックス・アムステルダムを下していた[31]。
2021年5月27日、クラブを約4年間指揮したボルダラスが退任し、後任に2009年から2年間ヘタフェの監督を務めていたミチェルが再任した[32]。
ユニフォーム
伝統的にホームでは青色のシャツを着用する。アウェーでは一般に赤色のシャツを着用するが、これは近年は変更されつつある。ユニフォームのサプライヤーはホマ(Joma)である。
期間
|
胸スポンサー
|
2004-2005
|
オプシオン(セントロ・デ・オシオ)
|
2005-2006
|
PSG
|
2006-2009
|
グルポ・ガルコ
|
2009-
|
バーガーキング
|
タイトル
国内タイトル
- 優勝 (1): 1998-99
個人タイトル
成績
シーズン
|
ディビジョン
|
国王杯
|
欧州カップ / その他
|
リーグ戦最多得点者
|
リーグ
|
試
|
勝
|
分
|
敗
|
得
|
失
|
点
|
順位
|
選手
|
得点
|
1983-84
|
マドリード州7部リーグ
|
|
|
|
|
|
|
|
1位
|
|
|
|
|
|
1984-85
|
マドリード州6部リーグ
|
|
|
|
|
|
|
|
1位
|
|
|
|
|
|
1985-86
|
マドリード州5部リーグ
|
|
|
|
|
|
|
|
1位
|
|
|
|
|
|
1986-87
|
テルセーラ・ディビシオン
|
38 |
17 |
10 |
11 |
64 |
45 |
44 |
6位
|
|
|
|
|
|
1987-88
|
セグンダ・ディビシオンB
|
38 |
18 |
11 |
9 |
71 |
41 |
65 |
3位
|
4回戦敗退
|
|
|
アントニオ・リベラ |
20
|
1988-89
|
セグンダ・ディビシオンB
|
38 |
16 |
11 |
11 |
52 |
36 |
59 |
6位
|
1回戦敗退
|
|
|
アントニオ・フローレス |
10
|
1989-90
|
セグンダ・ディビシオンB
|
38 |
18 |
15 |
5 |
54 |
30 |
51 |
2位
|
|
|
|
アントニオ・リベラ |
20
|
1990-91
|
セグンダ・ディビシオンB
|
38 |
16 |
13 |
9 |
45 |
24 |
45 |
4位
|
4回戦敗退
|
|
|
トト |
8
|
1991-92
|
セグンダ・ディビシオンB
|
38 |
17 |
11 |
10 |
42 |
32 |
45 |
6位
|
5回戦敗退
|
|
|
アントニオ・リベラ |
8
|
1992-93
|
セグンダ・ディビシオンB
|
38 |
15 |
17 |
6 |
42 |
28 |
47 |
4位
|
3回戦敗退
|
|
|
アントニオ・リベラ |
8
|
1993-94
|
セグンダ・ディビシオンB
|
38 |
17 |
16 |
5 |
53 |
31 |
50 |
2位
|
4回戦敗退
|
|
|
フリアン・ロメロ |
12
|
1994-95
|
セグンダ・ディビシオン
|
38 |
5 |
20 |
13 |
26 |
42 |
30 |
18位
|
3回戦敗退
|
|
|
フリアン・ロメロ |
6
|
1995-96
|
セグンダ・ディビシオン
|
38 |
7 |
11 |
20 |
30 |
52 |
32 |
19位
|
2回戦敗退
|
|
|
ゴラン・ストイリコヴィッチ |
15
|
1996-97
|
セグンダ・ディビシオンB
|
38 |
12 |
9 |
17 |
44 |
54 |
45 |
16位
|
1回戦敗退
|
|
|
ペペ・メル |
17
|
1997-98
|
セグンダ・ディビシオンB
|
38 |
17 |
6 |
15 |
45 |
40 |
57 |
7位
|
|
|
|
ナチョ・シエラ |
20
|
1998-99
|
セグンダ・ディビシオンB
|
38 |
21 |
9 |
8 |
50 |
23 |
72 |
1位
|
|
|
|
アンドレス・クリエル |
13
|
1999-00
|
セグンダ・ディビシオン
|
42 |
13 |
9 |
20 |
39 |
51 |
48 |
19位
|
1回戦敗退
|
|
|
カイク ホセ・ロドリゲス・パラード |
10
|
2000-01
|
セグンダ・ディビシオン
|
42 |
8 |
11 |
23 |
42 |
65 |
35 |
21位
|
ベスト64
|
|
|
マイケル・ハーマン |
12
|
2001-02
|
セグンダ・ディビシオンB
|
38 |
17 |
10 |
11 |
57 |
43 |
61 |
5位
|
ベスト64
|
|
|
イニャキ・センサーノ |
11
|
2002-03
|
セグンダ・ディビシオン
|
42 |
13 |
14 |
15 |
52 |
55 |
53 |
11位
|
ベスト32
|
|
|
ゲオルゲ・クライオヴェアヌ |
9
|
2003-04
|
セグンダ・ディビシオン
|
42 |
20 |
16 |
6 |
55 |
38 |
76 |
2位
|
ベスト64
|
|
|
ミチェル |
15
|
2004-05
|
ラ・リーガ
|
38 |
12 |
11 |
15 |
38 |
46 |
47 |
13位
|
ベスト16
|
|
|
ミチェル セルヒオ・パチョン |
5
|
2005-06
|
ラ・リーガ
|
38 |
15 |
9 |
14 |
54 |
49 |
54 |
9位
|
ベスト16
|
|
|
マリアーノ・ペルニア ヴェリコ・パウノヴィッチ |
10
|
2006-07
|
ラ・リーガ
|
38 |
14 |
10 |
14 |
39 |
33 |
52 |
9位
|
準優勝
|
|
|
ダニ・グイサ |
11
|
2007-08
|
ラ・リーガ
|
38 |
12 |
11 |
15 |
44 |
48 |
47 |
14位
|
準優勝
|
UEFAカップ |
ベスト8
|
マヌエル・デル・モラル フアン・アルビン |
7
|
2008-09
|
ラ・リーガ
|
38 |
10 |
12 |
16 |
50 |
56 |
42 |
17位
|
ベスト32
|
|
|
ロベルト・ソルダード |
13
|
2009-10
|
ラ・リーガ
|
38 |
17 |
7 |
14 |
58 |
48 |
58 |
6位
|
ベスト4
|
|
|
ロベルト・ソルダード |
16
|
2010-11
|
ラ・リーガ
|
38 |
12 |
8 |
18 |
49 |
60 |
44 |
16位
|
ベスト16
|
UEFAヨーロッパリーグ |
グループステージ敗退
|
マヌエル・デル・モラル |
9
|
2011-12
|
ラ・リーガ
|
38 |
12 |
11 |
15 |
40 |
51 |
47 |
11位
|
ベスト32
|
|
|
ミクー |
12
|
2012-13
|
ラ・リーガ
|
38 |
13 |
8 |
17 |
43 |
47 |
47 |
10位
|
ベスト16
|
|
|
ディエゴ・カストロ |
7
|
2013-14
|
ラ・リーガ
|
38 |
11 |
9 |
18 |
35 |
54 |
42 |
13位
|
ベスト16
|
|
|
ペドロ・レオン アンヘル・ラフィタ |
7
|
2014-15
|
ラ・リーガ
|
38 |
10 |
7 |
21 |
33 |
64 |
37 |
15位
|
ベスト8
|
|
|
アルバロ・バスケス |
7
|
2015-16
|
ラ・リーガ
|
38 |
9 |
9 |
20 |
37 |
67 |
36 |
19位
|
ベスト32
|
|
|
パブロ・サラビア |
7
|
2016-17
|
セグンダ・ディビシオン
|
42 |
18 |
14 |
10 |
55 |
43 |
68 |
3位
|
2回戦敗退
|
|
|
ホルヘ・モリーナ |
20
|
2017-18
|
ラ・リーガ
|
38 |
15 |
10 |
13 |
42 |
33 |
55 |
8位
|
ベスト32
|
|
|
アンヘル |
13
|
2018-19
|
ラ・リーガ
|
38 |
15 |
14 |
9 |
48 |
35 |
59 |
5位
|
ベスト8
|
|
|
ホルヘ・モリーナ ハイメ・マタ |
14
|
2019-20
|
ラ・リーガ
|
38 |
14 |
12 |
12 |
43 |
37 |
54 |
8位
|
2回戦敗退
|
UEFAヨーロッパリーグ |
ベスト16
|
ハイメ・マタ |
11
|
2020-21
|
ラ・リーガ
|
38 |
9 |
11 |
18 |
28 |
43 |
38 |
15位
|
2回戦敗退
|
|
|
ハイメ・マタ アンヘル |
5
|
2021-22
|
ラ・リーガ
|
38 |
8 |
15 |
15 |
33 |
41 |
39 |
15位
|
2回戦敗退
|
|
|
エネス・ウナル |
15
|
欧州の成績
現所属メンバー
- 2024年1月12日現在[33]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手を示す。
リザーブチーム
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
スタッフ
役職 |
氏名
|
監督 |
ホセ・ボルダラス
|
アシスタントコーチ |
ナチョ・フェルナンデス
|
パトリ
|
GKコーチ |
フアンホ・ロア
|
フィジカルコーチ |
アルベルト・ベロカル
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